アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

炎の男、火麻呂 防人の歌 Ⅴ

2016-12-09 11:17:52 | 伝奇小説

 五
 七月に入ってすぐ、古麻呂が旅人と入れ替わって平城に帰った。古麻呂の強
い主張にも関わらず子虫は残った。しかも、子虫が大野城の将を賜ったのだ。
 早速閲兵式を挙げる子虫。

 整列した防人の前を、甲冑に身を固めた子虫が騎馬で閲兵して行く。
 火麻呂が子虫を見たのはこれが初めてだった。火麻呂が想像する葛麻呂の容
姿に驚くほど似ていた。
 卑小な肉体を少しでも大きく見せようと肩をいからせ、馬上で踏ん反り返る
子虫。
 重い甲冑を支えるのに汗だくになっている子虫と軍馬。
 あんな男に命を狙われていると思うとなんだかばかばかしくなる火麻呂。
 その子虫が火麻呂の側で馬を留めて見下ろしている。
 火麻呂が睨むと視線を逸らせ、横の校尉白麻呂に顎を決って見せた。
 それに応えた白麻呂が隊正黒麻呂に目配せをする。
「火麻呂」
 大声で呼ばわる黒麻呂、火麻呂の腕を掴んで子虫の前に連れて行った。
「お前が火麻呂か」
 薄笑いを浮かべながら火麻呂を見下す子虫、身を屈めて耳元で毒づいた。
「弄って呉れるぞ、簡単には殺さぬ」
 再び馬上で踏ん反り返り、下卑た嘲笑を浮かべる子虫。
「雅殿が兄の子を身篭った。男子が生まれれば、妾から正妻に取り立てるそう
じゃ」
 子虫の言葉と嘲笑は火麻呂を絶望の淵に追い込んだ。
 待っていてくれると信じていた雅、あの雅が葛麻呂に嫁ぎ、その子を宿した
という。
 度々聞こえてきたあの声はただの妄想だったのだろうか? いや、子虫が虚
言を言って火麻呂を焚きつけているのかも知れない。
 こんな所で死ねるものか、必ずこの目で確かめてやる!
 硬く決意する火麻呂。

 さて、どうする火麻呂。
 一刻の猶予も残されていない。葛麻呂の魔手はそこまで来ているのだ。
 いっその事、母を担いで逃げるか? それとも、白麻呂の姦計に乗ってみる
か?
 留まれば地獄、逃げても地獄。
「母刀自」
 眠れぬ床で火麻呂が真刀自に声を掛けた。
「寝てしまったのか?」
「起きているよ、火麻呂」
 すぐ傍で母の声が聞こえた。真刀自もまた眠れなかったのだ。
 眠れぬ夜に愛する息子の寝顔を見ながら悩んでいたのだ。
「観世音寺でまた法華八講を開かている。行って見るか?」
「この身体ではとても遠くまでは行けぬ」
「明日は非番だから俺が連れて行ってやる」
「ほんとかい?」
「ああ、最終日だそうだ」
「もう有り難い法話など聞けぬと諦めていたのに、ああ嬉しい」
 ようやく真刀自の顔に笑顔が蘇った。
「夜明け前に立つ、早く寝たほうが良い」
 いそいそと寝床に潜り込む真刀自。

「終に罠にはまりましたぞ」
 夜明けと共に子虫の館を白麻呂が訪ねてきた。
「夜明け前に火麻呂が母親を背負って城門を出ました」
「逃げたか?」
「いや、多分観世音寺の法華八講に母親を連れて行くのでしょう」
「どうでも良い、追っ手を掛けて捕まえろ」
「畏まって候」
「いや、私も行こう」
 支度をする為奥に向かう子虫を見送って舌打ちをする白麻呂。
「邪魔になるだけだ。逆に火麻呂に殺されねば良いが。誰も助けはせぬぞ」
 眉を顰めて呟く白麻呂。

