日々の吐露を綴って。。

私が生きてここにいる現実と向き合う、日々のつぶやきのブログです。
時折お気に入りの曲も紹介しています。

就活が始まって

2017年07月29日 11時43分03秒 | 日記
長女の就活がいよいよ始まった。


高校生の就活は学校の制服でというのが一般的だけれど、制服がそもそもなく、入学時に買ったなんちゃって制服など着ていけるはずもなくで、今月に某有名スーツ屋へ行って、本人たつての希望で黒のパンツスーツを一式、そして初のパンプスも揃えた。


パンプスはクッション性のある足に優しいタイプを選び、フィッティングも済ませて本人も満足だっだので、すぐに慣れるだろうと、買ってすぐ履いて歩いてもらったら、かかとがパカパカして皮膚も赤くなってきて辛そう。


私が若いときも、初めてパンプス履いたときは辛くて、大人はなんでこんなものが履きたいんだろうと不思議に思っていたのを思いだした。


きっとパンプスを履いているうちに、足の形が、靴にはまるように変わっていくんだろう・・・と思ってふと、私の母も昔そう言っていたのを思いだした。


とりあえず、かかとにあてがうクッションシートのようなものや中敷きを探し回り、応急措置をした。


A4書類が入るビジネスバッグにストッキング、次週にポンと決まった会社見学までに、色々と用意しなければならない。


髪の毛先がまだ茶色が残ったままだが、本人曰く、そこで切り捨てるような会社なら結構、話して自分を売り込んで能力をかってもらいたい。ここで仕事をしたいという気持ちと、自分と仕事したいと思ってもらえて合致できたら最高、ときっぱり。


ほぉー、大多数はそれを希望に就活するんだよー、と心のなかで、若いのうと思いながらも、しっかりおやり、とエールを送る。


営業はできるだけしたくないんだよなぁ、知らない人と会話を続けるなんて、無理だもの、と言う。


が。仕事の選り好みは現実的ではないけど、上と相談して折り合って軽減したり、やりようはあるよね、とも。


この夏でバイト始めて4年目に突入した。


コミュ障だと騒いでいたのに、知能テストも低かったのに、フタを開ければ接客業を続行中じゃないか。


一時、心ない店長にイジメられ、再び鬱々としたこともあったが、味方になってくれた先輩方の計らいで別の支店へまわったりして、集う人間のカラーで場が全く変わるのを肌で学んだろうし、体調不良を理由に逃げるクセを改められたのも、職場の先輩方からの厳しくもそこに筋が通ったアドバイスがあったから。


そうした職場での折り合いに始まり、ケチをつけてくるお客さん、外国人客、買わないけどお喋りしにくるお客さん、娘の接客態度が気にさわって嫌みをいう常連客からも、処世術をあれこれ学びながら、品出しにレジに、複数のことをこなしている。


正直、私はこの成長ぶりに拍手喝采である。


全く勉強しないし、ギリギリ高校を卒業できる見込みだし、大学に行かない選択をしたけれど、それより大切なものが確実に根付いてきた、生きていける、そう確信している。







昨日、履歴書にかく志望動機を、ちゃぶ台に正座して、静かに文を練って、書く練習を長いことしていた。


すごい頑張ったんだよ、見てみて、と差し出した紙面を、どれどれと貰って読んでみると、文章には読書力が出るものだなぁと感じるくらいやっぱり幼い。。


文が二重になっていたりなどの主な箇所は例文を書いてみせて、あとは進路指導の先生に委ねるようアドバイスした。


完璧な文はつまらない、娘らしさは残しておきたい。


コツを習得するより、体で覚える、やっぱり職人家系のDNA なのかしら。

「脳」と「己自身」を考える

2017年07月20日 09時00分26秒 | 日記
ドラえもんの声でお馴染みの大山のぶ代さんは、認知症を発症してしばらくご主人の砂川 啓介さんに介護されていたが、そのご主人が亡くなられたというニュースを観た。


現在施設にいる大山のぶ代さんは無論知ることなく、先に旅立った砂川 啓介さん。


ふと、昔同居していた祖父を思い出した。


30年もたっていることに今更ながら驚く。


同居していた祖父は私の母方の父で、とびきりお洒落で、外出の際は中折れ帽を被り、写真もいつもカッコいいし、ビリヤードやボーリング、麻雀も好きで、夕飯には赤玉ポートワインを飲んでいた。


が、私が高校生のころに祖父はアルツハイマーを発症し、真夜中に起き出して雨戸を開け始めたり、テレビのニュース番組を正座して観ていたかと思うと、話しかけて会話しはじめたりなど、他人事に聞いていたことが目の前で繰り広げられる様にショックを受けたものだ。


