OVER 30 DO THE CAMP

アウトドア/キャンプ/音楽/フェス/買い物/魂の30台もあと一年…

少年時代

2011-05-22 23:36:29 | 日記
キャンプでは明るいうちに飯を済ませなくてはならない。

水をコッフェルに入れてバーナーで沸騰させる。

さて、インスタントラーメンを入れようと思ったその時、箸が無いということに初めて気づく。

一度火を止めてザックの中を調べるがやっぱり入っていない・・・。

そういう時は「作る」しかないのだ。

浜辺まで行き手頃な流木を2本拾ってきた。ナイフで削りとりあえずは箸の形になっていった。

表面に少し焼き色をつけると、なんだかちょっと使い捨てにするのがもったいなくなってきた。

手早くラーメンを腹に流し込み、食器を片づける。まだ寝るには早いので1kmほど離れた自販機まで

散歩をしてジュースを買って帰ってきた。

テントに入りシェルパ斉藤の本を読む。テントの中は非常に狭い。外に出て本を読むが、虫がうるさい。

今日のキャンプ地は海沿いなので防波堤(ちいさいやつ)が椅子代わりになるけど、椅子は結構必需品だと思う。

とにかく本は諦めてラジオに耳を傾けた。

新潟のFMがよく聞こえるので聴いていると、井上陽水の少年時代が流れていた。

「あー、外で聴くラジオもいいなあー。」と感動していると、空が「ぱあっ」と明るくなった。

花火だった。僕のテントは天井部分がメッシュなので、星も見えるし花火も見える。

音が何秒か遅れて耳に届く。お祭りのフィナーレなのだろう。

百発以上花火が上がるのを見ながら「本当にこの旅に出て良かった。」と思った。

波の音とラジオと、花火の音が重なりあう。

そして僕は旅の一日目を終えて深い眠りについた。

つづく。


夏の日の1994

2011-05-21 23:06:11 | 日記
1.5kmほど行ったところに真浦というバス停があり、傍には砂浜と水道とトイレがあった。

あまりに絶好のポイントだったので一人で驚いてしまった。

地元のおばさんが歩いてきたので「ここにテントを張ってもいいですか?」ときいてみたところ、

快くOKをだしてくれた。テントを張っていると、さっきのおばさんがトマトを二つ持ってきてくれた。

「今取ったばかりで冷たくないけど・・・」と言って僕にトマトを渡す。

心から「ありがとうございます。」と言って頭を下げた。

「これが一人旅のいいところなんだな」とか、「佐渡の人はやさしいって言うけど本当だ」などと

色々考えながら自然と心が弾んでいた。


トイレの水道でシャンプーをしてから、もう一度街の方に歩きだした。夕飯の買い物のためだ。

インスタントラーメンを買おうと酒店に入ろうとしたその時だ。

中からは小太りの男が出てきて、僕は自然にぶつからないように体をずらした。

しかし、何かが心に引っかかる。「なんだろう・・・?」

その男をもう一度見る・・・・。

「あーーーーっ!!! ジミー大西だ!!!」

今まで一度も芸能人にあったことなどない。初めて間近でみる芸能人が「ジミーちゃん」って・・・。

高鳴る胸をおさえ、ジミーちゃんをよく観察する。(確かお祭りのチラシにゲスト「ジミー大西」と書いてあった。)

ジミーちゃんは全く落ち着きがなかった。(TVと一緒だ。)出たと思ったらまたお店に入って来る。

若いお兄さんたちに「ジミーちゃん、やってる?」と聞かれ、「やってる、やってるう!」と返している。

店の外に出ても同じことを言われて同じように返していた。嫌そうな顔など全くしない。そして落ち着かない。

この人は作っているんじゃなくて、本物の天然なのだろう。

ドキドキしたまま、テントへの帰りを急いだ。「握手ぐらいしてもらえば良かったな。」と少し後悔しながら。




つづく。


Summer Of '94

2011-05-20 23:08:55 | 日記
田舎によくある小さな商店という感じで、店番をしていたのは人の良い奥さんという感じだった。

アイスを買っておばさんと話をする。図々しいかと思ったが傍にあった椅子に腰かけてアイスを食らいながら

今回の旅への思いや、いきさつを話した。おばさんには高校2年生の息子がいて、受験で大変だという。

しかも、ここ(赤玉)はバスが通らないもんだから街で下宿をしているという。

結構佐渡の子供達も苦労してるんだなあ。なんて思ったりもした。

おばさんは僕に「これから歩くんじゃ大変だから、昼ごろにパン屋のトラックが来るから乗せてもらいなさい。」と。

本当に嬉しかった。正直もう歩きたくなかったし、ヒッチハイクをする勇気も僕にはまだなかったのだから。

パン屋は「藤井製パン」という会社で、トラックからは赤ら顔のオジサンが降りてきた。

僕はオジサンに何度か頭を下げて助手席に乗り込んだ。見ず知らずの人に車に乗せてもらうなんて、

今まで一度もなかったものだから、かなり緊張していた。

オジサンもあまり話し好きではないようで、本当に話に困ってしまった。実際何を話しただろうか?

