みょーに私的深になり、ブログ心得違いかもしれませんが、失礼いたしまして。
もちろん、スルーOKでございます。
荒れた後、今月8日、複雑混じりながらあきらめた家族との散骨となったのは、妹らが自らの会話過激拒絶をようやくに抑えたからです。そして聞かずして高めていた私への排除言動をその日までにはやめました。
ただ、別人格者はまだ虎視眈々、別人なのに カタをもつ人も出ていました。
今思えば、母がそれぞれの親戚から離れようとするに至った多くが、その別人格者の異様な裏言動にあったのに、私だけがわかったのです。
私が母にほのめかして、少しは理解されたのと、妹に対して伝えていた母の気持ちとしての時間軸の確認が、反乱が起きてとれませんでした。(この辺の実際を確認できた方の1人は昨年急逝されました。)
妹をなだめられたのも、けっきょく母の言い残しがつなぎとなりました。
不幸中の幸いなら、最後には母は、各 子への理解を補正していってくれました。
まあ、やはり、特定時期(多いけど)の私の具体的な寄与は殆ど記憶になっていませんが、過去のつなぎから、さっくりと。
そして妹の事については、私になど、少ない言葉でも理解のことを示し続けていたのです。
(不平不満のほうは全然。。。)
はあ・・・ しかし、
思い返してみると、 私には最初から全面的に関わらぬと一線を画していたお金に対して、他では どうもいびつなこだわりがあったのかと、言動のはしばしに・・・
こんなのは私はいっさい無縁だけど、 他者にはそれでも何でもいやな気持ちのほうを持たれるんだ・・。
表に出ない犯人側があるからもあるんだろう、、、
こちらばかりしぼりとられるようなことでさらにさらに遠慮しても、まだでも逆咎という、
昨年後半や、以前からの勤務関係のできごとといい・・。