最近は昭和モード全開なのでお若いブロ友さんへの訪問がおぼつかなくなってきました。
m(__)mスマン!!
これからの記事にタブン電池関連が出てくるかもしれない?
先日、鉛蓄電池との遭遇を思い出したので記録しておきます。
(最近のことは思い出せないが昔の事は良く浮かんでくる。←脳があぶない57歳!)
小学校に上がる前だから私が5歳ごろの半世紀前の話です。
近所に同い年の男の子はいなかった。
いつもひとりか年下の子と遊んでいる事が多かったようだ。
近所の年下のkくんちへ行く途中に青白い稲妻のような光を放つ大きな電球がある町工場の前を通る。自動車の修理工場だ。
昭和30年代初め。
わたしの住んでいた街の道路はまだ舗装されていなかった。
車など日に数台それも殆どは八百屋のオート三輪といわれるバイクに毛の生えたような自動車しか走っていなかった。
5歳上の兄などは道路で草野球をしていた。
家にコンセントも無い!そんな時代でも車には鉛蓄電池(バッテリー)は必要不可欠であり、前述の青白い稲妻のような光を放つ大きな電球は整流するための真空管だろうと想像する。
実際その前には10個ほどの四角い小さなみかん箱ほどの物体(鉛蓄電池)が並んでいた。
それを充電するための装置だったようだ。
イメージを絵にしてみた。 【イメージ その1】参照。
ヘッタピで申し訳ないがこんな感じ~!!
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その修理工場のおじさんが月に一度ふしぎな事を始める。
その日をkくんから知ったわたしは朝ごはんをそそくさと済ませ一人で出かけた。
日曜日だ。
当時は日曜日でも大人は何がしか仕事に関係あることをしていた。
娯楽などほとんど無い時代なので少しでも動いていたい(働いていたい)のだろう。
道端に七輪を出し炭火を起こす。
風を送るふいごと呼ばれる木製の風送り機は握りを前後して使う。
(これを手伝っていた記憶もある。。。)
七輪の上にはねずみ色した金属のかけら(鉛)が入ったるつぼが置かれている。
風を送り続けるとるつぼの中のねずみ色した金属のかけら(鉛)が溶けて水銀のような状態になった。
おじさんはるつぼばさみでるつぼをつかみ、先下が大きく膨らんだペンチような物にそれを流し込んだ。
そのペンチような物は二つほどあり、同じ作業を繰り返していると先ほどのペンチような物が冷えてくるので持ち手を広げると親指先ほどのカタマリが出来上がる。
これを半日ほど飽きもせずにおじさんは繰り返している。
近くを通りかかった中学生は二つほど出来るのを見届けるとその場を離れた。
わたしは側でたまにふいごを動かしながら母がお昼ご飯に迎えに来るまで見ていた。
ねずみ色した金属のかけら(鉛)が熱を加えると液状になり、それが冷えると親指先ほどのカタマリになるのが不思議で楽しく何時までも飽きなかった。
その親指先ほどのカタマリは、今想えば鉛蓄電池の端子だったのだろう。
もしかしてねずみ色した金属のかけら(鉛)も古い鉛蓄電池の電極?だったのかもしれない。
イメージを絵にしてみた。 【イメージ その2】参照。
「そんな事まで当時の自動車修理工場はしていたのか?」
と、思い出すとさすがに自分の歳を感じずにはいられない(^^;;;
これが、わたしの鉛蓄電池との遭遇でした。
これから昭和記事が増えそうな予感が。。。(^^;;;
次↓↓↓↓は声を出して読んでください!
「これから昭和の番だったり、じじの番だったり、ジジバンダリ!」
ご唱和(昭和)ありがとうございました(^。^)v