【症状が出てから診断を受けるまでの履歴】 (過去のカレンダーに仕事や予定を記録してるので改めて、「こうだったか」と自分でも驚いた)
●2007年2~3月
その時の様子は今でもハッキリと覚えている。仕事の残業があったが背中の痛みが我慢できなくて職場の上司に理由を言って早退させて
もらったのが始まり。
実はこの痛みが起こる前の2ヶ月前から腰と脇腹に痛みがあって同じ仕事をする上司や同僚に同じような症状があるか聞いていた。
早退後は早めに寝て「疲れなんだろう」と普通に思ったが痛みが酷くなり、日常生活も辛く結局19日間休んで3月になっていた。
仕事ができるくらいになったが今度は腹部に鈍痛が起こる。
●2007年4~6月
内臓に異常があるんだろうか?と内科で検査を受けるが異常はない。内科の痛み止めの薬を飲んでも効かない。
体も重くなり吐き気が続くようになる。
●2007年7~8月
内科の薬局の人に「骨からきてるかも?」と言う言葉から整形外科に行ってみた。内臓の検査をすることで大きい設備のある病院を紹介されて
胃カメラや腸のCTスキャンで検査してみたが異常はなかった。
整形外科でヘルニアから腹部の痛みがきてるかも?という事でMRIを受けるがたいして異常はなし。漢方薬を処方され飲んだが痛みは取れない。
軽度の椎間板ヘルニアに疑いを受けリハビリをやったが1回で辞めた。特に腰の牽引はネットで後に腰痛の原因になる確率が高いことがわかった
からだ。調べるとリハビリは複数のプログラムを組むため牽引の成果結果がでておらず根拠がないと書いてた。
(後に2008年12月の事故で違う病院のMRI検査を受けたがヘルニアではないと診断されてる)
仕事は残業なしで週に3~4日休むようになっていた。
●2007年9~10月
病院では何もわからず治らないので自分でネットで調べて、筋肉(筋筋膜痛症候群)の異常かも?と思いスポーツ整体師に通う。1時間6000円
だったかな。初診で稀にみる重症だと言われたw 1回目の通院でマッサージ後は体のあちこちが筋肉痛ていどの痛みだったが、翌日は驚くほど
体が軽かった。 「そうこの感じの体だったんだよ」 と以前の自分の状態を思い出すくらいだった。ただ3回目の通院の時には変化はなく、先生も
「これ以上期待できない上にお金もかかるし、他の整体師でも診てもらった方がいいかも」 と、お手上げ状態になっていた。
フォローするわけではなく、ここの先生は評判も良く経済面を考えてくれて技術向上を目指す良い人でしたよ。今は都内に移転して営業してます。
疲れたかなぁ程度の人なら整体はオススメしますね。女性は日頃から体のメンテナンスを考えてるようで客も9割は女性でした。男はなかなか
労働時間も長いし体の気遣いはしない方だから酷くなってからくる人が大半だそうです。1回目のマッサージは自分でも見違えるほど効いたからね。
●2007年11~12月
次にしたことはストレス面のリフレッシュや健康を考えて温泉ということでスパに通いました。入場料の高いところでしたが意外に混むのね。
おばちゃん達(少なくとも自分よりはという意味w)と話してみると、「温泉地に泊まりで旅行に行くよりは近くて安いわよ」だって。 なるほど。
●2008年4月中旬~6月
仕事も週2~3日の休みでだましだましやってきたが痛みが悪化。日常生活もままならず2ヶ月以上休む。
その間ネットで医学的に線維筋痛症という病名があることを知る。自分と症状がよく似ている。「まさか!?おれがこんな病気になるわけない」
と信じられない自分がいる一方、現状は最悪だった。一般の病院の医師では病名すら知らないという。すがる思いで専門医のいる病院に電話予約
をした。幾つかの病院で聞いたが、どれも診てもらうのに5ヶ月待ちだった。この先まだ苦しむのか!と思ったが、これで原因がハッキリするなら
頑張るしかない。色々調べるとアナウンサーが自殺した病気だったこと。原因不明で治療法がないこと。知れば知るほど驚いたし不安にもなった。
職場では長期欠勤をしている自分に憶測が飛ぶようになっていた。後から上司から聞いた言葉だ。
「仕事が嫌になったんじゃないか?」「わがままで休みたいだけじゃないか?」「体調不良は気のせいで考えすぎてるだけ」 など、
とても悔しい言葉だった。最初に19日休んだ時に「首にされても仕方がないと思ってます」と自分からは言ってある。これまでも週3前後の休みに
してもらっているので、上司とは体の話がでる度に辞めても良い意向は何回も言ってあるだけに仲間うちからでる批難の言葉は悔しかったし、いくら
説明しても理解してくれてないんだと思った。
見た目では健康に見える。一定ではない痛む箇所。それがこの病気だし健康な人から見れば仮病に見えても当然だろう。
●2008年7~9月
職場で週1日でも2日でも助手として出勤して欲しいとなったので半月くらい出勤するようになる。仕事が特殊なので新人が来たせいもある。
生活費のお金はもうスッカラカンだったが体の方が正直きつかった。体のあちこちに痛みが走り、吐き気は胸が絞られるように毎日100回以上。
体は鉛のように重たい毎日。
●2008年10月
体も限界にきていて週1日の出勤だった。自力で生活はできなくなっていたので田舎の実家で厄介になることを考えていた。親も電話の話で
病気のことは内心疑っていたんじゃないかと思うw
30日。予約していた病院で診てもらった。病名がわからなくても糸口だけでも掴めればいいと思っていた。仮に癌だと言われても驚きはしない。
逆にこれまでが苦しかったので安心できる。
結果あっさり「線維筋痛症ですね」と診断。
嬉しかった! 病気なのに嬉しかった。「異常はありません」と散々言われたこの体を病気と認めてくれる医師に出会えたことが本当に嬉しかった。
嬉しさのあまり病院帰りのその足で会社に行き診断書を見せにいった。
31日に仕事で事件(警察沙汰)が起きて助っ人出勤になりましたとさw
【それから】
●2008年11~12月
処方された薬(ノイロトロピン)が自分に合っていて痛みを緩和してくれた。上司曰く「別人のようだ」 それくらい体が動けるようになった。
ただ師走で忙しく事件のせいもあり週1の休みで12時間以上働くことになった。痛みや他の症状は治らないまでも緩和されてるおかげで
辛かったが働けた。何より普通に生活できるだけ有難いと思った。
12月20日 仕事中(ドライバー)高速道路から降りてきた車に信号無視80Kmで突っ込まれました。
若い頃や病気になる前は思わなかった事だけど、人生って何が起こるかわからん。