アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

炎の男、火麻呂 能登国風土記 Ⅰ

2016-12-09 16:21:36 | 物語
 一
 九月だというのに、冬のように冷え込んでいた。
 基皇太子の運命を悼むかのように、この日は夜明け前から京師中が深い霧に
覆われ、その霧の中から陽気な声が沸いてきた。
「めだたやめでた。天離る鄙、能登国に内乃兵、大伴の大守がお出で下さると
いう。めでたあ~めでたあ~の若松様よ。我等能登の住人がお祝い申し上げ奉
る」
 猿面を被った乞食者が三人、右京二条の大伴葛麻呂邸の前で口上し、寿(ほかき)歌と
して能登の民謡を歌いだした。
「はしたての、熊来のやらに、新羅斧、落とし入れ」
 異様に背の高い男が歌い、巨漢と中肉中背の相棒が合いの手をあげた。
「ワッショイ!」
「ワッショイ!」
 能登軍団の兵士たちが一緒に合いの手をあげて喜んでいる。
「かけて、かけて、な泣かしそね」
 中背の男が手をひさしにして海の底を覗く真似をしておどけた。
 ドッと笑う群集。
 高楼で見物していた雅も、乳母も妹千代も心の底から笑った。
 雅はこの日も藤衣に紅紫の裳をはいていた。
 藤模様の藤衣に蘇芳色の裳と決めていたのだ。
「浮き出ずるやと見む」
 腰を屈めて浮き上がる筈も無い鉄の斧を待つ中背。
 巨漢が左足を上げて四股を踏んだ。
「ワッショイ!」
 今度は右足を上げて四股を踏む巨漢。
「ワッショイ!」
 相撲取りの如く、すり足で前進して再び四股を踏む巨漢。
「ワッショイ!」
 能登の兵士も大伴の衛士も大喜びではしゃいでいる。
 熱気が冷気に触れて沸き立つ湯気の如くに煙っていた。
 雅がこんなに笑ったのは久し振りだった。お腹の子も一緒に笑っているのか
もしれない、そっと掌でさすると、ピクリと動いた。
 乳母から息子を受け取る雅、生後十月程になる毛虫が甘えて項に抱きつい
た。
 基皇太子が重い病に掛かり、暗く静まり返った京師でこの葛麻呂邸だけが明
るい笑いに沸いていた。
 こんなに騒いでお咎めが無いだろうか? 不安になる雅、だがすぐに忘れて
また笑った。
 三人が声を合わせて別の民謡を歌いだしたからだ。
「香島嶺の、机の島の、しただみを、い拾い持ち来て、石もち、つつき破り」
 高楼の端で笑いを浮かべながらも警戒を怠らない左衛門府大尉熊来鹿人。
「早川に、洗ひ濯ぎ、辛塩に、こごと揉み」
 鹿人に微笑みかけ、目配せを送る雅。
 雅の視線に気付いた鹿人が傍に来て露台の傍らにひざまずいた。
「しただみというのは?」
「ちいさなそれは美味しき貝で御座います」
「高坏に盛り、机に立てて、母にあへつや、目豆児の刀自、父にあへつや、身
女児の刀自」
 まだ見ぬ能登の風景を浮かべようと目を瞑る雅、暗い海だけが果てしなく広
がった。
 夫葛麻呂の新しい任地を少しでも知りたいと思う雅、能登の豪族鹿人に囁い
た。
「鹿人様、能登とはどのような所で御座いましょうか?」
「能登にはまいもんがたくさん有りましてな、やさしい所で御座います」
 荒々しい波が飛沫を上げている。
「どのようにやさしいのですか?」
 暫く考えてから答える鹿人。
「人と海はもちろん、土までも」
 ああ、きっと物成の良い所なんだと想像する雅、暗い海に日が差し、大漁に
沸き立つ船団が群れている。
 雅の意識は深海から陽光の煌めく海面を目指していた。
 雅の廻りには海豚が群れ、共に海面に向かって上昇して行く。
 航行する船団の狭間から虹色に煌めく陽光が舞い降り、その光の中に雅の意
識が飛翔した。
 肢体を跳ね上げ、高く、そしてより高く跳ねる雅、眼下に能登の海を凱旋す
る漁船団が見え、海に続く平野に平城京師に向かって伸びる官道が見えた。
 御詠歌の節回しで賛嘆を歌いながら、一人の遊行僧がゆっくりと、ゆっくり
と歩いていた。
 富士に似た小さな山から真白き連峰に向かって伸びる官道、その手前の田圃
では人々が歓喜の中で田植え祭りをしていた。
 ピーヒャラ、ピーヒャラ、ドンドンドンドコ。
 畦に群れた若者たちが笛と太鼓で音頭を取りながら飛び跳ね、踊っている。
 子供たちが真似て飛び跳ね、無邪気に喜んでいる。
「アラサノサッサ」
 早乙女たちが一斉に合いの手をあげながら、田に若苗を植えて行く。
 若苗は見る見る生長し、黄金色に輝く稲穂がたわわに実った。
 稲穂の中から陽気な声が沸いてきた。
「ワッショイ! ワッショイ!」

