仙露軒日常

利根川べりの仙露軒にすめる初老のおやじのつぶやきごと。ご笑止、ご笑止。

せんなきこと

2015年04月17日 | 茶の湯

口に出してもせんないこと、とよく言うが、

さりとて、せんないことを口にする人も存外に多い。

たとえば、混雑している列車に自分が乗り込んできて

「まあ、こんでるわねぇ」


あなたがいないともっとすくんですけどね。

満員と書いてあるのに

「どうして満員なのかしら」


あなたまできているからです。

お茶会でもしばしばそういう人がいます。

大寄せ茶会は「待たされ」「飲まされ」「追い出され」とは佐々木三味氏の名言です。

わかって茶券を買っているのですから、黙々と粛々と「待たされる」しかないのです。

それが嫌ならばいかないことです。

むかし、築地のお寿司屋さんで並ばされていて、

不満を言ってるお客さんに、年配のおかみさんか、
「並びたくなかったらまわるお寿司屋さんにいったらいいよ」と小気味よく言ってました。
待ってまで食べるほどのものでなかったら並ばないことが懸命でしょう。
お茶会も同じではないでしょうか。


 

 

 

 

 

 

 


後始末

2015年04月16日 | 茶の湯

ほんまに放置してまして失礼いたしました。

おかげさまで先日、某大きなイベントを終了してほっと一息です。


もちろんイベントはお茶がらみです。

2日間で500人ほどのお客様でした。

各々、履物を間違われないように、ビニール袋をわたして名前を書いていだき、
それに入れて持って歩いていただきました。

わたくしが最終の出口にいましたら、数名の方が、
「これ、どうするの」

とお問い合わせになります。

自分が履物を入れて持ち歩いた袋はご自身で始末するのが当たり前でしょう。

「お召し上がりになったらいかが」と皮肉ってやろうかとも思いました。
よく「なんのためにお茶を習うのですが」という質問がありますが、
こいうことを言わずもがなで始末していける人間になるためではないでしょうか。

わたしも関西の某女子大で教えている教育学者の教え子と、
茶道資料館を一緒に見学したあとでおなじ質問をされました。
とっさにスーツのポケットから呈茶席で出されてお菓子のかいしきを取り出して、
「自分が食べたあとに、こういうものを茶席においてこないためだよ」
と答えたら、彼はしてやられたという顔をしていました。

利休居士も七則でいわれていることは、当たり前が当たり前にできることです。
でも人はその当たり前をついつい忘れてしまうものでもあります。
お茶はそれを立ちどまらせて教えてくれる存在です。