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人生なんてたいしたことない

53年間のおもろい話とこれからを書いていこうかと・・・

反抗期

2007-08-08 15:54:16 | 親父の話

親父のせいで、家で気晴らしのできない私は、はけ口を学校に求める事になる。

特に中学の頃の私は、反抗期と言う事もあり、時々とんでもない行動に出た・・・・・

中学の社会科の先生は、コッパチ(おでこに指でぱちんとはじく罰)や正座を遅刻した人や宿題を忘れた人にしていた。これをやたらにやるので、私はとうとうキレタ

この先生、気さくで話しやすい先生だったので、機嫌のいい時に色々聞き出しておく。『先生の好きな食べ物は~?』とか、今日は何時に帰るかとか・・・世間話をして最後に『先生の嫌いな物は~?』と聞いてみた。本当に知りたいのはこの部分・・・・・

『わしは、赤いカニが大嫌いじゃ~!昔はさまれた事が・・・・』  へへへっ・・・

                                 ゲット!!しました。

馬鹿親父が晩酌に、茹でたカニを食った翌日、私の弁当箱の中に赤いカニ!!

おかずに何を入れてこようと、文句言えません。

昼の弁当の時間、先生を見つけて、『先生、弁当見せてあげる~!!』とカニを手に追い掛け回しました。

何せ先生は、小太り、運動嫌い、(でも、ソフトボール部の顧問)学校の中を必死で逃げます。(マジ、顔が引きつってました。) 

この先生、罰の時は、とても嬉しそうに私たちをいじめていたので、お返しを少しだけ・・・・・私はこの時、陸上部・・・・

それから先生は、私を見るとビクビクするようになりました。

でも本当に、生徒思いのいい先生でしたよ~!! (ホローになってませんが・・・・・・(笑)

 

 

 

 

 


言葉をしゃべらない子供

2007-08-04 14:45:48 | 親父の話

私が小学校に入って、初めての家庭訪問があった。

担任の先生が母に言いにくそうに・・・・・『お宅の子供さん、学校で一言もしゃべらないんです!・・・・・』と言ったそうな。

母は驚いたそうだ。

     どうも勉強も解っているのか、どうか意思表示が無いらしい。

               ( どうもアホじゃないかと思われたらしい!・・・・・・) 

母が先生にいった言葉もおかしいのだが・・・・『先生、子供に何か聞いてみてください!』

しばらくして先生から、『ちゃんと答えます!!話せます。』との報告が・・・・・・

                         

         どんな子供・・・・・・・??

       今では信じられない話だが・・・・・(苦笑)

これも親父の子育てに問題があるのだ。

親父は口答えをすると怒るのだ。当然子供は顔色を見るようになる。

日常会話でも、気を使ってしゃべるようになる。

               怒られない為には、しゃべらない事が一番なのだ。

(そのうえ好奇心旺盛な私にとって、学校で教えてもらう事が楽しくて、聞き役に回っていたと言う事もあったと思うのだが・・・・・・・・)

親父に言いたい事が言えるようになったのは最近だ。それでも怒らさないように気を使っているが・・・・・

妹や弟は今でも言いたい事が言えないらしい・・・・・・・

                 かわいそうに・・・・(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


夏の風物詩

2007-08-02 14:22:09 | 親父の話

蚊が出てくる季節になると、蚊帳を思い出す。・・・・・・

クーラーがどの家にもある今ではほとんど使われないが、私の子供の頃はどこの家でも夏になるとよく使っていた。これも我が家での思い出ではなく、ばあさんの家の思い出になる。

ばあさんの家では、寝る前になると決まった儀式のように、蚊帳を張る。

蚊帳を張る時間になると子供たちは妙におとなしくなる。遊びの時間は終わりである。

蚊帳に入る時もすばやく、絶対に蚊を入れないように入らないといけない。間違って蚊を入れると、大騒動になる。皆で蚊を退治しないと眠れないのだ!

何度か捕まえたを入れて楽しんだ。

田舎の蚊帳には、もっと驚く事がある。

    落ちてくるのだ!     いろいろな物が!!

