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人生なんてたいしたことない

53年間のおもろい話とこれからを書いていこうかと・・・

親父と牡蠣

2008-11-15 13:05:21 | 親父の話

先日の北海道旅行、1日目の夕食はバイキング。

旅行前から牡蠣を食べたいといっていた親父、目の前に炭火で焼く牡蠣が・・・・・

妹が見つけて早速注文してくれた。バイキングと言いながらこの牡蠣は有料!(笑)

親父の持病は高血圧・・・・・だけどうまい物好き。たらふく食べさせたいが体のことを考えて2個にした。(但し、無茶でかい牡蠣!)

親父は焼き上がりをうまそうにペロリと平らげた。

実は親父、かなり昔牡蠣にあたって最近まで食べなかったはず・・・・・・私もそれを知っていたので牡蠣の料理は届けたことがなかった。

それが最近、広島の宮島で店の前で炭火で焼いているのを食べたそうで・・・・・牡蠣!牡蠣!とうるさかったのだ。

牡蠣料理もやっと解禁になったので昨日はカキフライを夕食前に揚げてスダチと一緒に届けた・・・・・・メチャうれしそうな顔をしていたが・・・・・まさか一人で食べたりしないでしょうね??

血圧の数値が下がらんから新しい血圧計を買ってきてくれ!などとふざけた事を言う親父。漬物と食べ過ぎに気をつけたら下がるかもよ・・・・・・(笑)


親父とライター

2008-10-30 20:28:07 | 親父の話

親父はヘビースモーカーである。今度の旅行でも休憩のたびに灰皿を探していた・・・・

去年の旅行で、飛行機に乗る時、持込で引っかかった・・・・・(笑)

耳が少し遠いのででかい声で説明する。『ライター持っているの??』『うん!持っとる!』・・・・・・『此処に出して!』

ホイホイと二個ばかり出す・・・・・・これで終わったと思ったら・・・・・『まだ此処にも!』と3個目を・・・・・悪気は無いのだが・・・・

係員も私も呆れて笑うしかない。

今年はどうか?  やっぱりやってくれました!

帰りに網走監獄で手錠とライターを土産に買っていたのです。(爆笑)

それを手荷物で入ろうとしたら・・・・・まず手錠で引っかかりました。『これは機内持ち込めませんから、下のカウンターで荷物で送って下さい。』との事・・・・・・

親父にこなせるわけも無く、私が自分の荷物を持って猛ダッシュ!

エックス線?を通すと・・・・・・係員が『中にライターが入っているので送れません!』

ライターの存在を知らなかった私、言葉に詰まります。(笑)

『ライターですか?・・・・・出しますから!』土産の紙袋を全部開けてライター発見!

妹と姪に一個づつ持ってもらって問題解決。

時間に余裕があったから何とかなったが・・・・・今度から金物とライターの土産は禁止!!と叫んでしまいました。

親父は土産を没収されなかったので嬉しそうでしたが・・・・・(笑)

 

 


親父はお出かけが好き。

2008-09-14 12:15:21 | 親父の話

昔から思いつきで行動する親父。

旅行なども思い付きから話が始まる。それも行き先だけ決める!(そのほかの事は行き当たりばったり!)

自分ひとりでは絶対行かない!誰か彼か巻き込むのだ。(寂しがりやだから??)

私が中学に入る頃自家用車を購入した。その頃から家族旅行が多くなる。

ある土曜日、話が始まった。『一畑薬師に行きたい!』

それはどこ?家族は場所すらわからない。話を聞いていると島根県の方らしい・・・・・

『此処からだと遠いので今から出かけよう!』

家族はのけ反りながらも従うしかない・・・・・・・(笑)

田舎ではまだ高速道路も整備されていなかったので、兎に角遠くて時間がかかるのだ。もう時効だと思うので書くが・・・・・・うちの家族は5人だが母の弟の叔父も同居しているので車の中には6人乗っている。(笑)

定員オーバーである。叔父は運転手なのだ・・・・・・・(泣)

夜道をどんどん走って岡山、広島の県境あたりに差し掛かり道に迷う!(爆笑)

夜道で現在地がよくわからない・・・・・(今ならナビがあるからこんな事は無いかも・・・・)

親父の決断は『此処まできたら、目的地は近い。ココで寝よう!』

仕方なく車の中で野宿??

