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アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

Kozue(胡都江)~Twins of Formosa Ⅱ

2016-11-28 18:07:47 | 物語
二 市村胡蝶一座

「ハイ序曲」
 私の前任者大塚のキューでサクラ変奏曲が琴の合奏で流れ、胡蝶一座の通し稽古が始まった。
「この後、音も灯りもなしで行くからね。ハイ緞帳! 上がったつもり」
 頃合いを見計らって、床に這いつくばるように下げていた頭を挙げ、辺りを見回して前口上を言う。こんな旅廻りの一座でも前口上をやるのかと驚いた。 
 それにしても長い前口上だ、三分程もうだうだと喋っていただろうか。
 やっと本題に入って来た。
「どちら様も、隅から隅までズズズイーッと!!」
 胡蝶を受けて、全員が深く頭を下げながら、
「ご高覧のほど御願い奉りまするーッ!!」
 その時、
「御用だ、御用だ」
 と十数人の捕手が客席の後方から舞台に乱入して来て、胡蝶と姉妹、小太りの中年、痩せて貧弱な老人、この五人といきなり大立ち回りを始めたのにはホントに驚いた。なぜかと言うと、ここの客席は大広間になっていて、客が食事をしながらショーを愉むようになっている。夕食の最中にドタバタと大立ち回りなど、とても信じる事が出来ない。非常識も甚だしい。
 主役が五人、白波五人男かなと、見る気もしなかった進行表をチラッと見たら、『弁天娘女男白波』とあった。
「御用だ!御用だ!」
「誰に御用だと言うんだ」
 と凄む胡蝶。
 胡蝶を取り囲む捕手が一斉に、
「どこの馬の骨か知るものか!」
「問われて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州浜松在、十四の時に親に別れ、身の生業も白波の沖を越えたる夜働き、盗みはすれど非道はせず、人に情けを掛川から熱海をかけて宿々で、……」
 市村胡蝶、その時四十代の中頃だったろう、芸も貫禄も、旅芸人には惜しい程優れていた。
「もはや四十に人間の定めはわずか五十年、六十余州にかくれのねえ賊徒の張本日本駄右衛門」
「さてその次は江ノ島の岩本院の稚児上がり、・・・」
 横の大塚が耳元で囁いた。
「女形で胡蝶の旦那の吉之輔さ」
 胡蝶に引き換え、夫で女形の吉之輔の方は、飛び抜けて不味い大根役者で姿形も野卑だ。今時の二丁目にだって、あんながさつなオカマなんていやしない。
「悪い浮名も竜の口、土の牢へも二度三度、だんだん燃ゆる鳥居数、八幡様の氏子にて鎌倉無宿と肩書も島に育ってその名さえ、弁天小僧菊之助」
「続いて後に控えしは月の武蔵の江戸育ち、・・・」
 痩せた老人が台詞を繋いだ時にはあまりの酷さに呆れた。思わず大塚の顔を覗いたほどだ。
 首を竦める大塚。
「役者が一人逃げたのさ、爺さんの本職は大道具。ハコで買ってきて、口を出さない、いじらない、というのが建前でね」
 絶望が私の全てを支配した。どうしてこんな所に来てしまったのだろう、後悔しても始まらない。
「だけどこの一座、少なくなってしまった旅芸人のなかではナンバーワン」
「重なる悪事に高飛びなし、あとを隠せし判官のお名前騙りの忠信利平」
 大道具の爺さんを継いだのはミズエだ。
「またその次に列なるは、以前は武家の中小姓、・・・」
 ミズエの赤星十三郎。こいつはいける。十八の小娘の演技ではない、男の色気が匂うように漂ってくる。
「今牛若と名も高く、忍ぶ姿も人の目に月影ケ谷神輿ケ嶽、今日ぞ命の明け方に消ゆる間近き星月夜、その名も赤星十三郎」
「さてどんじりに控たは、潮風荒き小動の磯馴の松の曲がりなり、・・・」
 コズエの南郷力丸、これは絶品だ。そのコズエが驚く私を見透かすように、流し目を送って来た。
「どうだい、凄いだろう二人」
 大塚が言うように、確かに凄い、母親譲りの天性だ。否、遥かに超えている。
「悪事千里というからはどうで終えは木の空と覚悟はかねて鴨立沢、しかし哀れは身に知らぬ念仏嫌えの南郷力丸」
「五つ連れ立つ雁金の、五人男にかたどりて、」
 胡蝶の駄右衛門から吉之輔ならぬ菊之助に、
「案に相違の顔ぶれは、誰白波の五人連れ、」
 吉之輔から爺さんに、
「その名もとどろく雷鳴の音に響きしわれわれは、」
 爺さんからミズエ赤星、と台詞を渡して行き、
「千人あまりのその中で、極印打った頭分、」
「太えか布袋か盗人の、腹は大きな肝玉、」
 コズエ力丸から駄右衛門にまた返し、
「ならば手柄に、」
 五人で一斉に、
「からめてみろ」
「それ」
 と打ちかかる捕手を夫々が傘であしらって見得を切った。
 見得を切ったままの三人を残して、コズエとミズエが傘を捕手に預け、マイクを手にして前に出てきた。
 小指で軽くマイクの頭をたたいて確かめるコズエ。
「これ、電源入ってないわ」
 と大塚を見る。
「テープの編集が済んでいないのさ。今日は音無し、歌は全部とばして」

