アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

丘の上のマリア Ⅲ 加藤紗智子②

2016-12-20 05:59:03 | 物語

 紗智子がT電力の入社試験を受けると宣言した時、誰もが驚きました。
 当然彼女は大学院に進み、物理学者に成ると思い込んでいましたし、望んで
もいました。
 
 紗智子は颯爽と面接に臨みます。濃紺のダークスーツに身を包んでいました
が、彼女の美しさ、華やかさは隠せません。168センチの彼女が、凜と背中を
伸ばして颯爽と歩く姿はまるでワルキューレの騎行です。
 しかし、普段の彼女は猫背で、眼を細めてゆっくりと歩き、遠慮がちにもぞ
もぞ話しますが、スイッチが入ると誰も止めることなど出来ません。彼女の脳
はスーパーコンピュータの様に整然と知識が整理されて収納されており、キー
ワードによって瞬時に呼び出せるのです。本気になった彼女と論戦で勝てる者
は誰もいなかった。

 面接室では、紗智子は普段の彼女に戻って小さな声でもぞもぞと答えていた。
「趣味は音楽と書いて有りますが」
「ええ、音楽は好きです」
「どんな音楽が好きですか?」
「えーと・・・」と戸惑う紗智子、面接で何と答えるべきか考え込んでいたの
だ。
「ごく普通の、わたくしの年頃が聴くような」
「ほーう、どんな?」
 話が進まぬのに業を逃がした別の面接官がこう聞いた。
「特技、物理学と書いて有りますね」
「はい、そう思いますし、周りの人もそう言います。でも,どちらかというと
趣味も物理学です」
「趣味、物理学。特技、物理学。わかいのに可愛そうに」
 少し苦笑が興った。
 ここまでの面接官達の印象は間違いなく落第だ。だが、皆こう考えていた。
「こんなにとてつもない優秀な人財が何故T電力に入社を望むだろう」
「ひやかしだろう」と、思う者もいた。
 履歴書を見詰めていた面接官の一人が気が付いた。
「加藤さん、貴女の父上は、当社にいた、あの加藤幸太さんですか?」
「ハイ」
 ハッキリと答えて胸を張る紗智子、眼がキラキラと輝いている。
 ざわめきが起こった、面接官の中に、元同僚もいれば、ライバルも、可愛が
られていた者もいたからだ。
「お悔やみを申し上げます。惜しい方を亡くした」
「正直に申しますと、貴女の父上は当社で余り恵まれていたとは言えない。そ
んな会社を志望した動機は?」
「父の遺志を継ぐためです」
 結局採用と決まったが、本当に出社して来るのか、誰もが半信半疑だった。
ある者は,こんな逸材を他社に取られては成らないと思い。ある者は、政財界
に多大な影響力を持つ加藤友恵の長女を社員にする恩恵を期待した。
 だが、紗智子は意気揚々と入社してきた。
 T電力では女子職員の制服は無く、私服が許されていたが、紗智子は生涯ダ
ークスーツ通した。

 女性管理職候補であったが、一年くらいは雑用が常識で、紗智子とて例外で
は無かった。

 入社当時のエピソードを一つ。
 紗智子が所属部署で、茶碗やコップなどの食器の類いがやたらと壊れるの
だ。
 紗智子を疑った女子社員がそっと覗き見ると、紗智子は洗い桶に水を満た
し、食器と洗剤を入れ、桶ごと豪快に振るのだ。当然、勢い余った食器は床で
壊れた。

 掃除をさせれば、四角い机を丸く拭くし、コピーをさせれば、コピー機の前
で腕組みをして考えた上に分厚い説明書を読み出す様だった。

 二ヶ月も経たぬ内に、誰も紗智子に雑用を頼まないようになった。
 紗智子はめげない。これ幸いにと勤務時間に専門書や資料を読みあさった。
 その結果として、色んな国の原書を読むために、一年に二カ国語くらいは修
得した。どんな難しい本でも理解したが、会話は苦手だった。そのため周りの
者は誰も紗智子の語学力に気が付かない。

 こんな事も有った。
 T電力では女性管理職候補の一人をハーバードに留学させるシステムを持っ
ていた。当然紗智子が有力候補だったが、別の女性が選ばれた。彼女が英文学
科の出身で、流暢な英語を話した。対して紗智子の英会話は拙く聞き取りにく
かった。なによりも決め手に成ったのは、その彼女は気立てが優しく、誰にで
も優しかった。つまり八方美人だったのだ。
 皮肉なことに、その彼女は留学を終えて帰国すると、直ぐに寿退社してしま
った。

