栃木の木々 

栃木県の風景。

はがき絵 鹿沼市 上日向から二股山

2024-06-28 | 絵など

鹿沼市 上日向から二股山

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宇都宮市 大谷 平和観音周辺 25.12.13

2024-06-28 | 宇都宮・上河内・河内

栃木県宇都宮市

■説明板・・・
●大谷公園
市街地の西約7kmにある宇都宮県立自然公園内に位置します。元々は特産の大谷石を産出する採石場でしたが、世界平和を祈念した平和観音が刻まれた後に、昭和31年に開園しました。周囲の起伏に富んだ地形と松や広葉樹の自然林と相まって、独特の景観をかもし出している異色の公園として、多くの観光客に親しまれています。公園中央にはカエルの後ろ姿に見える「親子がえる」があり、参道の岩壁には、天狗が投げたという伝説が残る「天狗の投石」や巨大な石臼のような「スルス岩」などの奇岩があります。また平和観音の左側の階段から頂上に登る展望所では、平和観音の目線で名勝の指定を受けた御止山(おとめやま)や大谷の景観などの眺望を楽しむことができます。ここ大谷公園は、石像、採石場跡、奇岩などがあり、大谷全体の景観をコンパクトにまとめた公園です。

 


■説明板・・・
●平和観音
大谷寺の南側に高くそびえる平和観音は、身丈26.93m(88尺8寸8分)の高さで、第二次世界大戦による戦没者の霊を弔い(とむらい)世界平和を祈念するために、大谷観音の御前立(おまえだて)として彫刻されたものです。戦後間もない昭和23年9月より、当時の大谷観光協会と地元の人々の熱心な後援のもとに、大谷石の採石場であった壁面を利用し、南側の岩肌に観音像を刻みました。東京芸術大学教授・飛田朝次郎氏が彫刻を手がけ、その指導ものと、大谷町の石工・上野波造氏らが制作にあたりました。6年の歳月を費やした結果、昭和29年12月に完成しました。昭和31年には、日光輪王寺門跡菅原大僧正により開眼供養が行われ、それ以降大谷の顔としてそびえ立っています。

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宇都宮市 大谷寺 25.12.13

2024-06-28 | 宇都宮・上河内・河内

栃木県宇都宮市

■大谷寺拝観券には・・・
●弘法大師が洞穴に刻んだという、日本最古の石仏。歴史が織りなす神秘の世界が大谷寺に生きています。
特別史跡・重要文化財・名勝(国指定) 坂東十九番札所
日本最古の石仏(平安時代) 大谷観音

●大谷観音の縁起
その昔、この辺り一帯は大小の岩が、まるで屏風のようになっていて、その中は広く平らに広がり、大谷と呼ばれていました。岩下からは水が湧き出して川となり自然が作った城のようでした。この中には毒蛇が住んでいて、時々毒水を流れ出し鳥獣虫魚がこれに触れると、たちまち死んでしまったため、ここを地獄谷と呼んでいました。
人間がこの水に触れると病気になり、最悪の場合は死に至り、五穀は枯れ、草木もしぼみ、人々は苦しみ、この地を捨てようとしていました。
時に大同、弘仁(810~)の頃、弘法大師が東国巡錫の折この話を聞き、里人のうれいを除こうと毒蛇の谷に入って行きました。人々はこれを聞いて喜びました。十余日の後、谷から大師が出てきて、毒蛇を退治したと告げて立ち去って行きました。人々が谷の奥に入り中の様子を見ると、高い岩山に千手観音が光輝きそのわきだちには不動明王と毘沙門天が彫ってありました。この三尊の光明は山谷を一面金色に変えました。人々は弘法大師の不思議な力に感謝し、大師の修行を貴み観世音に帰依して仏教を信仰する者が増えました。これが大谷寺の初まりです。
今、池の中央に弁才天が祭られています。かの毒蛇が心を入れ替えて白蛇となり、お仕えしています。参拝後には、白蛇の頭にも軽くふれて下さい。

●大谷観音(西暦810年)
大谷寺本尊千手観音は、弘仁元年(平安時代初期)弘法大師の作と伝えられています。最初は、金箔仕上げで金色にかがやいていました。古くから大谷観音と称され、鎌倉時代に坂東十九番の霊場に定められ、多くの人々から尊崇されて来ました。なお、堂内岸壁面に厚肉彫に彫刻されている十躰の石仏は、日本の石像彫刻中、最優秀なる技巧を究めたものとして、昭和29年3月に特別史跡に、昭和36年6月には、重要文化財に指定され、日本最初の二重指定を受けたものです。千手観音には、千の手と、千の目が有ります。手のひらに目が有り、いつも私達を見守っています。そして、たくさんの手でこの宇宙にあるすべての人々、生き物を救って下さる、有り難い観音です。お参りの際は、その大きな心を想い、世界の平和と人々の幸せを願い、合わせて感謝の気持ちで合掌しお参りして下さい。

●御止山(おとめやま)と大正天皇記念碑
大谷寺の御止山は、自然の大谷石奇岩群と、赤松の織り成す風光明媚な景勝が「陸の松島」と称賛され、国の名勝(平成18年7月)に指定されました。栃木県では日光の華厳滝に続いて、2つ目の指定です。
大谷石は、緑色凝灰岩といい火山灰の堆積岩です。
名前の由来は江戸時代、日光輪王寺の宮様の御用山で、秋になりますと、松茸狩をされました。
そのため、一般の人々が立ち入ることを禁止され、「おとめやま」と呼ばれてきました。
また、大正天皇は度々参詣され、山頂にはお手植えの松がありましたが、今は記念碑が建てられています。
現在、登山は出来ますが、自然の景観を守るために安全柵等の設備はありません。受付にお申出の上、十分気を付けて散策して下さい。

●奥平亀姫様(徳川家康公御長女)が大谷観音再興への尽力者
江戸時代初期には、徳川家康の長女・亀姫が、時の住職で天海大僧正の法弟・伝海僧正による中興を援助し、現在の大谷寺の基盤を作った。伝海僧正は上野・寛永寺(徳川氏の菩提所)の開山であるため、以来大谷寺は寛永寺に属し、徳川家の保護のもとに繁栄した。西の臼杵磨崖仏(大分県)に対し、東の磨崖仏として知られ、史跡としても美術的にも貴重なものです。この洞穴には古くから人が住んでいたようで、昭和37年から3年かけて保存維持のため大々的な工事が行われたが、その際、地層の最下層から約1万年前の土器などが発掘された。縄文最古という。
屈葬された人骨は、宝物館に展示されている。

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