ヤモリとかムカデとか私は遭遇しなかったがとか・・・・・落ちてくると、重さで蚊帳がたるんでやはり大騒動・・・・・田舎の夏もにぎやかである。

 

 

 


親父は思いつきでチャレンジする

2007-08-01 15:27:25 | 親父の話

商売に失敗した親父は、夏のある日、車にスイカを山ほど積んで帰ってきた。

たぶんそれで一儲けたくらんだのだろう。

私たち子供は、割れたスイカをたらふく食べられたので嬉しかった。

その夏は何度かスイカの山を見たが、翌年は違う物に手を出した。

ある日、うちに帰るとニワトリが100羽ほどケージに入って庭に居る。動物好きな私は興味津々。

大好きな卵焼きが食べられる!!

親父もだいぶ悩んだ事だろう。・・・・・・

       あんたには向かない・・・・・・・(娘のつぶやき)

しばらくすると、何事も無かった様に消えた!(苦笑)

親父は養鶏をやりたかったようで、卵を産む前の若いニワトリを購入したのだが、卵を産むまで待てなかったようだ・・・・・・・(笑)

 

 

 


行水(ぎょうずい)

2007-08-01 14:37:57 | 親父の話

納屋に住み始めたが、金がない。

共同トイレの横に、五右衛門風呂の風呂があるがほとんど使った事がない。

風呂は、近くの銭湯に通うのだが、夏になると親父は子供だけ行水をさせた。

昼のうちにたらいに水を張り、温めておく。井戸水は夏とても冷たいのでこれをやらないと倹約にならない。

夕方暗くなりかけると家の前に、縁台を出し、大きなやかんで湯を沸かす。

たらいに温めた水とやかんお湯を張り、順番に入る。今で言う腰湯!

この時だけは、母親がガーゼのハンカチに石鹸をつけて体を洗ってくれた。

(うちの母親は、親父と長男には手をかけるが、娘にはほとんど手をかけない。

別のバケツの上がり湯をかけた後、縁台のうえで着替えてそこでくつろぐ。夜風が気持ちよくて大好きな時間だった。

但し一つだけ気をつけないといけないことがある。

に襲われるのだ。たらいの中でも気持ちよく時間をかけると、どこかここかさされている。

何せ無防備な裸だから。

韓国ドラマでよく見る縁台とたらいの沐浴を見ると、いつもこの頃を思い出す。

人生の中で一番一日が長かった頃だろう・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 


むか~し昔おばあさんが川へ洗濯に・・・・

2007-07-28 13:45:51 | 親父の話

川に洗濯をしにいくと言う話があるが、家の母ちゃんは、まさにそれを実践していた。

町に出てきて、親戚の土地で生活していた昭和30年の初めは、家の隣に有る大きな川で、妹や弟のおしめを洗っていた。

ばあさんの家では、の有る所へつめたい水を汲みに行って、洗い物したり、野菜を冷やしたりしていた。    その泉は今は枯れて無い。

ばあさんの家の飲み水は、おおきなカメに入れられていてシャクですくって使っていた。水道の水になったのもかなり遅かったと思う。

 

親戚の納屋に住んでいた期間は、幼稚園から小学校5年生までだが、ここに住んでいる時が一番楽しかった。戻れるならこの頃が最高です。

水は、共同の井戸でした。母屋の隣に、井戸のポンプがあり周りには大きな石を敷き詰めた洗い場がありました。

朝、目がさめるとまずこの井戸で顔を洗います。初めの頃はつるべのような物でしたが、親父たちがポンプに変えました。ポンプを3・4回押して水の出るところへ走ります。水が勢いよく出て来るのであわてて顔を洗います。

顔を洗ったり、足を洗ったり、洗濯をしたり、夏は冷たく、冬暖かい井戸水を使えるのは、それだけで得した気分です。夏にはスイカが浮いていました.(笑)

 

 

 

 

 

 

 