 いわゆる新入社員としては殆ど役に立たなかった紗智子だったが、給料だけは
どんどん上がった。彼女を飼い殺しにする気だったのかも知れない。だが、一
部の重役は気付いていた。この会社に不慮の災害が興った時に紗智子の能力が
必要になる。なにしろ彼女は世界中の原子物理学に精通していたのだから。

 紗智子が入社して六年程経った。その頃には、彼女の猫背とひたひた歩きは
度をましていた。視力が甚だしく落ちているのに眼鏡を好まなかった。大きい
はずの眼も殆ど認識出来ない程細く感じた。
 その年、ソ連からフランスに帰化していた高名な原子物理学者が来日し、T
電力で会見を開いた。
 大会議室でズラリと並ぶ役員達。なぜか端の方に紗智子が座っていた。彼女
がフランス語が分かる事を知っていたのと、困った時には彼女から助けて貰お
うとの魂胆だった。
 フランス語の通訳が付いていた。博士がフランスに帰化して十も年が経って
いたから、フランス通訳で事足りると思たからだ。
 博士が口を開くと通訳の顔が青ざめ、唇が歪んだ。
 なんと博士はロシア語で喋り始めたのだ。
「すいません、ろ・ロシア語です」
 会議室がざわめき、一人が走り出た。ロシア語通訳を手配するためだ。
 紗智子だけが慌てる事なく博士の言葉に耳を傾け、眼鏡を掛けてキラキラと
輝く眼で博士の言葉を傾聴していた。
 紗智子に向きを変えた博士が一言話すと、彼女は口を左手で隠して「ほ・ほ
・ほ」と笑った。博士が何か冗談か皮肉でも言ったのだろう。
 紗智子は通訳に半ば命じた。
「博士に通訳して差し上げて」
 困惑の表情を浮かべる通訳。
 紗智子は構わずに言葉を繋いだ。
「フランス語で構いませんわ、そのかわりゆっくりと、良い?」
 頷く通訳。
「わたくしは、弊社の社員で、加藤紗智子と申します。博士の論文は全て読ん
だと思っております」
 紗智子はゆっくりと話し、時々間を置いた。
「どんな難解なお話でも構いません、どうかお聞かせ下さい。精一杯理解する
ように努力して、弊社の今後の役に立たせたいと願っております」
 博士はもう紗智子しか見なかった。
 博士がロシア語で話し、紗智子がメモったロシア語で応える。そんなやりと
りが二時間ほど続き、博士がフランス語で役員達に話しかけた。
 通訳が伝えた。
「御社は素晴らしい人財をお持ちです。何か事故などが起きた時、紗智子女史
の知識が必ず役に立ちます」

 その後、紗智子は専務室に呼ばれた。
「博士とはどんな話をしたのかね」
「今,お話いたしましょうか?」
「いや、理解できるか分からないから文書で提出しなさい」
「明日の朝で構いませんでしょうか」
「ああ、良いです。それにしても、君がロシア語に堪能だなんて。いつの間に
マスターしたのかね?」
「私は時間とお給料はたっぷりと頂いて居ります。一年に二つや三つの言語を
習得して当然ですわ」
「ということは? 君は一体何カ国語が分かるのかね」
「さあ、」と首を傾げる紗智子。
「数えたことはありませんが、多分もうすぐ二十に届くと思います」
 絶句した専務はこんな事を考えた。「この女、手放せない。両刃の剣だが、
危険を犯す価値は十分に有る」
 両刃の剣? 紗智子は毎年のように意見書を提出してていた。
 このままではT電力も日本も未曾有の災害に襲われて滅んでしまいます。と
いう言葉で始まる有名な意見書だ。
 以下要約する。
 原子力発電は出来るだけ早く廃炉すべきである。代替えエネルギーの開発は
日々進み、太陽光エネルギー、水力、風力、地熱、バイオマスなどを積極的に
採用すれば、近い将来原子力に頼らない電力の供給が実現します。

 原子力が危険かどうかとか言う論点はT電力だけで無く、日本の電力会社で
はタブーであった。原子力の平和利用は国を上げての政策だったのだ。加藤幸
太とその遺志を継いだ紗智子の思想は危険だったのだ。
    2016年12月20日   Gorou


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