パパボン・ブログ

晴れ!ときどきお笑い、、
と、気が向いたらママボン連れて旅立ちます(^^v

楽天さんへ

●52年前にタイムスリップ!(駄菓子:シャンペンサイダー)

2014-11-14 07:48:45 | ご昭和ねがいます!

最近、駄菓子にはまっている。

スーパーでいろいろ物色していたら・・・とんでもなく懐かしいものに出会った。

「シャンペン サイダー」:¥21

小学校の遠足に持っていった記憶がある。タブン10歳以下。

当時10円ぐらいと高めで、普段買いなどできない。

仲の良い文ちゃんが見ている前で開けて、水筒のコップの水に「ひとつ」入れて泡立ちを楽しむように飲む。

「味がない!」

←2個入れろと書いてある。

口に含んで、ぶくぶく云っていたのを半分足す。

小さなコップでは、味が濃すぎた。

が、「タシカニ、タシカニ、タカアシガニー」

サイダーの味がした。

 

それから、いくら探してもどこにも売っていなかったので忘れていた。

半世紀経った。

スーパーの駄菓子コーナーで遭遇した。

即座に手にしてかごに入れた。

家に帰って、早速試した。

薄い、味がしネ~~~

「二つ入れるんだってサ!」←見ていたツレが言ふ。

入れてみた。

「う~~~~ん!いい色だ」

 

まてよ!

52年前と、同じ事していないか????

ご参考:シャンペンサイダー (←ポチ) 

 


●アンマッチな夜に、天地真理を聴いていた・・・

2014-10-14 22:34:40 | ご昭和ねがいます!

天地真理 / 想い出のセレナーデ 【修正:思い出⇒想い出】

   

 この歌は32万枚以上売れたそうだが、それ以降ぱっとせずいつしか画面から消えた。

確かこの歌、天地さんの前に、新人さんが歌っていたような気が・・・捜したが無いネ~~記憶違いか????

あの人は今、、、で、探さない方がいいみたい。

 

今時、好きな曲ではあった。

 

 (ご参考⇒http://blogs.yahoo.co.jp/cherrycreekjp/52414192.html)

 


●季節外れのバスが一台・・・杉山清貴&オメガトライブ 君のハートはマリンブルー

2013-09-03 21:03:27 | ご昭和ねがいます!

 
30年以上前、初めて買った車(初代ダイハツ・シャレード)の安物カセットで夏に聴いていた曲です。
 
 
栃木北部は明日から30℃越えは無いそう、夏は・・・もう。
 
曲中の詩
 
「あほな、ほうちゅ~あげいん」
 
と聞こえてショウガナイ(笑)。
 
 
でも、今でもテンションあがる曲だネ(^^v

●田んぼでフリマ【2011-10-30(日)】

2011-11-09 14:53:52 | ご昭和ねがいます!
←クリックで拡大!v

今年は20回以上通過している国道294号線(道の駅伊王野ー白河)。

去年、道の駅伊王野を過ぎてから数キロメートル走ると田んぼに鯉のぼりがイッピキ!。

「10.30 田んぼでフリマ」と看板が出ていた。

おもしろそうだが忘れていた。

今年もあったので、他の催しはほったらかしで行って見た。


駐車場は無い! ⇒ そのかわり、4mぐらいの農道の片側が駐車場代わりだ!それも片側通行!。

かんばんには「田んぼでフリマ」とあったが、田んぼでやっていたのは凧揚げぐらい?? ⇒ (画像aー①)

那須町高瀬という地名。

入り口に立つ(画像aー②)。

昭和にタイムスリップ!!
 画像aー③:そのまま食べれる「ほうずき」⇒若干の甘みはあるが後味が・・・
 画像aー④:昭和の農機具小屋
 
画像aー⑤:発動機
  事前に調べてこいつが出品されるので行って見たかった野田。
   時間が無くて動くところは観られず!!、残念!!!!!!!