 真刀自を背負って山道を登る火麻呂。
「嵐にならぬかのう」
「かも知れぬ。急ぐぞ母刀自」
 歩を早める火麻呂。
 火麻呂の背中に縋り付く真刀自。
 ふと立ち止まって道端を見やる火麻呂、馬酔木を見付けたのだ。
 馬酔木の枝を折って腰にさす火麻呂。
「この山には狼が出るのかい?」
「安心しろ母刀自、この山に狼はいない」
 狼よけの馬酔木ではなく、己の心に巣食う鬼を退治する為だ。
 背後を見回し、聞き耳を立てる火麻呂、大野城を出てから何者かにつけられ
ているような気がしたのだ。が、今はまるで人の気配が感じられない。
 風が轟と鳴って火麻呂を唆した。
「さて、どうする火麻呂?」
 誰かが耳元で囁いた。
 振り払うように観世音寺へと急ぐ火麻呂。
 益々暗くなる空、今にも土砂降りの雨が零れて来そうだ。
「さて、どうする火麻呂!」
 今度は天から声が降って来た。
 立ち止まって暗い空を見上げる火麻呂。
 天が崩壊し、洪水の様な豪雨が火麻呂と真刀自を襲った。
 堪らず大木の陰に逃げ込む火麻呂、真刀自を地に下ろして牛のような目をし
て睨んだ。
 火麻呂のただならぬ形相に、真刀自は腰を抜かすようにして地べたに跪い
た。
「鬼のような恐ろしい目をして、お前狂ってしまったのかえ」
 真刀自に背を向け、太刀を抜く火麻呂。
「木を植えるのは、実を取り木陰に憩うため、子を養うのは、その子の力を借
り、また養って貰う為です。頼みにしていた木陰に雨が漏るように、どうして
お前に出来心が湧いたのだろう」
 火麻呂の肩が激しく震えている。
「ああこんな事なら、病で死ねればどんなに良かったのだろう。そうすれば、
お前はこんな邪心を起こさずにすんだのに、雅の元に帰る事も出来たのに」
「ああーッ!」
 天を仰ぎ、まるではぐれ狼のような遠吠えをあげて豪雨の下に出て行く火麻
呂、己の心に唆されて叫んだ。
「血を流せ! わが心よ!」
 豪雨に打たれて火麻呂が鬼に変身した。
「ああ! 汝が育てしこの子、汝の乳房に養われしこの火麻呂」
 悪鬼羅刹の如き形相で太刀を振り上げ、真刀自を睨む火麻呂が、いまや養い
育てし親おば噛み殺さんとしている。
 げにその子は蛇と成り果てようとしている。
 そんな息子の様子に観念したのか、真刀自が経を唱えながら目を閉じた。
 真刀自に迫る火麻呂。
 雷鳴が轟いた。
 閃光に襲われ、ハッと我に返る火麻呂、手にした太刀を放り投げて座り込ん
だ。
「許してくれ、許してくれ」
 厳つい顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくる火麻呂。
 ふと立ち上がる真刀自、ふらふらと雨の中に歩を進め、崖っぷちから千尋の
谷を覗き込で、
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と経を唱えた。
 頭をかきむしりながら地べたをのたうち回る火麻呂。
 悲しい顔で火麻呂を見やる真刀自。
 再び谷底に目をやる真刀自、飛び込もうとするがなかなか勇気がわいてこな
かった。
 合掌し、目を閉じる真刀自、菩薩に祈った。
 また雷鳴が轟いた。
 バリバリバリ! ズドーンッ!
 凄まじい音と共に、雷が大木を真ッ二つに引き裂いた。
 二つに分かれた大木が母と子の上に倒れて行く。
 のたうち回る火麻呂の真横に倒れる大木。
 衝撃で半身を起こした火麻呂が見たのは大木を避けきれずに谷底に落ちて行
く母の姿だった。
「母刀自!」
 崖っぷちに走りこみ、千尋の谷を覗き込む火麻呂。
「母刀自ーッ!」
 虚しく嵐にかき消される火麻呂の叫び声。
 放心状態の火麻呂が地べたに座り込んだ。