狭い車内で団子状態で仮眠を取る事に・・・・・・・しばらくするとパトカーがやってきた。

懐中電灯で車内を照らし、職質が始まった。

道に迷って仮眠を取っている事を話すと、お巡りさんは笑いをこらえながら立ち去った。

翌日は一畑薬師、日御碕、出雲を回った。そして宿を探す事に・・・・・・・

親父はリサーチをしないのでまたもや行き当たりばったり。

昼過ぎ玉造温泉から宿探しが始まり・・・・・どこも気に入らないらしく車で少しずつ東へ・・・・・・私たちの脳裏には昨夜の悪夢が・・・・・(怖)

日もとっぷり暮れた頃やっと松江で宿を決めた。周りの名だたる温泉を避け、何で松江なの??

松江のために書いておくが松江にも温泉がわいている。(宿の人に聞いた・・・・)

しかし温泉情緒も味わえず時間に追われ・・・・・・思い出がない。(泣)

予約も無いから、食事もいい加減だし・・・・・金の使い方間違ってません??

こんな親父の影響か、私の旅行はリサーチから始まる。

 

 

 

 


遍路の思い出

2008-09-13 13:59:18 | 親父の話

私は四国88箇所参りの納経帳をもっている。

親父が週末になると家族を連れてお寺参りをした証拠だ。

今、思えば旦那と同じで親を亡くした供養の旅だったようである。

タダこれに付き合わされた忌まわしい記憶があるので、旦那の歩き遍路には付き合っていない。(笑)

親父の家族は自分の言う事を聞く僕・・・・的な生き方がこの旅にも生かされ・・・・・私や妹のトラウマになっている。

私は元々宗教関係の建物(神社、仏閣、教会)が好きで色々旅をしているが、親父と一緒に行く事はない。(宗教抜きの観光旅行は・・・・私が連れて行くが・・・・)

親父が主導権を握るお出かけ(旅行、遍路、買い物、食事会)は家族には拷問に近い物がある。(爆笑)

外食でもそうだ。私なんぞココ最近平気で楯突くが・・・・・他の人は、食べる物まで親父に決められる。(妹によると今でもそうらしい・・・・クワバラ・クワバラ・・・)

私は肉が食べられないので理由があるから断りやすいが、肉好きの妹はこの決定に従うらしい・・・・・・かわいそうに・・・・(笑)

金は親父が払うので、仕方ないかもしれないが・・・・・(笑)

遍路の時もそうだった。親父の気分次第だから・・・・・・昼食の時間が昼前だったり、2時や3時の時も・・・・・妹はふくれっつらでものも言わないし、母や私はすきっ腹を抱えて親父の顔色を伺う・・・・・どうです?拷問でしょう!?(笑)

親父は怒る事が親父の仕事だと思っているから、車の中でも家族は気が抜けない・・・・・・私たち家族は親父の前で冗談も言った事がない・・・・・親父が真に受けて怒り出すから。 お寺に着いて車から降りるのが嬉しかったような気が・・・・・(笑)

遍路の間、親父に気を使いすぎて・・・・・お寺の事をあまり覚えていないのは私だけだろうか・・・・(爆)

 

 

この旅が88箇所全部回り終わるまで続くんですから・・・・長くて辛いと思うでしょ。

 

 

 

 

 


親父ネタを一つ

2008-05-13 18:02:36 | 親父の話

先日・・・・・連休中に実家から電話があった。

巻き寿司を作ったから取りに来いと言う。取りに行くだけだったらと出かけてみると、妹家族が来ている。

せっかく来たのだから食っていけ!という事で宴会が始まった。(飲み会なら飲み会と言っておくれ・・・・・皆も連れて行くから・・・・・)