画像bー①:菊地製菓の社長? こんな特技があったんだ~~!
  (出演しているとはこれっ(〃▽〃)ポッ地も知らず・・・ココ来る前に菊地製菓に立ち寄ったのですが~いなかったゾ)。

画像bー②:ホンダ製原動機付き自転車の説明を熱心に聴くツレと孫。
画像bー③~cー①:構内を30mほど走らせていただいた!。
  親切なおとうさん(人'▽`)ありがとう☆パープルの上下がステキです!
  (実家のおじさんになんとなく似てたか・・・)
画像cー③:同じようなのが3台も!?欲しいかも~~(^^;

画像cー④:トラックで歌っている人の奥さんみたいです。

画像dー①:郷土芸能を観てと・・・。

画像dー②:栃木放送が撮影に来てた。(11月20日放映? タブン自分写ってます)。

画像dー③:蓄音機⇒三橋道也や三波春夫の音色が~~夏かし~秋かし~冬かし~。

画像dー④:入り口に飾られた手作り凧。

画像dー⑤:帰りの車内孫・・・いつも帰りはこんなんダス!【笑】

コメ。 
 楽しかったネ~~。トイレ持って行けばもっと長くいられたナ!v。

●少し動き始める・・・

2011-09-13 08:11:04 | ご昭和ねがいます!

元気の出る動画。

発動機。

 

 

子供の頃、近所の「うどん製麺所」でも活躍していた。

なんせ、当時の日本は北の某国より電力事情が悪かったので電気モーターは当てにならなかったnoda。

単気筒灯油エンジン・・・でわかるかな?

ゆっくりと力強く!!

 

内容証明というのを郵便局で出してきた。

 

貸したお金の返済請求というのは気持ちの良いものではないが背に腹はかえられない。

分割なら返す気が出てきた様子なので、こちらの意思表示として貸金請求書を内容証明で昨日送った。

 

借りたお金はほっておいてもチャラにはなりません。

きちんと返しましょう!!

 

いやなことでも少しずつ動かないと何も変わらない。

 


●菊地製菓と駄菓子屋「ちゃ色」(2011-04-30)

2011-05-01 11:58:13 | ご昭和ねがいます!

 

ルート294の「道の駅 東山道伊王野」から白川方面へ510分車を走らせると右側にのぼり旗。

中高年?に大人気のお菓子の製造販売所「菊地製菓」はお気に入りの場所です。

 

そして、敷地内にある駄菓子屋「ちゃ色」。

 

4回目ぐらい?

 

ご主人は同世代(記念撮影写真の真ん中) ⇒

 

とちぎテレビで紹介された記事の写真を借りた⇒http://www.tochigi-tv.jp/weblog/?contents=52

 

ひとしきり、ビー玉、めんこ、ベーゴマの話や展示(売り物?値段は付いてる)してあるエイトマン人形、サブマリン707ジュニアのプラモデルの話で盛り上がる。

 

 

 

絶版品の鉛筆削り用ナイフ(¥100)をカッター買った。

小学生当時はこれで鉛筆を削ったものです。

 

おまけ。表にはトラックも置いてあるよ~そのうち動かすらしい。

 

(写真は2010年11月28日撮影。眺めていたら「乗ってもいいよ~」と言ってくれた。

 

懐かしいヨ。ハンドルやメーター類は中学生時代実家にあったトラックに似ていた。q|゜Д゜|p ワオォ


●昭和のお父さんが・・・。°°(>_<)°°。

2010-05-30 11:57:56 | ご昭和ねがいます!

寝付けず1階に下りてリビングの地デジをつけた。

 

プロレスをやっていた。

 

獣人サンダーラガー(なつかすぃ~)がメキシコ(ルチャリブレ≒プロレスが国技)のチャンピオンと戦っていた。

 

劣勢を跳ね除けてライガーが勝った。

 

久々に気分が高揚したが再び眠りに付く。

 

朝食後のTVでラッシャー木村さんを報道していた。

 

亡くなられたことは知っていたが

 

見ていて、顔は笑いながらも涙がボロボロこぼれた。

 

マイクパフォーマンスは不器用な男が見つけた活路だったのかもしれないが

 

鍛えられた肉体は決して惨めさは感じられなかった。

 

また、ひとり。

 

昭和のお父さんが星になった。

 

謹んで御冥福をお祈りします。

 

 

ラッシャー木村(ラッシャーきむら、19416月30 - 20105月24[1])は日本の元大相撲力士、元プロレスラーである。本名は木村政雄(きむら まさお)。北海道中川郡中川町出身。若鷲、ラッシング・パワー、吠える闘将、金網の鬼、マイクの鬼、オトウト(弟)、ミスターマイクなどのニックネームで呼ばれた。2003よりプロレスリング・ノア終身名誉選手会長。

(フレッシュペディアより)

 

 

【追悼】 超偉人伝説 断わりきれなかった男伝説 ラッシャー木村 1/2 

 

【追悼】 超偉人伝説 断わりきれなかった男伝説 ラッシャー木村 2/2

 

 


●○○博物館

2009-11-30 15:33:26 | ご昭和ねがいます!