いきなり外出するので、母に促されてこっそり後をついていくと、何故か振り向かれてあっさりばれて、何でわかったのーなんて言って笑いながら一緒に散歩して帰ったものだ。


私のことは孫娘だとわかっていたのかどうか、名前を呼んでくれたこともなくて定かじゃないが、いつも優しくて、誰だと言われたことはなかったし、きまって私が外へ出かけるときに部屋から出てきて、いつもの飴を買ってきてくれないか、と小銭をくれた。


マスカットキャンディーか、黒飴が定番だった。


そのうち病は進行して、歩こうとすると、真っ直ぐ歩けずに同じ場所でくるくる回るようになったし、オムツをはかせないと排泄が難しくなったが、オムツが何とも嫌で、脱ぎ捨てて床にしてしまうことが多くなった。


「そんな言い方ないじゃないですか!」
祖父の部屋から、よく父が怒る声がしていた。


正常ではないからと、理性ではわかっているつもりでも、簡単な意志疎通すらままならいもどかしさと、感情をぶつけてしまった後の、何にも改善にならないやりきれなさに、喜も楽もない。


赤ちゃんは、どんどん吸収してできることが増えて、喜も楽もあるのに。


段々と私のおじいちゃんは、見た目同じでも、誰か違う何かに変身していった。







祖父は、祖父の中身は、祖父自身そのままでいたんだろうか。


養老孟司さんは、認知症の人の脳はもはや違う脳みそなのだと言っていた。


以前、記憶喪失のことをブログに書いたが、気質や趣向まで変わってしまうのなら、その人をその人たらしめているのは、いったいなんなのか。


幻想でも幻聴でも、己がそれに処している自覚があるかぎり、自分自身は正真正銘本物だとしか言いようがないが、祖父は己自身をどう感じていたのだろう。


周囲がおかしいと思っていたのだろうか、自分の不具合を自覚していたのだろうか、その時々に思えることを思っていただけなのだろうか。


人を人たらしめているのは、脳か、精神か、はたまたひとつにはしぼれないのか、まだまだ探究中である。

 執念

2017年07月12日 22時09分36秒 | 日記
連日の某夫婦間の離婚報道には辟易して、テレビチャンネルを変える。


彼女は「念」で切り開いて行く、見ていても念が強いのがわかる。


私のかつての旧友も、幸せを求めて求めて、念ずれば必ずや叶うのよと、そういう人だった。


共通しているのは、人の心までは、念では思い通りにいかなかった、ただそれだけ。


愛が成就の道具になってはいないか、とは思う。


自分か信じる幸せという鋳型は、私にはない。


追わずとも、足元にぽっと灯っているのを見つけて、ふんわりわき上がる至福の感情、そういうものかなと思うくらい。


人には各々の人の幸せの概念ってものがある。


私とあなたは違うんだ、高校時代に担任教師がいつも言っていた言葉を思い出した。


夫婦でも、親子でも。


自分の信念を正しいと主張しても、それがそこで活きなければ考え直す必要がある。


彼女が命懸けで戦っているというその彼方に、何が見えているのだろう。

辛抱と、折り合いと

2017年07月04日 08時00分00秒 | 日記
みんなはお小遣いがあるのに、何で私はないの


お小遣いを貰ったほうが絶対いいよって友達に言われた


おまえバカだから貰えないんだろって馬鹿にされた


俺は自由に買えるんだ、いいだろう!って自慢された


お姉ちゃんはお小遣いあったんでしょ?


なんで、なんで・・・






そう言って、泣きながら次女が訴えてきた。


幼児の頃は、「私は私なの」という意識が勝っていたが、周囲と違うことが気にかかる年頃になってきたな、成長しているんだな、と感じる。


しかし、周りがそうだからと、じゃあそうするか!とはならないのが我が家。


娘の気質、収支の計算ができているか、普段の買い物などで、一緒に行動して観察していて、私も主人もまだ娘には時期尚早だと判断している。


うちはうち、よそはよそ、と言ってしまえば簡単だけど、学校では同調や協調が強いられるのに何でうちだけ違う?というモヤモヤは、娘の場合消化不良を起こすだろう。


なので、さきの訳を話すと、私が勉強不足だからなの?、算数でいい点数が取れないから?、等々劣っているからなのかと食い下がる。


娘の葛藤している思いを、泣くにまかせて吐き出してもらうと見えてくる。


必要性のあるものは一緒に見て決めて買うから、買いたいものが買えなくて我慢しているわけではなく、ただ「気儘に買ってみたい」という欲求があるらしい。


「〇〇くんは、欲しいトレーディングカードを自分のお小遣いで買うんだって」


欲しいものをお金で買う、たったそれだけのことがなぜだめなのか、確かに言葉ではそうなんだけど、比較している生活の素地が違う、というところまでは子供には見えないもの。