 そんな様子を遠くで伺う人影が、一つ、二つ、そして三つ、黒麻呂とその配
下だ。
 配下に囁きかける黒麻呂。
「確かめてこい」
 谷へ降り始める二人の配下。岩や蔦を巧みに操って易々と降りていく所を見
ると、恐らく山の司だ。
 火麻呂に忍び寄る黒麻呂、背後に立ち止まった。
 気配を察した火麻呂が背筋を伸ばした。
「黒麻呂、何を企んでいる」
「面白い物を見せて貰った。礼を言うぞ火麻呂」
 足元の火麻呂の太刀を蹴り上げる黒麻呂。
 空中に翻る太刀が火麻呂の手前に落ちた。
「火麻呂、太刀を取れ」
「糞と子虫にじゃれる蛆など相手にする気は無い」
「大伴も糞も藤原も無い、我が主はただ一人、伯父雪連白麻呂じゃ」
「無様な姿でうろつきまわっては、極楽浄土の母に合わせる顔が無い、さあ、
早く殺せ」
「あいにくだが火麻呂、伯父は見張れと命じたが、殺せとは言っておらぬ」
「つべこべ言わずに早く殺せ」
「そんなに死にたいか?」
「おう、覚悟は出来た。気が変わらぬ内に殺せ」
「合い分かった。そうまで言うなら殺してやろうぞ」
 居住まいを正して静かに目を瞑る火麻呂。
「行くぞ火麻呂!」
 火麻呂の数間手前で大きく身構える黒麻呂、摺り足で数歩間合いを詰めた。
 気を集中して間合いを図る火麻呂。
「そこからでは俺の首は落とせぬぞ」
「この黒麻呂に落とせぬ首などこの世にない」
 背中の長刀を引き抜く黒麻呂、右足を垂直に高く上げ、左足で反動をつけな
がら大きく踏み込んだ。
「オリャア!」
 袈裟懸けに火麻呂の首を目掛けて振り下ろされる太刀、届かぬと見えた瞬
間、魔法のようにスッと伸びて火麻呂の首を襲った。
「逆賊火麻呂の卒首、確かに貰った」
 ピタリと首筋で止まる太刀。
 ゆっくりと太刀を引く黒麻呂。
 火麻呂の首に降り注ぐ雨が赤く染まった。
「口ほどにも無い、仕損じたか黒麻呂」
「さすが筑紫で勇者の誉れが高い吉志火麻呂。首になっても強がりを言うてお
るわい」
 懐から白い布を取り出す黒麻呂、大げさな身振りで火麻呂の首を包みこんで
たっぷりと血を吸わせた。
 血だらけの布で太刀を拭き、刀身に血をたっぷりとつける黒麻呂、天を仰
ぎ、今度は雨で濡れたその布を顔の上で絞った。
 長刀を肩の鞘に収める黒麻呂。
 黒鞘に火麻呂の血痕が落ちて赤い結晶がまた一つ増えた。
 赤き血潮に塗れた顔で耳を澄ます黒麻呂。
 風雨にまぎれて人馬の轟きが聞こえてきた。
「冥途で待っていろ火麻呂、この決着は地獄でつけてやる」
「おう!」
「さらばじゃ」
 脱兎の如く駆け出す黒麻呂。
 豪雨の彼方で人馬の影が揺らいでいる。
「逆賊吉志火麻呂、討ち取ったりーッ!」
 叫びながら駆ける黒麻呂、子虫の率いる兵団の手前で仁王の如く立ち止まっ
た。
「大宰府大野城隊正従八位下雪連黒麻呂! 逆賊火麻呂を母親もろとも地獄へ
落として参った!」
 満面笑みを浮かべて馬を留める子虫。
「でかした黒麻呂」
 血塗られた布を翳して吼える黒麻呂。

 両膝を折り曲げ、絶望の中で天を睨む火麻呂。
「神も仏も呪わぬのか! 悪逆非道のこの火麻呂に天罰は下らぬというの
か!」
 天が火麻呂に応え、閃光が閃き、暗雲が不気味に動き回っている。
「おのれ極楽になど行ってなるものか、かくなる上は、悪行の限りを尽くし、
地獄に行かずにおくものかーッ!」
 大地が揺れ、魔王が火麻呂の望みに応えた。
 語るべき言葉の無いまま、崩れるようにして蹲った。
「ウオーッ! この目で真の地獄を確かめてくれん、葛麻呂! 雅! この火
麻呂が行くから待っていろーッ!」
 悲痛な叫びを上げながら、仰向けに倒れこむ火麻呂、大の字になって天地に
身を晒した。
 悩める火麻呂の身体に容赦なく豪雨が降り注いだ。

 さて、どうする火麻呂。
 冥途に向かってまっしぐら、
 今生になど暇を乞え、
 死ねば地獄、生きてなお地獄。
 冥府魔道に進め!
 実の母親をも殺そうとした悪逆非道の漢、火麻呂。
               (防人の歌 完)
2016年12月9日  Gorou  


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