中島哲也監督作品は「下妻物語」「嫌われ松子の一生」「パコと魔法の絵本」と、エンターテインメント志向の作風と、視覚に強烈に訴えてくるビビッドな色使いが主な作風で、最近の邦画業界でいえば、中島監督の名前で一定の客を得ることの出来る数少ない人だと思います。
そして原作は、「本屋大賞」という、本屋が読んで欲しい作品一位(なんかDHCのCMみたいだな)に選ばれた「告白」という、面白さは保障されている作品を、その中島監督がメガホンをとるとあって、期待値は否が応でもたかまり、事実かなりヒットしているみたいです。
前述したように、中島作品は視覚に訴えてくる作風であり、告白は文字通り、ナレーションのように独白を多用する。つまり、相互補完的に良さを引き出し、原作好きも納得の作品になっていました。
僕は、正直言うと楽しめたのですが、傑作とは言いがたく、絶賛される作品では決してなく、かなり腑に落ちないところが多かったと思います。(以降ガンガンネタバレ)
まず、映画のラスト。松たかこのラストの台詞で、どちらにでも取れる結末になっている。
個人的には、社会的なモチーフを作るんだったら、あいまいにせずにちゃんと監督(脚本は監督が行った)の考えを提示するべきだと思う。
物議をかもしてほしいのだったら、あいまいな結末よりも、監督の考えを見せた上で、そこで是か非かを論じさせてくれよとは、思った。
ラストにいたるまで、エゴイスティックなものを見せたのだったら、監督のエゴイスティックな部分も見たい。
何をもって映画とするかは、各々定義があると思うけれど、やっぱりいかに「リアリティのある世界」を構築するかということは必須だと思う。それが完璧に近ければ近いほど二時間強の作品の中に入り込めるか、登場人物と同じ感情に浸れるかということに繋がる。
「告白」という作品は、その構築の手間をかなり惜しんだ作品だと感じた。いわば手抜き住宅みたいなもので、見た目は立派に思えるが、実際その中に入ってみると所々の欠陥が気になってしまう。
それが一つや二つだといいのだけれど、個人的には多く感じた。
「ジェバンニが一晩でやりました」クラスのものがいくつもあった。
いくつかその欠陥を指摘すると、中盤に出てきた、民家と学校のプールがあのような形で隣接しているところは、日本にはない。断言してもいい。たとえ隣接していたとしても、小さな子供が背伸びしただけで、フェンスを越えて庭の犬に餌をあげられるようなつくりじゃない。
もっと高いフェンスで囲われているし、上ってこれないように上には有刺鉄線が巻かれている。
その点で、ちょっと冷めてしまった。
あと、幾らなんでも中学生のHIVへの認識ってあんな1980年代のものはおかしすぎる。触るのを怖がっていたりするのに、つかんでキスをさせたりしているのも矛盾っぽい。
木村佳乃はなんで検査を受けさせなかったんだ?とか、血液でしか感染しないってことを知らなかったんだ?とか色々。
そして物語のラスト付近で「スタッフが美味しくいただきました」的に、HIVの危険性の無さとかを説明されても・・・って感じた。
他には「ルナシー」という単語はデスノートの「キラ」的なやつを狙ったものなんだろうけど、それならちゃんと聞いたことの無いような言葉を使ってほしかった。20代なら「ルナシー」と聞いたら、川村隆一のバンドを思い浮かべて、ん?それと関連るの?あ、ないのか・・・みたいに一瞬映画から現実世界へと意識が戻ってしまう。
下手すれば「川村隆一って何しているんだろう」「真也の奥さんの、元モー娘。の誰だっけ」ととんでもないところまで、意識が持ってかれる可能性だってある!はず!
