仙露軒日常

利根川べりの仙露軒にすめる初老のおやじのつぶやきごと。ご笑止、ご笑止。

北野天満宮

2011年10月31日 | 国語

国民文化祭京都大会が行われています。

29日と30日に出かけてきました。

29日はなんと和服の人は市バス・地下鉄無料とのことでしたので

和服で一日うろうろとしていました。

今回のメインはなんと言っても北野天満宮での正式俳諧(しょうしき)。

北野天満宮に奉納されるのですからまさに本場中の本場。

次はいつこの機会に恵まれるかわかりませんので、

高知の全国大学国語教育の大会をキャンセルして出かけてきました。

しかも、現在京都連句キョーカイの会長であるT先生にお頼みしたら

来賓として神楽殿に座らせていただき献句までさせていただきました。

まことに名誉なことです。

ちなみに和歌は住吉社、連歌とその流れをくむ連句は北野社がそれぞれ奉納の本場となっています。

http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/pub/tree/kitano.php

ガマ大学とも深く関わる神社でもあります。

ちなみにしばしば連句と連歌の違いを聞かれますが

形式は同じです。

ただし用語が歌語を重点に置いているものが連歌で

平談俗語を用いて作られている滑稽・諧謔を主としたものが連句です。

ですから連句の懐紙には「誹諧之連歌」と書かれています。

 

 


いったい何人や

2011年10月27日 | 国語

むかし、おとこありけり。

そのおとこ、身をえうなき物に思なして、京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めにとて行きけり。

もとより友とする人ひとりふたりしていきけり。

道知れる人もなくて、まどひいきけり。

 

言わずと知れた『伊勢物語』九段の冒頭ですね。 

ところで、この「ひとりふたりして」というところが最近ちと気ににかかりました。

いったい何人やねん。

 

生徒が反応しそうなところです。

 

このあと

 

 

*ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を句の上にすへて、旅の心をよめ」といひければ、よめる。

 

 

*みな人物わびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。

*皆人、乾飯のうへに涙落してほとびにけり。

 

*京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず

 

 

 

とあるのですが、何人かが確定できない。

 

どうもお供は数えていない雰囲気である。

絵画で見てみると

 http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc14/sumidagawa/himotoku/history/ise02.html

さてどうなんでしょうか。

 

 


肉体派

2011年10月26日 | 国語

 

昨日の続きです。

武士はやはりガテン系の仕事であったはず。

となるとJリーガーやプロ野球選手と似た感性があったにちがいない。

つまりは戦場で直接に戦い

現役選手としての活躍を支えるものは

肉体的なパフォーマンスが大前提になっていたはずであろう。

となると直実が敦盛を組落として兜を押しのけたときに見たものは何だったのか。

そこには見まごうばかりの若さの美しさだったのではないか。

だからこそ齢の描写が先んじているのではないかと考えた。

直実は敦盛に鏡写しで老醜を見てしまったのではないか。

よくプロの選手にいつ引退を決めるのかと尋ねる野暮な記者がいる。

それは選手が現役生活をやめなくてはならない何かを悟った時意外にはない。

百戦錬磨で戦場に生きた直実には、

敦盛を組み落とし押さえるだけの体力があった。

にもかかわらず何を倦んだのであろう。

これはアスリートの引退と似た感性ではないかと

ふと考えた次第。

 


熊谷次郎の憂鬱

2011年10月25日 | 国語

昨日の伊勢崎線大学での模擬授業では中学古典教材の定番「敦盛の最期」を扱っていた。

この間の「扇の的」もそうだが、近代的合理主義で読解していくと矛盾がある。

一の谷の合戦で、敗北した平家方が海に逃走していくときに、熊谷はなんとか手柄を立てたいと思っていたところに、

なかなかよさそうな好敵手を見つける。

熊谷、「あれは大将軍とこそ見まゐらせ候へ。まさなうも敵に後ろを見せさせたまふものかな。返させたまへ」と扇を上げて招きければ、招かれて取つて返す。

みぎはにうち上がらむとするところに、押し並べてむずと組んでどうど落ち、取つて押さへて首をかかむと甲を押しあふのけて見ければ、年十六、七ばかりなるが、薄化粧して、かね黒なり。わが子の小次郎が齢ほどにて、容顔まことに美麗なりければ、いづくに刀を立つべしともおぼえず。

熊谷、「あつぱれ、大将軍や。この人一人討ちたてまつたりとも、負くべき戦に勝つべきやうもなし。また討ちたてまつらずとも、勝つべき戦に負くることもよもあらじ。小次郎が薄手負うたるをだに、直実は心苦しうこそ思ふに、この殿の父、討たれぬと聞いて、いかばかりか嘆きたまはむずらむ。あはれ助けたてまつらばや」と思ひて、後ろをきつと見ければ、土肥・梶原五十騎ばかりで続いたり。


熊谷涙を抑へて申しけるは、「助けまゐらせむとは存じ候へども、味方の軍兵雲霞のごとく候ふ。よも逃れさせたまはじ。人手にかけまゐらせむより、同じくは直実が手にかけまゐらせて、後の御孝養をこそつかまつり候はめ」と申しければ、

自分で呼び止めておいて、イケメンだったからといってどうしていいかわからなくなる。

学生さんには、ひょっとしてこのおっちゃんやばいんじゃないのというご感想も出ていた。

何も顔に刀疵をつけなくてもいいわけだし、このドッキリ感はなにを意味するのだろう。

親の心だと私もずっと読んできたが、どうもそれはいいわけくさい感じがする。

「戦場のメリークリスマス」http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD10133/

の雰囲気もなくもない。

うーむやはり古典はやっかいである

 

 


花は野にあるように

2011年10月11日 | 茶の湯

利休七則といわれるものがあります。

茶は服のよきように点て

炭は湯の沸くように置き

花は野にあるように生け

夏は涼しく

冬暖かに

刻限は早めに

降らずとも傘の用意

茶道の要諦を七つの項目にまとめています。

生け花の流儀花と茶花の大きな違いは

野の花を投げ込みで生けることです。

花止めを用いずに花と花とを絡めながら花入れと合わせて生けるのです。

ある茶匠が一度手にして出会わせた花をそのまま一気に生けるのが一期一会の心だと

話されていたのが印象的でした。

実際に生けてみるとなかなか決まらずにいじくり回してしまいかえって風情を失うものです。

茶の湯はしばしば覚悟を求められます。

茶花もまさに覚悟の花なのです。

先日、花屋さんの仏花のように輪ゴムで止めて花入に生けていた方がいました。

茶の湯を学んでも茶の心まで学ぶことの難しさをひしひしと感じた次第です。