 歌をとばして芝居が続く。『瞼の母』の再開の場。その後が『金色夜叉』。どちらもヒロインは吉之輔だ。瞼の母はともかくとして、こんな小太りのオヤジのお宮を見せたら、客席から何が飛んできても文句は言えない。が、大塚の言うように、旅芸人一座のピカ一なのもよく分かった。
 冷静に考えると、爺さんを除けば皆上手い。吉之輔にしたって、私が貶す程には下手じゃない、ただ毛嫌いしてしまっただけなのだ。何らかの胡散臭い腐臭を嗅ぎ取っていたのかも知れない。
 いつの間にか、姉妹の胡蝶の舞が始まっていた。
「二人をもっと前に出しませんか?」
「いいね! 芝居もいけるし、踊りが上手い! 或いは、胡蝶以上と言えるかも、特にコズエが凄い! いじらないのが建前だが、君がやる気なら置き土産に協力しよう」
 確かに上手い。私にはミズエの方が良いように見えたのだが。良く観察すると、ミズエは稽古でも精魂傾けて舞っているのだが、コズエは軽く流している。だが、節目、節目で得も言われぬ華と香りを醸し出すのだ。本番に強いタイプなのだろう。
「だけど、歌はこんなものじゃない。聴き手の心を掴んで離さない。誰のマネでもなく、全く新しい感じがする。うちは二人の歌が目当てでこの一座を時々よぶ。もちろんクラブでも歌わせる事になっている」
 聴きたい、二人の歌を聴いて見たい! 無性に想った。だがざっとフィナーレをやって通しが終わった。

