夏休みはゆっくり出来ましたか?
今年は8/11が祝日で12日も休みの会社が多く、ゆっくりできたお盆休みとなったのではないでしょうか!
私のお盆休みは朝ジョギングし、その後オリンピックを観たり、本を読んだりと、充実した休みとなりました。
ジョギングは朝の6時頃からゆっくり長い距離を走りました!
お盆期間中だけで計約14㎞も走ることが出来ました。昨年までは歩いていましたが今年はゆっくりですが走っていることに充実感があります。緑の中を走る爽快感、達成感は何とも言えません!生きている!を感じます。8月は延べ35㎞超える距離を走るかもしれません。
オリンピックは楽しみました!
放映する時間帯がちょうどよかったのかもしれませんがこんなにはまるとは思っていませんでした。水泳、柔道、卓球、体操、テニス…。みなさんもいろいろ記憶として残っているのではないでしょうか?
私はメダルの色や数よりも最後まであきらめない姿勢に興味があり、そこに感動を覚えました。テニスの準々決勝の大逆転、体操団体・個人、バトミントン、卓球、たくさんありました。
一生懸命で最後まであきらめない姿勢は人を感動させ、惹きつけます。
中でも特に感動したのは競泳女子200メートル平泳ぎの金藤理絵選手です。
準決勝では想定より2秒遅い、2分22秒11。原因は足の動かいし方が微妙にずれ、うまく水をとらえられなくなっていました。決勝まで23時間しかありません。レース前のウォーミングアップは1000mほどしか泳がないところを、3倍に増やし、疲れるのを覚悟の上で修正の糸口を探ったとのこと…。ここまでするのか!と思ってしまいます。
2008年に北京五輪に初出場し、7位入賞、翌年には日本記録を出しますが2010年に腰を痛め、2012年ロンドン五輪は…。コーチに反発しながらも信頼し、家族や周囲の方、コーチの家族にも助けられてのメダルです。言葉にならない感動やエネルギーをいただきました。
いかに死んでみせるか -最期の言葉と自分―
漫画家、弘兼憲史さんの本で50歳からの「死に方」に続く本を読みました。
最期の言葉に接することで見えてきたのは、その人の「死にざま」であるのと同時に「生きざま」だったということです。どのように死ぬのかは、どのように生きたかの延長線上にあります。
ゲーテは、「もっと光を!」と言い残し、シーザーは、暗殺者の一団の中に、自分の片腕と信じていた男を見つけたとき、「ブルータス、お前もか」と叫びました。
自分はどんな最期の言葉を遺すのか、と自問してみるのも、人生にとって意味のあることではないでしょうか!
「笑って、さようなら」編、「しみじみ、グッドバイ」編、「最期にありがとう」編等があり、大変参考になりましたので少し紹介します。
まず、スティーブ・ジョブスの最期の言葉
「私が勝ち取った多額の富は、死ぬ時に一緒に持っていけないが、愛はもっていける。私が今、死とともに持っていけるものは、愛に溢れた思い出だけなのだ」
約8600億円の財産を残し、誰が考えても人生の成功者であるスティーブン・ジョブスが喜びの少ない人生だった…。誰が想像したでしょうか!深い言葉で、誰でも考えさせられるものがあると思います。
追伸でティムクック(アップルの後継者)へ「スティーブならどうするだろう?」と考えるな!とも書いています。
「俺が死んだら、俺の生まれたパリに骨を埋めてほしい」-穴山千代吉
死期を悟った千代吉さんは入院中のベットで、そばにいた奥さんを手招きしました。
「人に聞かれたら困るから、耳を貸せ」何かと思って耳を近づけると、こんなことを行ったそうです。「はいはい、よくわかりましたよ。あなたの生まれた会津磐梯山の麓に埋めてあげるわよ」きっとベットの中で最後に何を言って奥さんを笑わせようか考えていたのでしょう。ユーモアを忘れません。
「となりの部屋に行くんだ。仕事する。頼むから仕事させてくれ」-手塚治虫
生きることの大半が仕事をすること、漫画を描くことで仕事をしていないのは寝ている時だけで、その寝ている時間も1日2時間だったといいます。胃がんであることは本人に伏せられ、最後は病院のベットの上で昏睡状態になりながらも、意識が戻ると「鉛筆をくれ」と言ったそうです。考えられないほどの気力と執着心です。ここからも天才と生命を感じます。まだやりたいことがあるんだ!
「永久にサヨナラ 輝夫より」-特攻隊の手紙
御母様。
いよいよ、これが最後です。
小さい時より御心配ばかりかけてきた私でありますが、今こうして出撃命令を受け取ってみると、なんだか一人前の男になったような満足感が全身を走ります。
いよいよ一人前の戦闘操縦者としてお役に立つ時が来たのです。
一族の名誉にかけても必ず必ず頑張ります。
おやさしい、日本一の御母様。
今日トランプの占いをしたならば、御母様が一番よくて、将来最も幸福な日を送ることができるそうです。御父様も日は長くかかるようですが、帰ってきて一緒に暮らすことができるそうです。
輝夫は本当は三十五歳以上は生きるそうです。しかし、大君の命によって、国家の安泰の礎石として征きます。(中略)
短いようで長い二十年間でした。よいことも悪いこともすべて忘れて、ただ求艦必沈に努めます。
発表は、お盆の頃でしょう。今年のお盆は初盆ですね。
山を眺めると、福島の景が想い出されます。
では、元気で行って参ります。
御母様へ
永久にサヨナラ
国に決められた悲しい最期でした…。
最後の言葉は…家族に対して感謝の思いが伝わってきます。
終戦日とあいまって、人の「死に方」、自分の「死に方」について、最後まで諦めないオリンピックのアスリートを観ながら考えてみました。
夏休みが終わり、子ども達は元気に登校していると思います。家ではお母さんが「ほっ」としている頃でしょうか…。
お盆が終わり、今年の折り返し地点をターンしました。
2016年のゴール目指し、後半も頑張っていきましょう!
最新の画像もっと見る
最近の「思い出し日記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2010年
人気記事