 猿面から鹿と虎と狩人武者の面に変えた乞食者が鹿の詩を謳い出した。
「いとこ、汝背の君、いとし、いとしのお立会い」
 武者面の背高が虎面巨漢の首根っこを捕まえて語りだした。
「居り居りて、物にい行くとは、韓国の、虎といふ神を」
 武者面は、八頭の虎を朝鮮国で生け捕りにして八重の畳にその皮を織り込
み、四月から五月にかけての薬猟で、八つの梓弓と八つの鏑矢を用意し、獲物
の鹿を香島嶺で待つと、牡鹿が出てきて嘆いた、と面白おかしく歌った。
「たちまちに、我は死ぬべし、能登大守に、我は仕へむ」
 と、今度は鹿面中背が歌いだした。
 鹿人の脳裏に香島での薬猟が掠めた。そして、後に伝説ともなった宿敵鹿王
の雄姿がありありと浮かんだ。
 鹿王は香島に閉じ込められた鹿の群れの王である。とびぬけて雄大で美しい
姿を誇り、鹿王だけは海を渡ると信じられていた。
 鹿人は、左衛門府への出仕で中断されていた鹿王との対決に心を躍らせた。
「鹿王よ、賢く強い鹿の中の鹿の王、鹿王よ、彼の島の真の王、汝を倒すのは
この鹿人をおいて他にはおらぬ」

 葛麻呂邸で鹿面の嘆きが続いている。
 私の角は笠の材料、私の耳は墨の壷、私の両目は澄んだ鏡、私の爪は弓の弓
弭、私の毛は筆の材料、私の皮は手箱の覆い、私の肉は膾の材料、私の肝も膾
の材料、私の胃袋は塩辛の材料となって能登大守大伴葛麻呂様のお役に立つ、
と嘆いた。
 風が吹いて霧を棚引かせ、路地の向かいの柳葉が揺れた。
 枝垂れる柳葉の影で様子を伺う怪しい影が二つ。
 盗賊となった火麻呂と、その懐刀狐塚来寝麻呂だ。
 火麻呂は、国替えで能登の国守になった葛麻呂の館に手下を乞食者に窶して
送り込み、柳の木陰で様子を伺っていたのだ。
 この時、火麻呂の手下は五十人を超え、般若党と恐れられていた。手下の中
に般若四天王と呼ばれる男たちがいる。七尺を超える大男蛇火裟麻呂、残虐無
比の速足南火血麻呂、相撲取り上がりの巨漢槌麻呂、女と見まごう美男子で狐
のように悪賢く、女狐の腹から生まれたという伝説の持ち主狐塚来寝麻呂であ
る。
 火麻呂の視線は雅に釘付けになっていた。霧で霞んでいたが雅に間違いなか
った、しかも葛麻呂の児を抱き、明らかにもう一人身篭っている。
「随分いるな」
「ここにいるだけで百は下りません、恐らく二百人はいるかと」
 ひそひそと話を交わす火麻呂と来寝麻呂。
「ここは朱雀門と目と鼻の先、とても襲撃は出来ません」
「仕方が無い、道中を襲うか」
「奪える財宝が少なく、誰も付いて来ないでしょう」
「もともと鬼の三兄弟など当てにはしておらぬ。汝が加勢してくれれば十分
だ」
 雅は乞食者に気を取られてそんな二人にまったく気が付かなかった。
 雅を見詰める火麻呂の目が怒りで燃え、藤衣の刺繍された模様が藤浪のよう
に揺れた。
「老いたる奴、我が身一つに、七重花咲く、八重花咲くと」
 鹿面の嘆きを聞きながら、手にした弓を幹の陰から引き絞る火麻呂、
「冥土の土産を見舞って呉れる」
 と、揺れる藤浪の雅に狙いを絞った。
「申しはやさに、申しはやさに」
 嘆き終わる鹿面。
 鬼の三兄弟が揃って、
「賑々しくご奏上下され、賑々しくご奏上下され」
 と歌って楼上の雅に恭しく御礼を捧げた。
 拍手喝さいに沸く葛麻呂邸。
 侍女が走り出て三人に祝儀を渡し、兵士たちが鬼の上に銭の雨を降らせた。
 おどけた様子で銭を掻き集める鬼の三兄弟。
 火麻呂の弓から矢が放たれ、ヒューッと鳴った。
 その鏑矢の音を合図に霧が晴れて行く。
 雅に向かって一直線、と見えた鏑矢が傍らの柱に突き刺さった。
 葛麻呂と雅に対する宣戦布告の挑戦状に騒然となる葛麻呂邸。
 毛虫の上に被さって庇う雅。
 素早く高楼を降りた鹿人が門前に走りこんで賊の逃げる先を見た。
 二十人程の兵士が追い、 邸内から走り出た衛士が門を固めた。
 用心深く火麻呂たちが逃げた反対側を見返る鹿人、三匹の鬼が逃げて行く、
長身の黒鬼がチラッと振り返った、面を取っていたその顔に驚く鹿人。
「おのれ、京師で盗賊になっていたか」
 三人は能登熊来郷で鬼と恐れられた罪人、蛇火裟麻呂、南火血麻呂、槌麻呂
の三兄弟だったのだ。
 高楼で呆然と逃げる賊の後姿を見やる雅、もしかしたら、いや、紛れも無く
火麻呂に違いない。秋の陽だまりの中を脱兎の如く駆け抜けるその後姿は、葛
麻呂から死んだと聞かされていた火麻呂に違いない。
 雅の心の中で、あらゆる感情が渦巻いた、悲しく恐ろしかった、が、嬉しか
った。
 毛虫を掻き抱く胸が希望と期待に膨らんだ、顔を紅潮させる雅、その美しい
手が柱の鏑矢を愛でて優しく撫でた。
 秋には珍しく、佐保山から風が吹き、正午を知らせる退朝鼓と共に合唱する
読経が漂ってきた。
    2016年12月9日   Gorou


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