「マブ論」論

2008-07-12 04:04:35 | コラムだお(^ω^ )
ライムスター宇多丸(入院している方ではない)が描いた「マブ論」というアイドルソングを批評した本を、今さっき読了しました。(つっても、この記事に一時間半かかったから、今さっきでもないんだけどね)
 2000年から「BUBKA」で始まったっていったら、ピンとくるように、この連載のタイトルは、つんくの「LOVE論」から引用してるんだよね。この今、阿部内閣の閣僚のどたばたをネタにする位、ピンとこねえわ!感は御愛敬。
 じゃあ、何で今更八年間しこしこと書きためてきた原稿が、日の目を浴びるようになったのかというと、最近のPerfumeのブレイクのお陰としか言えないわけです。とはいえ、初期の初期から、Perfumeの新譜に高評価を上げてきた、宇多丸の努力が報われたってもんです。

 勿論、それだけで読み応えがあるってわけじゃなくて、ハロープロジェクトの斜陽が、生き証人的に書かれているところがメインといっても過言じゃないくらいに、面白かった。
 劇薬的に登場したモーニング娘。を始めとして、その横で志半ばに倒れていったアイドル達を、愛をもって批評するスタンスは嫌いじゃない。特に、松浦亜弥の成功と、対照的な後藤真希の迷走に関しての説明は納得できるほど、納得した。


 そもそも、玄人筋には早くから注目されてたPerfumeは、「アイドル冬の時代、最後の希望」だとか言われていながら、「ブレイクしたのは奇跡」だと言われていたのがあまり掴みづらかったのだけれど、理解できた。簡単にいうと、商業的側面から、アイドルは特に、コンセプトをぶらさずに作品を送り出すことは困難だそうです。それはアイドルに見られる、よく言えばジャンルレス、悪く言えば売れ線への迎合。んで、必ずしも、それがセールスに繋がらないという悪循環、後に空中分解。
 だけれども、Perfumeの場合はそのコンセプトをぶらさずに音楽的成功を納めて尚且つ商業的成功も納めちゃった事が、奇跡!ってな事です。

 だけれど、今後は、フォロワーにすらならない劣化コピーを含め、モーニング娘。がアイドルひいてはJ-POPのターニングポイントとしての役割を果たした様に、どうPerfumeが牽引していくかは、今後も見守る価値はある!はずだと思う。
 冷静に考えても、世紀末とはいえ、あの「LOVEマシーン現象」は異常だったんじゃなかろうか。さしずめ、鎌倉時代に末法思想が流行って、踊り念仏が民衆に広まった様な異様さ。


 そもそも、Perfumeが認知されるようになったきっかけはACのポリリズムのCMなんだけど、その起用された理由が、木村カエラがラジオでファンと公言、毎週音楽をかけるというパワープッシュだそうです。
 あまり言われてないような気もするんだけれど、これって木村カエラが、椎名林檎的な、「生き方」の羅針盤としての役割を持っているという意味でのアイドルって事の証明にもなってるんだけどね。
 木村カエラの活動は、かつて吉本ばななを、一夜にしてベストセラーにさせた小泉今日子ともリンクしないでもない。音楽制作陣にマニアックな人選をする所とか。


 僕もPefumeは好きなんだけれど、(卒論書いている時に、ヘビーローテーションだったんだよなぁ。それを当時アピールしてれば・・・・・・。)これほどまでに、正統派アイドルでかつ、音楽の質も高い、何より、アイドルに必須な、「何か分からないけど、グッとくる感」を持っているのって、凄くないか?と思う。顔面だけ見たら、初代プッチモニから、後藤真希を抜いて、保田圭を1.5人投入したレベルじゃないすか。(誰が誰かに当てはまるのかを詳細に語らない点で、限りなく俺の優しさ、そして、ちょこっとのLOVEを感じさせる表現)
 
 宇多丸も言っているのだけれど、「モーニング娘。は、オーディションに落選した女の子が集められた」という点をスタート地点とする「物語」と並行して活動する事が母体となって活動を始めた。

これはある意味で、「アイドルになる女の子は挫折を知らない」という前提の、ど裏をいく方法なのだけれど(これが前述した劇薬の意味)、その「物語」を発表する場(ASAYAN)がなくなったことを引き金に、一気に足元が崩れ去る。それと比べて、Pefumeには最初からその「物語」がない。
 広島でのB級どころかC級アイドルとしての泥臭いことをまったく排除しているところが魅力の一つなんだと思う。それを狙っているのか、天然なのか分からないけど。

 その上、歌詞の世界感の様に、手塚治虫的レトロフューチャーから飛び出してきた様なアンドロイドのような感じがするのが、藤子Fイズムを受け継いでる僕としては限りなくツボナノデス。
 特に、のっちなんて、まんま「火の鳥~未来編~」から出てきた様な気がするじゃん!!
 アイドルには必要不可欠な、処女性を強く感じる。アンドロイドにはそういうことは排除されてるからね。
 アイドルから、処女性が喪失したのは、「物語」と並行して活動していたモーニング娘。が、限りなくリアルに近い存在としての身体を手に入れるのと同時に、グラビアイドルがバラエティで、ぶっちゃけトークをすることによって、その幻想を打ち壊したからだと思う。

 で、その処女性を持っていると生まれるパラドクスが存在する。それが、「だったら、俺と恋愛できないじゃねーか!」って問題が生じるのだけれど、これに対する答えが、童貞特有の御都合主義が生み出した「じゃー、俺が初めての彼氏(に限りなく近い存在)になれば良いじゃん!」ってことなんだよね。

 (に限りなく近い存在)ってのがポイントで、彼氏彼女の間柄に見えなくもないんだけれど、実際は断言できないという、寸止めプレイが重要!特にアルバム「GAME」で顕著なのが、限りなく主語を排除してること。「キミ」「僕」「二人」だけで成り立たせてることで、自己とアイドルを投影させて、擬似的なカップルを作りやすくさせてるってことにある。

 話はずれるけど、Perfumeの詞は、分かりやすい言葉ってのが特徴の一つだ。それは総プロデュースしている、中田ヤスタカの卓越した言語感覚だからこそ許される、言葉の肉抜きであって、才能がない人間がやったら、それこそ小学六年生の文集に載ってる詩になってしまう。
 まぁ、これはTHE BLUE HEARTS以降の一部のパンクロックにも言えるんだけどね。あれはヒロト、マーシーのような最高の言語感覚があってこそ成り立ってんだよ!!ぼけ!!!
 だから、僕みたいな凡才はつらつらと「長文乙!」ってなもんですよ。てへ☆
 もはやここで、殺人予告をしたとしても通報されないんじゃないだろうか・・・・・・。



 とにもかくにも、「アイドルの王権復古」の鍵を握ってるといっても過言ではない!と言い切りたい!
 今後の課題、としては、ジャニーズ等の男のアイドルを考えても楽しそうだ。

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