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栃木の木々 

栃木県の風景。

壬生町 城址公園の桜 30.3.26

2018-03-26 | 壬生町

栃木県壬生町

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壬生町 東雲公園周辺 27.7.11

2015-07-13 | 壬生町

栃木県壬生町


■東雲公園案内図(しののめこうえんあんないず)・・・
●主要施設案内

1.ふれあい交流館
・町民や公園利用者の趣味活動や文化活動の場として気軽に利用できる施設です。
・町内のお年寄りと子供たちが遊びや公園行事、イベントなどを通じて、世代間を越えた交流やふれあいが楽しめる施設です。
・隣接するプロムナード(散歩道)沿いには、近隣の子供たちが一生懸命育てている花壇があります。
・施設内容:プレールーム、和室(25帖)、浴室、露天風呂、事務室等

2.四季の花木園
・季節感が漂う憩いと安らぎの広場として、桜(サトザクラ)を中心に花の美しい花木や草木を数多く植栽しています。
・代表的な樹種
 高木:サトザクラ、オオヤマザクラ、アメリカハナミズキ、ハクモクレン、ナツツバキ
 低木:キンシバイ、コデマリ、ミツバツツジ、レンギョウ
 草本(そうほん):ヒベリカムヒデコート、ヘメロカリス、ヤブラン

3.多目的広場
・四季折々の美しい花に囲まれた芝生広場です。お花見やふれあい交流館で開催されるイベントなどを楽しみながらゆっくりとくつろげる広場です。

4.御手洗(ミタラシ)
・環境庁の「自然共生型地域づくり」事業の一環として、かつて、このあたりに位置していた御手洗(ミタラシ)の復元による水辺の創出と多様な生物の生息環境の確保を目的として整備されたものです。
・御手洗は、雄琴神社に隣接する掘割の湧水を水源とした清らかな流れで、お清めの水として神社参拝の際に利用されるとともに、地域のシンボルとして住民に親しまれていたようです。

5.ちびっ子広場
・幼児から小学校高学年までの子供たちが、自由な発想で多様な遊びができるコンビネーション(組み合わせ)遊具を中心とした広場です。
・一角には、背伸びや腹筋運動などができる健康遊具やゲートボール場もあります。
・施設内容:スパイラルスライダー、トルネードリング、ウインドネット、フリーラダー等

6.しののめ広場(芝生広場)
・ピクニックやニュースポーツなどが楽しめる約1.4haの芝生広場です。
・周りの斜面には、シバザクラとツツジ類の大きなお花畑があり春先には白や赤の絨毯(じゅうたん)が楽しめます。
7.桜堤
・隣接する黒川沿いの桜堤は、戦後まもなく町民の手で植栽されたもので「とちぎ百景」の一つとして人々に親しまれています。

※案内図の中にある「四阿」は・・・(あずまや・しあ)と読む 。

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壬生町 雄琴神社 27.7.11

2015-07-13 | 壬生町

栃木県壬生町

伊勢へ七度、熊野へ三度、雄琴様へは月詣り
寛治5年(1091)の創建と伝えられ、ご祭神は天照大神・舎人親王。かつては藤森神社と称していましたが、壬生の初代城主・壬生彦五郎胤業が、その祖である小槻今雄公を合祀して社号を改めました。天和5年(1685)、時の城主・三浦壱岐守が社殿を造営しています。900年にわたり壬生の総氏神として広く篤い信仰を集めています。銅製の鳥居は県指定文化財になっています。
・・・ゆうがおウォーキングコースパンフより

■説明板・・・
●雄琴神社の由来
寛治5年(※1091)鎮守府将軍清原武則の三男保定は、下野国壬生にその祖、舎人親王を奉斎する社を創建した。翌6年源義家は、奥州より上洛のとき参詣して社領を寄進した。嘉保2年(※1095)185人の郷中の者はみな保定にしたがって盛典(※せいてん:盛大な儀式)を執行し、それ以来当社は壬生郷の鎮守となり社号を藤森と称した。寛正(※かんしょう)3年(※1462)壬生彦五郎胤業は京都から此の地に来て、先の除地に黒川義正と力を合わせて築城した。文明元年(※1469)江州(※ごうしゅう:近江の国 現滋賀県))雄琴村(※現滋賀県大津市)に鎮座する壬生氏の祖、小槻今雄公の分霊を合祀し「雄琴」と称するようになった。天正(※てんしょう)19年(※1591)結城氏が壬生領主となり、大地主神を附祭した。又歴代城主も参拝し深く敬神した。

 
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壬生町 町並み 27.7.11

2015-07-12 | 壬生町

栃木県壬生町

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壬生町 東武宇都宮線 壬生駅 27.7.11

2015-07-12 | 壬生町

栃木県壬生町

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壬生町 とちぎわんぱく公園 27.4.2

2015-04-02 | 壬生町

栃木県壬生町

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壬生町 とちぎわんぱく公園 26.11.15

2014-11-15 | 壬生町

栃木県壬生町

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壬生町 とちぎわんぱく公園 ヤグルマギク 26.5.10

2014-05-10 | 壬生町

栃木県壬生町

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壬生町 七ツ石 熊野神社と氏子子育地蔵尊 26.2.28

2014-02-28 | 壬生町

栃木県壬生町

■説明板・・・
●熊野地蔵尊改め氏子子育地蔵尊
作詩:伊藤等 作曲:森川文雄
一、熊野神社の第二の鳥居 民を見守りはや百年 氏子子育地蔵尊 さとす姿に手を合わす
二、誰が編んだか毛糸のぼうし 心こもったチャンチャンコ 氏子子育地蔵尊 前より高く座ってる
三、榊清水かかさずささげ 年に一度の秋祭り 氏子子育地蔵尊 明日の平和をただ祈る
平成10年11月15日
高木 喬
※熊野神社境内に祀られています。

