アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

丘の上のマリア Ⅲ 加藤紗智子③

2016-12-21 11:49:14 | 物語

 御母衣恭平は高二で父・宗介を亡くし、高三の冬、頼みの母・俊子が重い病
に臥せった。東大受験の直前だった。
 看病の疲れと、将来の不安に苛まれる恭平。虚ろな眼で病床の母・俊子を見
詰めていた。
 俊子の唇がかすかに動いていた。何か歌っていめようだ、怨歌のように聞こ
えたが、なぜか懐かしかった。幼き日々が過ぎった。
「恭平、ああ、可愛そうな恭平。お前は一人で生きていくのよ」
 勿論恭平には分かっていたが、覚悟がまだ定まらなかった。
「恭平、あの家には近づいては駄目。罪と怨念の渦巻いた、あの加藤家には」
 これが俊子の最期の言葉になった。

 恭平は東大を諦めた。たとえ試験に受かったとしても無一文の彼は入学が出
来ない。働くしか方法が無かった。もしも幸太叔父さんが生きていたら、面倒
を見て呉れたかも知れない、頭の片隅で浮かんだりした。
 彼は普通の方法での就職を選ばなかった、どうせ十か月ほどで離職して受験
勉強を再開して、来年東大を受験するのだ。
 恭平は、浜松の自動車工場での期間工を選択した。無欠勤と期間満了でかな
りの報奨金が貰えたからだ。数ヶ月の生活費と受験と入学の費用が貯められる
計算になった。

 恭平は浜松へと旅立つ。
 紗智子だけが未練だった。二日間、恭平は松涛加藤邸の回りをうろついた、
一目でも紗智子の姿を見たかったのだ。
 紗智子の姿を見ることは出来なかった。が、加藤邸の門戸を叩くことはしな
かった。紗智子が現れたとしても、物陰から見詰めるだけだと自分に言い聞かせ
ていたからだ。

 恭平は懸命に働いた。可能な限りの残業を志願したため、寮では睡眠を取る
のが精一杯で勉強など適わなかった。なれれば出来る、たとえ一時間でも、三
十分でも良い、毎日続けられれば学力は落ちない。と、死にものぐるいで働い
た。
 あっという間に三か月が過ぎ、五月に入った、この工場でもゴールデンウイ
ークの休暇は有ったが、ラインが動かないだけで、何らかしらの雑用は有っ
た。

 五月五日、恭平が食堂で昼食を取っていると、アナウンスが流れた。
「御母衣恭平さん、ご面会です。第一工場玄関までお越し下さい」
 誰だろう? まるで見当が付かなかったが、恭平は昼食を掻き込んで玄関に
向かった。
 玄関には若い女性が立っていた。キリリとした立ち姿は目にしみるほど美し
かった。胸をときめかして近づくと、矢張り紗智子だった。
「紗智子姉さん、どうしたのですか?」
「決まってるでしょう。君を迎えに来たのよ」
「何処にですか?」
「東京、わたくしの家」
「急になんて無理です。俺、工場にも話してないし」
「わたくしが話をつけておいたわ。早く支度していらっしゃい」

 今、恭平は憧れの聖女・紗智子と、新幹線の一等席に並んで座っている。新
幹線自体が初めての経験だった。赴任するときは運賃を節約して東海道線を使
ったからだ。
 浜松を出て直ぐ、サービスワゴンが来た。
 紗智子が売り子を呼び止めた。
「ウナギ弁当下さいな」
 売り子から恭平に視線を移す紗智子。
「一つで良い?」
「紗智子さんは?」
「わたくしは良いわ」
「俺、昼飯食べたばかりなんです」
「君は食べ盛りの男の子なんだから」と、
「二つお願い、お茶も二つ」
 恭平は膝に置かれたウナギ弁当の一つを貪るように食べます。こんな美味い
物は初めてでした。父・宗介に連れられて加藤家に行った時も、食事は遠慮し
て自宅で夕食をとりました。宗介の教育方針でした。加藤家の贅沢な食事は恭
平の為にならないと知っていたからです。
「どうして、あの工場で働いていると分かったのですか?」
 難しそうな原書から目を外して、紗智子が答えます。
「あの工場は加藤家の傘下なのよ」
 恭平は夢でも見ている心地でした。紗智子さんは俺のことを心配して、探し
出してくれたんだ。
 
 恭平を探し出したのは紗智子では無く高校三年の由美でした。
 由美は幼友達の恭平が両親を亡くした後、姿を消したのを心配して、興信所
を使って探し当てたのです。
 まず紗智子に報告しました。
「お姉様、恭平君が見つかりましたわ」
「きょうへい?」
 紗智子は二三度しか逢っていない御母衣恭平を覚えていない。
「お父様の従弟で幼なじみの宗介叔父様の息子さん」
「ああ」
 やっと思い出しましたが、顔まで出て来ません。
「浜松の自動車工場で働いていたの」
「どうして?」
 姉の反応の悪さに、由美は事の顛末を説明する羽目になってしまいました。
彼女は姉が、見かけほど冷酷で無い事も、才能有る者が不当に才能を生かせる
場を奪われる事を嫌う性格だと知っていました。
 その後、由美は浜松の工場長と連絡を取りました。

 新幹線ではウナギ弁当二つを平らげた恭平が、懐から給与袋を取り出して中
を覗き見していました。慌ただしく去ったのに、彼の給料はちゃんと用意され
ていたのです。仕組みが分かりませんでした。
 明細書を見て、恭平の眼が固まってしまいました。彼の想像を遙かに超えて
いました。満期の遙かに前の退職に関わらず報奨金が全額支給されていただけで
無く、無遅刻無欠勤とか、勤務態度と勤勉で優秀だったとか、色々な事をでっ
ち上げて支給額を増やしてたのです。工場長の加藤家へのおべっかの他何でも
有りません。
 そんな恭平を紗智子が首を傾げて見てました。
「これ、俺は五月は四日しか働いていないのに、これ」
 紗智子は恭平から明細書を取り上げて、ざっと目をとおします。
「七十万とちょっとか、呉れるんだからいいじゃない。無駄遣いは駄目よ、君
が東大に入学してから、一人で生きていくのに必要なお金なんだから」

 東京に連れてこられた御母衣恭平は、紗智子の松涛邸の従業員住宅に寄宿を
して東大を目指す事になった。一切の生活費は紗智子が援助したので、工場か
ら支給された金を使う必要は無かった。
 更に、紗智子は毎晩のように恭平の家庭教師をした。

    2016年12月21日   Gorou


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