 稽古の後、私と大塚、胡蝶、吉之輔で打ち合わせをした。
「大久保君、何か意見は有るかい?」
 目配せをしながら大塚が聞いてくれた。
「大筋はこれでいいと思いますが、何か中途半端で、胡蝶一座の個性というか、見せ場というか、所謂ケレンとか華が見えてこない」
「大久保センセイ!」
 ネチッとした声で、女形の吉之輔が反撃してきた。
「この市村胡蝶一座は胡蝶の芸で、芝居で、立ち回りで、唄と踊りで持っているのよ。見せ場だってタップリと盛り込んで有るわ。だいたいあんた本物なんか見たこと有るの?」
「これは失礼!」
 痛いところをつかれた。白波五人男にしたって、クレージーキャッツのコントを見た記憶が有るだけだ。
「僕の言い方が悪かったみたいですね。プロローグなんかとても面白いと思います。だけど、素人が混じっているのにあんな長台詞は無理じゃないかな」
「まだ六日も有るわ、徹底的に鍛えるわよ」
「五人一緒のレベルまで引き上げるのは不可能でしょう。それよりもっとシンプルにしたほうが面白くなります」
「シンプルってなによ」
 剥れる吉之輔を無視して胡蝶を窺いながら言葉を続けた。
 胡蝶はそれほど気を悪くしている風には見えなかった。
「無駄を省きます。例えば、オープニングでは最後の渡り台詞だけにします。その代わり浜松屋の場を追加したらどうでしょう」
「浜松屋? いいかもしれないわね」
 現金なオカマだ。自分の見せ場が増えると勝手に思い込んでニタついているが、私の中の弁天小僧はコズエだ。
 座長の胡蝶がようやく口を開いた。
「寛一も忠太郎も、そろそろコズエにやらせようと思っています」
「いいね」と大塚。
「いけると思いますよ」
 願っても無い座長の申し入れに、私も大塚も諸手を挙げて賛成した。
 瞼の母はともかく、寛一をコズエがやるなら、お宮はミズエで無くてはならない。
 十八番から降ろされる吉之輔だけが激しく反対した。誰も彼に荷担しなかった為、そのうちふてくされて黙った。黙ったまま私を恨めしそうに睨んだ。おかまの恨み辛みがどれ程恐ろしいのか、この時の私には想像も付かなかった。
 後は私の独壇場だった。演目自体は殆どいじらず構成だけを大きく変えた。全体を三部に分け、第一部は踊りが主体で、その取が姉妹の胡蝶の舞だ。この一部の間に客の夕食があらかた終わる筈だ。
 第二部が芝居中心、ここでは、市村胡蝶と一座の神髄をたっぷり見せて貰う。吉之輔の役はあらかた取り上げて、姉妹に振り分けるつもりだ。
「フィナーレはこのままの祭り仕立てでいいと思いますが、何かもう少し派手なクライマックスをやりたいですネ?」
「無法松の祇園太鼓なんかどうですか? コズエもミズエも、これだったら出来ますし」
 と、市村胡蝶が言った。
 私の脳膜に、姉妹の祭り半纏の艶姿、勇壮な祇園太鼓を連打する胡蝶母娘の姿が浮かんだ。その勇壮な音が私の中でこだまと化し、轟くような響きが私の魂を揺さぶり、いやが上でも精神を鼓舞した。
「それでいきましょう。構成は明日までにあげておきます。初日まで後六日、がんばりましょう!」
 言い終える前に私は大広間を後にしていた。

 熱海グランドホテルには私の職場がもう一つあった。十階のクラブである。
 クラブには男女一人ずつの専属歌手がいた。
 演歌の渥見孝司とシャンソン歌手の岬小夜子だ。二人とも二十代の中頃、丁度私と同じ年頃に見えた。
 まあ、打ち合わせをする程の事は無かったのだが、顔合わせを済ませた後、二人のレパートリーを聞いて、すぐ帰るつもりだった。が、コズエとミズエが歌う予定になっていたのでクラブに残った。

 コズエが『銀座カンカン娘』と『悲しい口笛』。ミズエが『支那の夜』と『夜又来』の二曲を歌った。
 
 ♪あの娘可愛や カンカン娘
  赤いブラウス サンダルはいて
  誰を待つやら 銀座の街角
  時計眺めて そわそわにやにや
  これが銀座のカンカン娘
       作詞:佐伯孝夫、作曲:服部良一

 コズエは昼間出逢った時の服装にベレー帽を被っていた。
 その歌い振りは独特の節回しで、あの娘ではなく、アァノコォカァと歌った後、絶妙の間で、イィヤカンカン娘と受けるのだ。随分旧い歌なのに新鮮な感じがした。何よりも良いのが、歌も振りも表情も、感性といい、表現力といい、生き生きと豊かな事だ。
 ミズエの方はもう少し保守的だ。とは言っても、あの頃、あんな歌い方は聞いた事が無い。数年後日本デビューしたテレサテンを彷彿させた。チャイナドレスのミズエが『支那の夜』や『夜又来』を歌うと、昭和初期の上海にでもタイムスリップしたような不思議な感じがした。
 この美しい姉妹が、野卑な吉之輔の種だなどとはとても信じることは出来ない。
     2016年11月28日  Gorou


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