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壬生町 母衣掛けの松 26.2.28

2014-02-28 | 壬生町

栃木県壬生町

■説明板・・・
●母衣掛けの松(伝説)
八幡太郎源義家が奥州征伐(後三年の役)に向かう途中七ツ石で兵を休めた時、道端の松に母衣を掛けて休息したといわれています。
また一説によると、義家が奥州征伐に向かう途中、一本の松を植えて戦勝を祈願し、のち源義家がここを通った時その松の木に母衣を掛けて休んだともいわれています。
その母衣が風になびいてあまりにも美しかったので、里人は「母衣掛けの松」と呼ぶようになりました。
古歌に 千枝にます みとり栄えて武士の 名も諸共に 母衣掛けの松(※文字が薄く濁点が判読できない)
とよまれています。母衣は鎧の上に掛けて敵の矢を防いだ布製の袋のことです。
平成元年1月 壬生町教育委員会
※松の木は小さいものでした。以前はもっと大きな松の木だったそうです。

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壬生町 神明宮と下馬木溝渠の碑 26.2.28

2014-02-28 | 壬生町

栃木県壬生町

■説明書き・・・
●下馬木(げばぎ)溝渠(※こうきょ:主に給排水を目的として造られる水路のうち、小規模な溝状のものの総称。)の碑
下馬木神明宮の境内にあり、下馬木地区の田に水を引くため、明治初年下馬木の人々が上稲葉の峰山の下を掘り抜いてトンネルを造り、黒川の水を引いた大工事の記念碑です。溝渠の長さは1,561間(2,838m)にも及びます。

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壬生町 芭蕉句碑 26.2.28

2014-02-28 | 壬生町

栃木県壬生町

■説明書き・・・
●芭蕉句碑(壬生町福和田)
句碑は、芭蕉塚建立を願い、志半ばで世を去った黒川舎古蘭(大橋甚右衛門)の遺言により、安政4年(1857)4月に同行の仲間により建立されました。
句の表には俳人松尾芭蕉の句「久た比れ亭 宿可る頃や 富じの花(※くたびれて やどかるころや ふじのはな)」と刻まれています。また、碑の裏には古蘭の辞世の句が刻まれています。「いざゆかん 花は冥土の 道すがら」
壬生観光協会 散策コースパンフより・・・

※ネットでこんな文字も見つけました。⇒「草臥れて 宿借る頃や 藤の花(くたびれて やどかるころや ふじのはな)」
※実際に句碑を見ても私には読めませんでした。

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壬生町 畳塚 26.2.26

2014-02-26 | 壬生町

栃木県壬生町

■説明板・・・
●畳塚
鳥居元忠は慶長5年(1600)の関が原の戦に先立ち、徳川家康の命により伏見城を守りました。石田三成方の大軍を引き受けよく戦いましたが、約一ヶ月の攻防戦の末、伏見城にて自刃(じじん)しました。
この元忠の忠義を賞賛した家康は、自刃のさいの血に染まった畳を江戸城の伏見櫓(やぐら)の階上に置き、登城する諸大名に彼の忠義をしのばせたと言われています。
その後、明治にいたり江戸城が明け渡されたため、ゆかりの深い現在の地に納められ、「畳塚」と称えその上に記念碑が建立されました。
元忠の命日(旧暦の8月1日)には、勇壮な武者行列が昭和初期まで行われていました。
壬生町教育委員会
※精忠神社本殿の裏側にあります。

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壬生町 精忠神社 26.2.26

2014-02-26 | 壬生町

栃木県壬生町

壬生町のパンフレットには、
江戸時代の正徳2年(1712)から明治維新まで、代々壬生藩主だった鳥居家の家祖・鳥居元忠公を祀る神社です。境内には「畳塚」や「宝物蔵」があります。・・・と書いてあります。※榜示杭(藩領の境界石)、干瓢記念碑もあります。

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壬生町 常楽寺 26.2.26

2014-02-26 | 壬生町

栃木県壬生町

■「わが町の史跡を訪ねて」
●壬生家・鳥居家の菩提所
壬生城址の北にあり、曹洞宗に属し向陽山常楽寺といいます。壬生氏初代の胤業はあつく禅門に帰依し密宗の梵宮を改めて七堂伽藍を興しました。胤業は法号を常楽寺殿亀雲道鑑大居士といいます。寺の西の墓地には壬生家歴代の墓(町指定史跡)があります。また同寺は江戸時代にあっては、鳥居家の保護もあつく鳥居家累代の墓(町指定史跡)もあります。
山門をくぐって右側には尾形乾山(尾形光琳の弟)の碑があり「ふくろ鳴く壬生のうら山時雨きて、みのきるむれの立ち騒ぐ見ゆ」と刻まれています。

●斎藤玄昌(さいとうげんしょう)の墓
玄昌は文化6年(1809)2月、梁田軍羽苅村に生まれました。名は知柔、通称は玄昌、号は一瓢。蘭医学を修め、天保5年(1834)に壬生鳥居家に藩医として仕えました。天保11年(1840)12月に石崎正達らと壬生上河岸の刑場で処刑囚の解剖(「解体正図」刊)を行い、嘉永3年(1850)2月には藩に請願し壬生領内に、強制種痘を行いました。晩年は、人材育成のため私立学校の経営を企画しましたが、それを果たさぬまま明治5年(1872)5月に64歳でなくなりました。

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