源造のウキ浮き釣り日記

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無題

2012年09月05日 18時22分43秒 | 日記
叔父が亡くなりました。


68歳 クモ膜下でした。


母方の末弟で生涯独身を通した人でした。


私はあまり親戚付き合いが良いほうではないので、同じ市内に住みながら、ここ10年くらいは冠婚葬祭で顔を合わせるくらいしかしてませんでした。

その叔父が亡くなったという知らせが入ったのが日曜。

ちょうどイベントのスタッフをしていたので抜けられず、駆け付けた時にはもう家に戻って顔に白い布が掛けられた状態でした。

久しぶりにみる叔父の顔は、死に化粧のおかげかもしれませんが、今にも「おう!」と言い出しそうなほどあの頃となんら変わりませんでした。



叔父のそばで一晩過ごしました。

生前話せなかった分、夜中に話せるかなと思いましたが、そんな「異人たちとの夏」は起こるはずもなく。



母の生家に住んでいた叔父。

小さい頃に遊びに来た頃そのままの家。

というか母が生まれる前からの家は築約100年。


ススで真っ黒の天井

壁は土壁

玄関、キッチン、お風呂場は土間

トイレは家の外

リアル黒板五郎の家by北の国から(TV版)
「電気がなきゃ暮らせませんよ~」黒板純くんのセリフが聞こえてきそうです。

さすがに電気と水道は通ってましたが、エアコンはありませんでした。

当然、防犯と言う概念など無し。

もちろん叔父はロハスな生活を志向していたわけではなく、ただただ無頓着なだけだったのだとは思いますが、
ここで先週まで生活を営んでいたと言うことに驚くと同時に、心から叔父を尊敬しました。






叔父が幸せだったかどうか、私にはわかりません。





口が悪いのが有名な叔父でしたから、快く思っていない人もいたのではないかと思いますが、一報を聞いて多数の友人が集まってくれたという話を聞くかぎり、まんざら悪い人生ではなかったのかなと思います。


主の居なくなった家は早晩取り壊されるようです。

そこに叔父が生きていたということも時間とともに忘れられていくでしょう。

1/12000万の命が尽きたと言うだけの話です。
しかし語り継ぐものがないというのは忍びなく、ネットの宇宙の中の隅っこにあるちっぽけなブログですが、書き留めておきたいと思いました。




ただ、私のなかに残っているのは、幼い私達兄弟と遊んでくれた若き日の叔父の姿です。








今日も暑いです。



2012  夏


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