7月24日、夫は亡くなりました。
25日に通夜、26日に葬儀を無事に済ませましたが、本当に突然の別れで涙も出ないくらいでした。
5月から週1回、母がお世話になった先生の往診診療を受けることに決めました。
介護施設の運営もされている先生なので、いざとなれば近所の介護施設の入所にも対応して頂けるようなので、病院から紹介を受けた登録医院はお断りしました。
6月中に2回、脱水症状でトイレに行く途中に倒れたこともありましたが、病状の進行はあまり変わりませんでした。
6月の後半から食事の量が極端に少なくなり酸素量も95%を切るようになったので、酸素吸入器を自宅に設置して使うようになりました。
食事も流動食に近いもの(私の手作りです)になりラコールも試しましたが、2~3口位しか食べることが出来なくて入院治療になりました。
入院した病院の主治医は、母の歯肉癌が判る2か月前に胆石性膵炎でお世話になった先生でした。
私は気付かなかったのですが先生の方が覚えてくれていて、一寸ときまりが悪かったです。
入院後の検査で、肺がんの進行もありましたが、肝臓への転移が判明、食道も何かに圧迫されているのか細くなっている様なので胃カメラ検査の予定でした。
1週間程流動食でしたが夫の希望で徐々に5分粥食になりましたが1~2口から5~6口位の食事です。
23日は出された食事も四分の一ほど食べられて、偶然来られた主治医と共に喜んでいました。
仕事帰りのお嫁ちゃんが保育所からの帰りによく病院に来てくれて、孫ちゃんの訪問が楽しみのな夫でした。
23日も孫に会えてご機嫌の一日でした。
何時も昼食の1時間前に病院に行くので、24日も何時も通り10時半ごろお茶を用意していた時に病院からの電話で、夫が危険な状態なので家族にも知らせて至急来てほしいとの連絡でした。
息子が偶然にバイクの車検の為午前中休みを取っていましたが・・・
私が即病院に行くと、夫の心拍は 0
私の到着(病院まで自転車で10分程)を待って夫の死となりました。
当日も少し食事を取り、清拭をしてもらってお気に入りのパジャマに着替えてと順調だったとお聞きしました。
看護師さんと車椅子でトイレに行き、2~3分して看護師さんが様子を見に行くと倒れていてそのままでした。
当初の主治医も今回の主治医からも 「突然何があってもおかしくはない」 と言う事を何回も聞かされていましたが、現実となりました。
覚悟はしていたものの、お別れの言葉も交わせず突然逝ってしまうとは思っていませんでした。
夫と決めていた、家族、親戚、ごく親しい友人のみで通夜葬儀を済ませました。
残念なのは、息子の新居を見ることが出来なかったことです。
7月13日の引越をとても楽しみにしていて、夫の部屋のカレンダーには、乱れた字で 新居引越 の文字があります。
このブログでは、肺癌について何のお役にも立てなかったのですが、皆さんのブログの頑張りが私の頑張りになりました。
暫くは雑事が待っていますので頑張ります。
有難うございました。