さてどうするか。


我慢させるだけでは、お金を持ったときに反動で散財してしまう。


サウナでじっと耐えて、冷たいビールを飲むのを楽しみに待つ、これは自覚がある、「辛抱」であり「我慢」ではない、ここに大きな差がある。


親の価値観だけで決めて買って与える、というのも、私がまさに幼少時代そうで、不満が渦巻いてしまうのは経験済みで、これも賛成できない。


なので間をとって、お互いに折り合いをつけて買うのが我が家の形になっている。






これがいいな


んー、金額的にきびしいわね
こっちの棚のいくつかの商品なら
買えるかしらね


そっちはどれも好みのものがないよ


これはあなたの好きそうな色だけど、どう?


なんかあんまり・・・


ピンとこないか
じゃあ、もう少し他で探してみようか


うん、もうちょっと見てみる


買い物ではそんな会話をよくする。


どうしても今日買わないと、明日使うから、となれば、じゃあこれでいいんじゃない?とりあえず、使えないわけじゃなし、と選ぶ優先順位が変わって、納得〈 妥協となる。



あったらあるだけ気儘にお金をつかう、そんな快楽を小さいうちに味わってしまったら、それは恐ろしいことだ。


必要なときに、必要な選択ができることは、普段からの自覚の積み重ねが活きてくる。


直感にまかせる、考えてから答えをだす、誰かに委ねる、そういったそれらの自分の選択を自分で活かせるようになって自由がある。


我慢させるのは可哀想だ、というけれど、我慢と辛抱の違いを知らないからそんなことを口にするのだろう。


辛抱を知らず、買いたいから、欲しいから、食べたいから、と借りてまで満たす、そんな子が少なくない。


金額の折り合い、今買うべきなのか、もう少しリサーチできないか、必要なものか、代替えではなんともならないのか、優先順位はどうか、他に必要なものがなかったか、等々、ものが溢れて手に取りやすいがお金がわいて出てこない今の時代だからこそ、考えて使うことを教えないとな、と思う。


将棋もそうだけど、たくさん考えて選択肢をもつなかで「私はこれだ」という直感のようなものが活きるのであって、ただ思うままとは全く違う。








ないものばかり目が向いてしまいがちだけど、あなたにはこれがある、あれがある、こんなことも、あんなことも。


みんなにはないけど、あなたにはあるものだって、ほら。


娘にたーくさんの気づきのヒントを与えたら、だんだん納得した目に変わってきて、また涙ぽろぽろ、そしてハグ。


あるもの。


たくさん。

久しぶりにいい番組

2017年07月02日 10時06分40秒 | 日記
昨晩、娘たちととても素敵な番組を観ることができた。


身体が不自由で車椅子の子も含め、個性豊かな5歳の子供たちのドキュメンタリー番組。


Eテレ・地球ドラマチック
「5歳児のヒミツ~大人への第一歩~」

(番組内容)

5歳は大人の世界に興味を持ち始める年齢。英国のある学校にカメラを据え、5歳児たちの知られざる日常に密着する。友達同士の関係から、子供たちは何を学びどう成長する?

(詳細)

初恋、もめごと、ライバル心…。初めて出会うさまざまな個性を持つ5歳の子供たちを1週間にわたって見つめるドキュメンタリー。5歳は何でも自分でやってみようという意欲がわく年齢。遊びの延長で大人と同じことをまねしてみることもあれば、ケンカやトラブルなどの経験を通じて社会性を身に着けてゆく時期でもある。自分と個性の異なる友達とどう接し、友情関係を築き上げていくか、専門家とともに子供たちの成長過程を追う。

(再放送)

2017年7月10日(月) 午前0時00分(45分)


ーEテレHPよりー







女の子はお母さんのような行動をして男の子たちを注意したり、車椅子の女の子に寄り添い、口も達者でおませ。


男の子は、かっこいいことが大好きで、負けることを悔しがって地団駄踏んだり喧嘩したり。


出会ってすぐにカップルになったおませなペアは、キスしあうほど初めは仲良しだったのが、彼がとある競技で負けて大泣きしたり、悔しくて泣いて暴れたりことで、あっさりフラれてしまったり。


車椅子の女の子の身になってどうしたらいいか想像して動く、ということがまだ難しくて、自分のしたい遊びや欲求を優先する子供、どうしたらその女の子も寂しい思いをせずみんなとも遊べるか、葛藤する子供の様子がそのまま映る。






もうすぐ成人になる長女は、暖かい眼差しで眺めていて、小三の次女はじっと興味津々で観ていた。


実生活では瞬間瞬間が選択の連続で振り返る余地もないけれど、ドキュメンタリー番組では客観的に冷静に観ることができるのがいい。