ばあちゃんの里

2007-07-27 14:59:25 | 親父の話

ばあちゃんは、山を越えて嫁に来た。

ばあちゃんの里は、山をいくつも越えたところに有る。

そこには、ばあちゃんの弟夫婦が住んでいた。

親父が若い頃大変世話になったそうで、毎年夏休みに家族で遊びに行った。

弟夫婦には子供がいなかったので、親父の来るのを楽しみにしていた。

山の南斜面に、数件だけの集落でわらぶき屋根の家だった。家の前の畑には、三椏こんにゃくを植えていた。

わらぶき屋根の家は、囲炉裏の有る板の間と畳がしいてある奥の間だけで、板の間の前に土間が有る。昔話の世界だ!。

黒光りする自在鍵、湯気の立つ鉄なべ・・・・・軒の下に並べられた薪・・・・・・・

踏み込まれてつるつるの土間。

蛇さえ居ないのならこんな所に住みたいといつも考えていた。

今は二人とも亡くなって朽ち果ててしまったが、大切な思い出である。

そこから少し離れたところに、もう一軒親戚があり、そこには同年代の子供が居た。男の子は、私たちが行くと川でうなぎや川魚を取ってもてなしてくれた。

川の水はとても冷たく、さすがの私も泳いだことが無い

囲炉裏には大きくて長い木がくべられ、そのオキでとうもろこしを焼いてくれた。

ずぼらな私は、囲炉裏の前でご飯ができて、火の横でごろんと寝られる生活が大好きである!

 

 

 

 

 


親父の職探し

2007-07-27 13:51:18 | 親父の話

元々人に使われるのが嫌いな親父は、親戚の手伝いの合間に、金を稼ぐことを考えた。

この頃、母ちゃんの弟も仕事を手伝うようになったので、うまい商売を見つければいつでも金儲けできる体制になっていたのだ。

そのうえ、親戚の家なので家賃もタダに近いし、子供は就学前だし、水は井戸水だし(親戚の持ち物)、光熱費も家の明かりくらいだし。儲けた金はすべて親父の物になった。

親父は儲けた金で、トラックを買い、義弟に免許を取らせた。

そのトラックで、建築資材(砂、砂利、栗石)の卸と配達の仕事を始めた。

これが順調に行って、しばらくすると家を建てる仕事まで始めた。

この間4・5年しかたってないし、親父は建築の勉強さえしていない。暴挙である。

タダ親父は、とても器用なのだ!!

時代もそんな時代(どんな?)だったので建築許可もちゃんと取れた。

私は親父の建築現場についていくのが大好きだった。

親父の子育てで、私が感謝していることがある。親父は私を男らしく育ててくれたことだ。お親父から女らしくしろといわれたことが無い。

なにせ結婚前にダンプに乗りフォークリフトを運転していたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最近の親父

2007-07-26 13:21:39 | 親父の話

今、親父は百姓をしている。

自分の実家の近くに、広い土地を買い米まで作っている。昨日もかぼちゃを取りにこいと電話があった。

凝り性で、飽きっぽい親父はここで、烏骨鶏を飼い、横の川でアメゴを養殖し、しいたけを栽培して、お墓に飾るハナシバを作って小遣い稼ぎをしている。

50数年前百姓が嫌で、家を出たんじゃね~のか!!

人間なんて死ぬまで判らんもんです・・・・・・・

 

 


卵焼き

2007-07-26 08:22:13 | 親父の話

 

卵焼きは、めったに食べられない貴重品?!  

我が家が貧乏だったと言うこともあるが、卵焼きには強烈な思い出がある。

夏休みになると、一人しか居ないばあさんの家に泊まりに行った。親父が、弟に譲った実家だ。ばあさんと弟夫婦、4人の子供が住んでいる。

ここに泊まると、朝食に卵焼きがてくるのだ。

おばさんが一個の卵を丁寧に焼いてくれる。    我が家では、特別なのは親父だけで、私の為に卵焼きを焼くなどと言うことが無かったので、この卵焼きには、私だけお客さん特別!の意味がこめられていてうれしかった。

  しかし~!!  

この卵焼きが食べられるのは、お客さんのとここの長男だけ!妹3人にはないのだ!!

このばあさんの家の朝食儀式は、ずっと続いた。気がつかなければ、幸せだったのだが、ある日妹たちの視線に気がついた。

特別は、幸せを感じるが、特別じゃない人の恨みをかっているかも?

それからは針の筵の上で、私だけの卵焼きを食べる苦行?の儀式になった。 

   

 針の筵に座っても卵焼きは美味かった!

 

貧乏人、美味いものには勝てません!!(笑)