片付けをして、解散した。

それから義父の家の片付けや自宅の家事など忙しくしていて1週間ほど実家に顔を出さなかった。

またもや電話が鳴った。大丈夫か?元気なのかと矢継ぎ早に質問攻め。

顔を出すと(当然、夕食のおかず持参である。おふくろさんはこれを待っている。)親父が一言『一ヶ月もこなかったの~。』と言った。

親父、まだ呆けるには早すぎるぞ~!一週間しかたってないぞ~!(笑)

妹に話すと大爆笑!ショッチュウ来いと言う意味らしいが・・・・・・・

 

 

 

 


久しぶりの親父ネタ・・・・・

2008-03-12 14:26:56 | 親父の話

私の親父は、亡くなった義父と同い年。今年83歳になる。

義父の葬儀の時・・・・・私の兄弟と孫の前で・・・・・『わしももう長く生きられんから、毎日楽しく笑って生きる!』と宣言した。そして、『わしが入院したら、寂しいのは嫌だから毎日、見舞いに来てくれ!』とっ!・・・・・・指名制で呼ぶそうだ・・・・・・

そこにいた家族がドン引きしたのは語るまでもないだろう・・・・(笑)

義父もわがままに生きた方だと思うが・・・・・この人には及ぶまい!

子供も孫もいいやつばかりなので、親父の我が侭に最後まで付き合ってくれる事だろう(爆笑)

子供達はスープの冷めない距離にいて、何かあればすぐ駆けつける。家族の幸せってこんな事なんだろうと思う。

兄弟がいても、最後は息子家族だけで看取られた義父。生き方にどんな違いがあったのだろう・・・・・

親父、もう少しこの世を楽しんでゆっくり行けば良いからね~(爆笑)

こんな事、平気で口に出来る家族関係になった事が・・・・・幸せである!

 


昔の農家の床には・・・・

2007-11-13 18:30:27 | 親父の話

ふかし芋で思い出した。

私のばあさんの家・・・・・親父の実家の玄関の床下に室(むろ)があった。

収穫したイモ類を保存しておく場所だ。親父の姉の家にもあったから、農家の家にはたいていあったのだろう。

籾殻が一杯入っていて、その中に芋を保存している。焼き芋をする時おばさんが室に入って芋を出してきた。それを見てとてもワクワクした記憶がある。

室は四方と地面が赤土で出来ていたと思う。広さは3畳弱で高さが1・5メートルくらいあったかも・・・・・・昔の人の生活の知恵だ。

もう一つ・・・・・・田舎の台所には、大きな竹かごがあって、何個も天井にぶら下がっていた。この中には乾物が入っていて、そこから必要な量をとり料理を作っていた。

天井の方が湿気が無いから理にかなっている。

煮干や鰹節・・・・・干した野菜、高野豆腐、などの乾物が入っていた。

取り出しては又ぶら下げるところが面白く、見事に頭に当たらない高さだった。

子供の手が届かない・・・・・と言う利点もあったかもしれない(笑)

たまに、子供のおやつもココから出て来たから・・・・・・

 


先生の話

2007-10-23 14:24:33 | 親父の話

わらぶき屋根の家に家庭訪問に来てくれた先生。

新任でとても綺麗な先生でした。初めて担任を受け持つ事になったそうで、張り切っておられました。

このN先生・・・・・私の家のインパクトが強かったのか学校でもよく話しかけてきます。

それを見ていた友達が、私をダシにして先生の家に遊びに行く事を計画しました。

私は元々人と付き合うのが苦手だったので、この展開にびっくりしましたが・・・・・

当日、お土産を持って先生の自宅へ行きました。個人的に先生の家に遊びに行ったのはこれが始めて。

大体、私を気に入ってくれる事自体、この先生がとてもいい人だと思うのですが・・・・中学一年で人生をあきらめている私と違って、私たちの担任になって、嬉しいという喜ぶ、純真無垢な先生でした。

いろいろな行事を楽しみにしていたのに・・・・・・しばらくして体調を壊され入院してしまいました。

確か、見舞いにも行ったはずですが記憶が曖昧です。

学校を辞められて、翌年、画家をしている人と結婚するという話をしておられましたが・・・・・・今もお元気でしょうか?

