駄目落語について。

2008-10-30 21:25:25 | コラムだお(^ω^ )
 苦笑の多い生涯を送ってきました。自分が苦笑されたエピソードを書くのも良いのですけれどなにぶん多いもので、紙幅に収まりきらないだろうと。
 卒業生の意地で、無理矢理にでも、「日本文学」と「苦笑」という二つのキーワードを見ながら、長いこと唸っていたのですが、やっとこさ良いモノを思いつきました。日本の文化に関係して、なおかつ在学時代に没頭したものがありました。


 それは落語です。ジャパニーズトラディショナルワゲイのラクゴです。
 大学一年生の頃に、父親から「大学に入ったんだからこういうのも聴け」と、古今亭志ん生の落語CDを手渡されたのがきっかけでした。
今考えたら、「大学に入ったんだから」というのは、落語を薦める理由として成立していない様に思われます。
 もともと漫才等が好きだったので興味を持っていたのと、ラジオを聴くのが趣味だったので、落語は抵抗なく楽しめ、大学在学中に色々な噺を聞きました。個人的にはテレビで見るように、動いている姿も一緒に聞くよりも、音声のみで楽しむ方が好きです。
 そうなると自然に、特別愛着の湧いてくる噺も多くなってきます。


 僕が好きなのは、「饅頭こわい」や「死神」「明烏」の様にサゲがスコンと決る噺でも、「芝浜」や「火焔太鼓」等の人情噺でも、現代でいうシュールな笑いの「粗忽長屋」や「あたま山」でもありません。


 「目黒の秋刀魚」「へっつい幽霊」「強情灸」「はてなの茶碗」「たらちね」等々。このタイプの落語が好きなのです。
 共通点は無さそうに思われるかもしれないけれど、これらは総じて登場人物がどうしようもなく「駄目」なのです。身近にいたら、苦笑してしまう。もしかしたら腹が立ってしょうがないかもしれない。それでも落語の登場人物が愛されるのは、ただ単に「駄目」なだけじゃなく、一所懸命に生きていてなお「駄目」なのです。
 「目黒の秋刀魚」のサゲ「秋刀魚はやっぱり、目黒に限る」という言葉だけで、殿様の世間の知らなさ、町民との生活の乖離というのを表し、認め、肯定している。そうすると、殿様が可愛く思えてくる。


 「強情灸」は、「江戸っ子二人が、お灸の熱さに耐える」という、ただそれだけの噺。勝ったところで何も貰えないのに。ただただ、自分が我慢強いってことを証明したいだけなのだろう。良い大人なのにやってることは、寝てない自慢をする中学二年生と変わらないメンタリティ。
 江戸っ子の我慢強さを表すのに、こんな小噺があります。
 「ある江戸っ子が、死ぬ間際に『最後に食べたいものはあるか。』って聞かれたんだと。そしたら、やっこさん『一回位は、汁をびちゃびちゃ浸けてそばを食べたかったなあ』ってさ。」
 えー、説明をしますと、江戸の蕎麦を食べる時、汁を少量しかつけなかったそうです。「好きな様に食えば良いじゃねーか」って田舎者が言ってもそういう訳にはいかないのが、江戸っ子なのです。粋じゃないねえ、その一言でつっぱねられてしまいます。


 「はてなの茶碗」「たらちね」の主人公二人とも真面目に生きている。自分が「駄目」だということに気づいてすらいない。いわゆる天然というやつ。その分、破壊力は増してしまうから面白い。ピエロというのは、自分が他のサーカスの芸人と同じように芸が出来ると思いこんでいるんだけど、失敗する。だからこそ、そこで笑いが起きる訳です。これがもし、どうせ自分には出来ないやなんて決めつけて挑戦するピエロは、誰からも愛されない。


 「へっつい幽霊」は、へっつい(かまど)に大金を隠したまま、死んでしまった男が、その大金惜しさに、現在の持ち主のところに化けて出てくるという噺。幽霊から事情を聞いた現在の持ち主も、もうこれは俺のもんだと言って返す気配はない。この幽霊、生前無類の博打好きだったものだから、その大金を賭けて博打を打とうと言い出す。 


 僕が好きな部分は、ここ。「馬鹿は死ななきゃ治らない」じゃなく、「馬鹿は死んでも治らない」という人間の本質が見え隠れしている。是非にこの男は、賭場でイカサマがばれた結果、ヤクザにぼっこぼこにされて、す巻きにして東京湾に放り投げられて死んでいてほしい。そんな痛い目を見ても尚且つ賭博を打とうという発想が出てくるなら、本物だと思う。本物の駄目人間ということだけど。

 誰だって「目黒の秋刀魚」の殿様みたいに付け焼刃の知識を自慢してしまうことはあるし、江戸っ子の様に変な所で意地を張ったりする。今日は食べ過ぎたから、明日からは節制しないとなあなんて思っていても、寝て起きたら、昨日の決意はどこ吹く風だったりする。体重計乗って後悔なんかしちゃったりして。
 そう考えると、「ドラえもん」の野比のび太って、理想的な駄目人間なんですよね。出しゃばったり、意地をはったりするくせに、何回も失敗したりする。それでいて全く懲りない。それでも、たまに真面目に物事に取り組んだり、前に進もうとする。
 何でも藤子・F・不二雄先生は幼少の頃、落語全集を愛読していたらしいですからね。納得です。
 人間の性質って、滑稽で愚かで、駄目じゃないですか。でもそれをそっと肯定してくれる様な、生来の隠しきれない駄目さが愛おしくなる様な落語が大好きなのです。
 
  

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