そこは、作者頑張れよって思ってしまった。
そのほかにも、入賞するくらいの自己実現が可能な中学生(っていうか爆弾作れるくらい)が、殺人いうのもリアリティはない。まだ、しゅうやじゃないほうの殺人への動機というのは理解できる。
何がいいたいのかというと、この作品は、トリックやギミックに向けて、世界を都合よく構築し、そこに作者の怠けが見える。
だから、この作品には「血の通った人間」というのは存在しない。
全員が作者という神が動かしている駒にすぎない。
そんな作品には面白いと思ったとしても、魅力は感じない。
関係ないけど、人間を描けているけど、その登場人物がこんがらがりすぎて、作品自体も迷走しかけているのが「おやすみプンプン」だと思うんだけれど、まだこっちのほうが好きだ。
「告白」の結末は、登場人物が動いて生み出した結末ではない。結末にしたがって、登場人物が動いているだけだ。
そうなってくると、物語がもつ問題提起や、説得力はなくなってくる。AKB48もメタファーでもなんでもなく、ただ単に、2010年作成ということを残したいがための判子のように感じてしまう。
つまり、この映画は深いのか、浅いのか分からない。
こんな理由から、僕は「告白」を決して傑作だと思わないし、血が通っている作品だとも思えない。
見て損はないけどね。
そして原作は、「本屋大賞」という、本屋が読んで欲しい作品一位(なんかDHCのCMみたいだな)に選ばれた「告白」という、面白さは保障されている作品を、その中島監督がメガホンをとるとあって、期待値は否が応でもたかまり、事実かなりヒットしているみたいです。
前述したように、中島作品は視覚に訴えてくる作風であり、告白は文字通り、ナレーションのように独白を多用する。つまり、相互補完的に良さを引き出し、原作好きも納得の作品になっていました。
僕は、正直言うと楽しめたのですが、傑作とは言いがたく、絶賛される作品では決してなく、かなり腑に落ちないところが多かったと思います。(以降ガンガンネタバレ)
まず、映画のラスト。松たかこのラストの台詞で、どちらにでも取れる結末になっている。
個人的には、社会的なモチーフを作るんだったら、あいまいにせずにちゃんと監督(脚本は監督が行った)の考えを提示するべきだと思う。
物議をかもしてほしいのだったら、あいまいな結末よりも、監督の考えを見せた上で、そこで是か非かを論じさせてくれよとは、思った。
ラストにいたるまで、エゴイスティックなものを見せたのだったら、監督のエゴイスティックな部分も見たい。
何をもって映画とするかは、各々定義があると思うけれど、やっぱりいかに「リアリティのある世界」を構築するかということは必須だと思う。それが完璧に近ければ近いほど二時間強の作品の中に入り込めるか、登場人物と同じ感情に浸れるかということに繋がる。
「告白」という作品は、その構築の手間をかなり惜しんだ作品だと感じた。いわば手抜き住宅みたいなもので、見た目は立派に思えるが、実際その中に入ってみると所々の欠陥が気になってしまう。
それが一つや二つだといいのだけれど、個人的には多く感じた。
「ジェバンニが一晩でやりました」クラスのものがいくつもあった。
いくつかその欠陥を指摘すると、中盤に出てきた、民家と学校のプールがあのような形で隣接しているところは、日本にはない。断言してもいい。たとえ隣接していたとしても、小さな子供が背伸びしただけで、フェンスを越えて庭の犬に餌をあげられるようなつくりじゃない。
もっと高いフェンスで囲われているし、上ってこれないように上には有刺鉄線が巻かれている。
その点で、ちょっと冷めてしまった。
あと、幾らなんでも中学生のHIVへの認識ってあんな1980年代のものはおかしすぎる。触るのを怖がっていたりするのに、つかんでキスをさせたりしているのも矛盾っぽい。
木村佳乃はなんで検査を受けさせなかったんだ?とか、血液でしか感染しないってことを知らなかったんだ?とか色々。
そして物語のラスト付近で「スタッフが美味しくいただきました」的に、HIVの危険性の無さとかを説明されても・・・って感じた。
他には「ルナシー」という単語はデスノートの「キラ」的なやつを狙ったものなんだろうけど、それならちゃんと聞いたことの無いような言葉を使ってほしかった。20代なら「ルナシー」と聞いたら、川村隆一のバンドを思い浮かべて、ん?それと関連るの?あ、ないのか・・・みたいに一瞬映画から現実世界へと意識が戻ってしまう。
下手すれば「川村隆一って何しているんだろう」「真也の奥さんの、元モー娘。の誰だっけ」ととんでもないところまで、意識が持ってかれる可能性だってある!はず!
そこは、作者頑張れよって思ってしまった。
そのほかにも、入賞するくらいの自己実現が可能な中学生(っていうか爆弾作れるくらい)が、殺人いうのもリアリティはない。まだ、しゅうやじゃないほうの殺人への動機というのは理解できる。
何がいいたいのかというと、この作品は、トリックやギミックに向けて、世界を都合よく構築し、そこに作者の怠けが見える。
だから、この作品には「血の通った人間」というのは存在しない。
全員が作者という神が動かしている駒にすぎない。
そんな作品には面白いと思ったとしても、魅力は感じない。
関係ないけど、人間を描けているけど、その登場人物がこんがらがりすぎて、作品自体も迷走しかけているのが「おやすみプンプン」だと思うんだけれど、まだこっちのほうが好きだ。
「告白」の結末は、登場人物が動いて生み出した結末ではない。結末にしたがって、登場人物が動いているだけだ。
そうなってくると、物語がもつ問題提起や、説得力はなくなってくる。AKB48もメタファーでもなんでもなく、ただ単に、2010年作成ということを残したいがための判子のように感じてしまう。
つまり、この映画は深いのか、浅いのか分からない。
こんな理由から、僕は「告白」を決して傑作だと思わないし、血が通っている作品だとも思えない。
見て損はないけどね。