この話を聞いたとき、中一の私は、先生はそのほうが幸せだと感じていました。

学校の先生をするには、心が綺麗過ぎる人でした。

この後、私の担任になった物知りげな先生には、とことん反抗しました。

私が反抗期で、母親が生活ノートに挟ん出会った手紙を、クラスメイト全員の前で読むという暴挙をやってくれた、大バカ野郎です。

その時の言い草が、母親の許可を取っているとか・・・・・・・母親もどうかと思うが・・

ますます人間不信になる出来事でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わらぶき屋根の家

2007-10-10 16:19:52 | 親父の話

わらぶき屋根の家に移ったが、私も思春期を迎えていたのか、この頃の家族の様子をあまり覚えていない。

家の全容も、覚えていない。

母屋の南に台所があって、その前に板の間の狭い部屋がある。そこだけが南に面して窓があったので、私はそこで寝起きをしていた。家族がどこで寝ていたかも知らない。

あの時期、家族はどんな生活をしていたんだろう??

私は台所の出入り口を使っていたので、玄関から出入りした記憶も無い・・・・・まん中の土間を越えて、座敷に行った事もない・・・・・・・・とにかく暗くて、入り込みたくない空間だった。

親父は、ジャガイモの収穫を終えると、わらぶき屋根の家を壊し、倉庫や資材置き場を建て始めた。

 

 

 


家の物々交換って・・・・

2007-10-09 14:10:49 | 親父の話

新しい家になって1年もたたないうちに又、家を引っ越す事になった。

今の家と100メートルも離れてない所だと言う。

家を見に行って、おったまげた!   なんとわらぶき屋根の家。どこで見つけてきたんだろうと思うほど・・・・・・玄関から家に入ると土間・・・・左右に部屋があるが、窓が無くて暗い。屋根も傾いていたような・・・・・・

町内の事はよく知っているつもりだったが、こんな家がこの町にまだあったんだ・・・・・・

親父に話を聞くと、こちらの土地が400坪もあるので仕事に丁度いいから、あの家と交換した!・・・・との事。

私は田舎の中学に入学して、このわらぶき屋根の家で、新任の若い女の先生の家庭訪問を受けた。先生もこの家の印象が強かったのか、こんな私をかわいがってくれた。

左右に部屋があるが、この土間の幅が広すぎて、飛んで渡れないのが難だった。

土地が広いだけあって、裏にはジャガイモ畑があってこの年だけ収穫した。

何ヶ月かこのわらぶきの家で暮らしたが、あまりにも暮らしにくかったのか、親父が又、次の行動に出た。(笑)

この土地には、もう一つ家があって、そこで商売をしていたらしいのだが、その家の改造を始めた。

その家のつくりも変わっていて、まともな部屋は6畳間だけ、あとは続き間で、2畳、4畳、3畳だけ・・・・その上6畳の間以外は全部、外に出る戸が付いている???

親父は3畳間を仕事の事務所にして、4畳間の横に台所と食事を取れる板の間を作った。2畳間の出口に風呂とトイレを増築した。(やっぱり五右衛門風呂!)

この後も親父は、変な家を建て続けた。金を貰って作る家は、ちゃんとした人が設計するし、仕事には几帳面な人なので親父に家を建てて貰った人・・・・心配要りません!(笑)

先日の手乗り鯉の池はココの台所の横にありました。ねっ!アンバランスでしょう。(爆笑)