2009-11-16()曇り。

 

昭和モード全開の最近です。

ブロ友のラビットさんが紹介していた東京板橋区にある『駄菓子屋ゲーム博物館に行ってきました。

 

   

↑商店街入り口。↑通路。 ↑店先。

 

昭和の駄菓子屋に置いてあった手動のゲーム機があります。

 

   

こかで遊んだ記憶があるのですが。。。

思い出しました。

 

高校生の時に百貨店のゲームコーナーで2度ほど。。。

年代的には40代の方が子供のころ多く遊ばれていたようですネ。

店長さんもその頃の年代らしいです ⇒ 

 

日本全国や外国からも訪れる方がいるとかで、日本地図には来た場所にピンが刺してあります。(栃木では2番目?でした。)

いろいろ訪ねるつもりが聞かれてしまいました。

「駄菓子屋始めるんですか~?」

 (それも面白いかも。。。←つぶやき)

 

レジ横にかたぬきの文字の袋があります。

カミさんはやった記憶が無いというのでやってみました ⇒ 

 

 

そのほかこんな懐かしいものも。

 

←ケロリン桶。←駄菓子類。

 

楽しかったですネ!

ご紹介ありがとうございました。ぺこり。

 


●ご昭和ねがいます!【かたぬき】

2009-11-20 15:50:40 | ご昭和ねがいます!

カウンターテーブルに座ってピンで3cmほどの大きさの中に彫りこまれた型どおりに切り抜くとお菓子?が貰えるという。

カミさんが3回ほど器用につつき外側を割り落として行く。

わたしは、それを見ながらカケラを当たり前のようにポリポリと食べ始めた。

(なつかしい味だった。)

となりに座った二人の青年のうちの一人が言った。

「あっ。食べれるんだ~!」

同じくポリポリと食べ始めたが、味の感想はない!

(それはそうだ。主原料は精糖だそうだが小麦っぽい味はお世辞にも美味しいとはいえない・・・ものの無い時代のわすれものだ。)

 

カミさんがあまりにも簡単そうなので作業を交代した。

わたしがピンを刺したトタン!(←ブリキでは無い!)

に、ウサギの耳がもげた。

 

帰りの車中の反省会。

「あれって、確か?。。。なめて柔らかくしてやるんじゃなかった?」

「あちゃ~!!そうだった。忘れていたよ~~/笑。」

 

ググッてみたら原型はヌキ飴だという。 ⇒ 

そういえば紙芝居を観ながらヌキ飴もやった覚えがある中高年だす(^^;;;

 

こんな昭和を求めて東京都板橋区まで160km強の道のりをファンカーゴは元気に走った。

 

つづく。


●ご昭和ねがいます!【エイトマン】

2009-09-23 14:08:42 | ご昭和ねがいます!

     ご昭和ねがいます!【エイトマン】

8-22日に『道の駅 栃木7東山道伊王野』に野菜を買いに出かけた。

久しぶりに晴れたので福島県白河方面をドライブ中。。。

カミさんが

「あそこのお菓子屋さんが通るたびに気になる!」

と言うので引き返して寄ってみる。

前書きつづき・・・後日作製予定。

 

【エイトマン】

1963年(昭和38年)11月8日から1964年(昭和39年)12月31日までTBS系で全56話が放送されたSFテレビアニメ、およびそれに登場する主人公の名前(Wikipediaより)。

 

放送された昭和38年頃11歳(小6)だった。

のりたまに入っていたシールを集めるのが楽しみでした。

一般的な家庭では食卓に子供用のおかずなど無い時代でしたのでふりかけは貴重でした。

ふりかけの中にエイトマンのシールが入っているなどとはとんでもなく嬉しい事だったので、早く違うシールが欲しくてふりかけを減らす努力をしたのも懐かしい思い出です。

(ご飯に沢山かけたり、おかわりしたり。。。(笑))

 

SW(シルバーウイーク)も最終日。

まったりしていたら・・・なぜか昔、

授業中にコッソリ描いたのを思い出し46年ぶりに鉛筆画をしてみた。

(下絵はネット検索したものですが、そのまま引用もつまらないので3時間ほど遊んでみました。)

エイトマンといえばやはり新幹線より早く走るこのシーンが印象的です。

 

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エイトマンの再放送はマズ無いでしょう!!