パン屋なので途中の商店に寄って行かなければならない。僕は何か手伝えることはないか?と尋ねたが

「座っていていい。」と言われてしまったので少しがっかりしてしまった。

藤井パンの事務所が「岩首」という所で、そこで下ろしてもらった。

バスが出発する多田まであと何kmくらいだろうか。

ひたすら歩いた。多田に到着して遅い昼食を食べ(おにぎりだったが、つぶれていてあまり美味しくなかった。)

この日5本目の缶ジュースに手をつけた。

多田にはちょっとした海岸(砂浜)があったので少し泳いでみる。

だけど海は死んでいた。海に流れ込む川は水量が少なく、水は濁り、魚はおらず、ただの水槽で泳いでいるようだった。

多田を始発とするバスは3時過ぎなので、慌てて着替えてバスを待つ。

コンクリの上に座っていたらケツが低温やけどのようになってしまった。

一人の老人がバス停にやってきた。赤泊で時計を買うという。

おじいさんの話によると、今日は赤泊のお祭りらしい。前に何かの本で読んだが、海上ずもうをやっているはずだ。

どうせ一人旅。予定にはなかったが見てみようと思って赤泊でバスを降りた。

ザックを背負ったまま人ごみの中に入り、海上ずもうを見た。地元の自衛官が強かった。

日が暮れてしまっては困るので、早めにテントサイトを見つけようと思い、また歩きだした・・・

つづく。



夏の思い出

2011-05-19 23:32:54 | 日記
今月号の「BE-PAL」特別付録「シェルパ斉藤のワンパーナーで作る 超簡単 旅 ごはん」

を読んでいて思い出した。

高校3年の夏。私を旅に駆り立てた本のことを。



シェルパ斉藤 「213万歩の旅 東海自然歩道1343kmを全部歩いた!」である。

久しぶりに読んでみるとやっぱり面白い。シェルパ斉藤さんの文面もそうだが、行く先々での出会いや旅の楽しさが

イラスト付きで書かれていた。

本棚からこの本を見つけ出すと、その脇には私の「高校3年17歳 夏休みの日記」が出てきた。

さっそくこちらも読んでみる。




恥ずかしい・・・ 恥ずかしすぎる・・・ 青い春とはまさにこのことだろうか?

あまりに恥ずかしいので途中読むのをやめようかとも思ったが、ノートの後ろの方に10ページ以上にわたる旅行記が綴られていた。

この年の夏、私は佐渡島を一人で旅していたのだ。

佐渡島では親戚が民宿を営んでいたため、手伝いをしながら14日間も滞在していたようだ。

そのうちの4日間だけ、「島を一周してくる」と言って出て行った時のことが文章で残っていた。

60リッターのザックにテントと寝袋、ラジオとバイブル「213万歩の旅」を詰め込んで私は出発した。

以下、原文そのままで、何日かかるか分らないがこのブログに少しずつUPしていこうと思う。


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8月1日、出発は朝8時30分だった。これから一人旅をする、という不安と期待がいりまじっている。

今日の予定の事を考えながらボケーーーっとしていたらバスが来てしまった。

気合いを入れて勢いよく乗り込んだが客は一人しかいなかった。おばさんは「どこまで行く?」と僕に訪ねた。

「えーと、”ただ ”までです。」

 「ただ? 多田(おおだ)のことかい?」

「そうです。”おおだ ”っていうんですか。」 するとバスの運転手さんが「このバス多田まで行かないんだけど・・・」

「ええーーーーっ!?」

終点の片野尾という所で止まり、仕方なくバスを降りた。本当に何もない所だ。

バスの時刻表を見たが、次のバスは夜の7時まで来ない。いまだ日本にこんなところがあったとは、なんだか信じられない気持で歩きだした。




暑い。                暑い。 

ザックの重みが肩にくい込む。 歩くことがこんなに辛いとは知らなかった。

それでも海が見えるからまだいい。しかし今日は視界が悪く、新潟までは見えないみたいだ。

そういえば朝出るときにもらったおにぎりを食べなけりゃならない。

休憩したいのだがどこまで歩いても休む場所がない。海を眺めながら何kmくらい歩いただろうか?

赤玉という所に着いた。お店があるので少し休もう、と思い店に入るとクーラーが効いていた・・・

つづく。


ヴィンテージ

2011-05-17 23:53:56 | 日記
先日、職場の先輩から「さまぁ~ず」が穿いてるようなデニムはどこで買えるのか?と聞かれた。

「あの人達が穿いてるのはウン十万のヴィンテージですよね。たぶん・・・」

あんな感じのスタイルがしたいらしい先輩の依頼で、いつものリサイクルショップ巡りのついでに先輩のデニムを探していたところ・・・

またもお宝に出会ってしまった。

リーバイス 501 66前期 (シングル)







おそらく1970年代前半の代物である。それなりの値段だが市場の半値以下だったので購入してしまった。

40年の時を経たオーラは復刻やレプリカとは比べ物にならない・・・気がする・・・

まあ、サイズもでかいんで自分では穿かないだろうけど、コレクションとして大切にしよう。

後日、先輩には「全然いいのがなかったっすねー。」と嘯いたのはいうまでもない。