理由は二つほどあるのですがこちらのサイトを読んでいただければ分るかもネ! → 

 

レコード自体は絶版になっているそうですが

インターネット時代はいいですネ!

検索したらいろいろと出てきました。

 

なみだ。チョチョギレるほど懐かしいものが

↓↓↓↓

★のすたるじっくソノシートわーるど(エイトマンを含むソノシートが聞ける)。

★エイトマン『エイトマン登場』1/2(Youtube)

★エイトマン『エイトマン登場』2/2(Youtube)

 


●ご昭和ねがいます!【鉛蓄電池との遭遇】

2009-09-03 15:05:59 | ご昭和ねがいます!

最近は昭和モード全開なのでお若いブロ友さんへの訪問がおぼつかなくなってきました。

m(__)mスマン!!

 

これからの記事にタブン電池関連が出てくるかもしれない?

先日、鉛蓄電池との遭遇を思い出したので記録しておきます。

(最近のことは思い出せないが昔の事は良く浮かんでくる。←脳があぶない57歳!)

 

 

小学校に上がる前だから私が5歳ごろの半世紀前の話です。

 

近所に同い年の男の子はいなかった。

いつもひとりか年下の子と遊んでいる事が多かったようだ。

 

近所の年下のkくんちへ行く途中に青白い稲妻のような光を放つ大きな電球がある町工場の前を通る。自動車の修理工場だ。

 

昭和30年代初め

わたしの住んでいた街の道路はまだ舗装されていなかった。

車など日に数台それも殆どは八百屋のオート三輪といわれるバイクに毛の生えたような自動車しか走っていなかった。

5歳上の兄などは道路で草野球をしていた。

 

 

 

家にコンセントも無い!そんな時代でも車には鉛蓄電池(バッテリー)は必要不可欠であり、前述の青白い稲妻のような光を放つ大きな電球は整流するための真空管だろうと想像する。

実際その前には10個ほどの四角い小さなみかん箱ほどの物体(鉛蓄電池)が並んでいた。

それを充電するための装置だったようだ。

 

イメージを絵にしてみた。 【イメージ その1】参照。

ヘッタピで申し訳ないがこんな感じ~!

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その修理工場のおじさんが月に一度ふしぎな事を始める。

その日をkくんから知ったわたしは朝ごはんをそそくさと済ませ一人で出かけた。

日曜日だ。

当時は日曜日でも大人は何がしか仕事に関係あることをしていた。

娯楽などほとんど無い時代なので少しでも動いていたい(働いていたい)のだろう。

 

 

 

道端に七輪を出し炭火を起こす。

風を送るふいごと呼ばれる木製の風送り機は握りを前後して使う。

(これを手伝っていた記憶もある。。。)

七輪の上にはねずみ色した金属のかけら(鉛)が入ったるつぼが置かれている。

 

風を送り続けるとるつぼの中のねずみ色した金属のかけら(鉛)が溶けて水銀のような状態になった。

おじさんはるつぼばさみるつぼをつかみ、先下が大きく膨らんだペンチような物にそれを流し込んだ。

そのペンチような物は二つほどあり、同じ作業を繰り返していると先ほどのペンチような物が冷えてくるので持ち手を広げると親指先ほどのカタマリが出来上がる。

 

これを半日ほど飽きもせずにおじさんは繰り返している。

近くを通りかかった中学生は二つほど出来るのを見届けるとその場を離れた。

わたしは側でたまにふいごを動かしながら母がお昼ご飯に迎えに来るまで見ていた。

 

ねずみ色した金属のかけら(鉛)が熱を加えると液状になり、それが冷えると親指先ほどのカタマリになるのが不思議で楽しく何時までも飽きなかった。

 

その親指先ほどのカタマリは、今想えば鉛蓄電池の端子だったのだろう。

もしかしてねずみ色した金属のかけら(鉛)も古い鉛蓄電池の電極?だったのかもしれない。

イメージを絵にしてみた。 【イメージ その2】参照。

 

 

「そんな事まで当時の自動車修理工場はしていたのか?」

と、思い出すとさすがに自分の歳を感じずにはいられない(^^;;;

 

これが、わたしの鉛蓄電池との遭遇でした。

 

これから昭和記事が増えそうな予感が。。。(^^;;;

 

次↓↓↓↓は声を出して読んでください!

 

「これから昭和の番だったり、じじの番だったり、ジジバンダリ!」

 

ご唱和(昭和)ありがとうございました(^^)v