仙露軒日常

利根川べりの仙露軒にすめる初老のおやじのつぶやきごと。ご笑止、ご笑止。

曲学阿世

2013年01月27日 | ふみ

鈴木健一氏の「林羅山」

新聞で紹介されていたので早速読みました。

簡潔にして要を得ている評伝でした。

政治と学者

いまはあまりに大切にされなさすぎでしょう。

しかも学者たちがそれで良しとしている気配も。

世の中の役には立たなくてもいいけど

世の中で欲されることは大切ではないでしょうか。

岩崎小弥太と諸橋先生のように。

 

 

 


威儀をただす

2013年01月24日 | 国語

卒論の口述試問にやってきた学生たち。

一人として正装できた者がいなかった。

セーター着て何も持たずに来たのもいました。

権威主義を振りかざすわけではないけれども、

社会性の問題ではないだろうか。

戦後民主派世代のおこたちはこんなものなんだろうか。

衣紋道とはいいませんがせめて

威風堂々としていただきたいものですねぇ。

http://www.youtube.com/watch?v=28dXEoyVNHk

 

 

 

 

 


はいぶし

2013年01月22日 | 茶の湯

先日、ある茶の家元の初釜で正客が家元の練った濃茶を

肘をついて飲んでいらしたとの話を伺った。

この作法は「はいぶし」という作法で、

岩佐美代子氏『宮廷文学のひそかな楽しみ』という本に紹介されている。

『枕草子』「五月御精進の頃」

唐絵にかきたる懸盤して物食はせたるを見入るる人もなければ、
家の主「いとひなびたり。かかる所に来ぬる人は、
ようせずは主逃げぬばかりなど、責め出だしてこそまゐるべけれ。
むげにかくては、その人ならず」など言ひてとりはやし、
「この下蕨は、手づから摘みつる」など言へば、
「いかでか、さ女官などのやうに、つきなみてはあらむ」など笑へば、
「さらば、取りおろして。例のはひぶしにならはせ給へる御前たちなれば」
とて、まかなひさわぐほどに、「雨降りぬ」と言へば、
いそぎて車に乗るに、「さてこの歌はここにてこそ詠まめ」など言へば、
「さはれ、道にても」など言ひて、みな乗りぬ。

と見られる。

一般には「腹ばいになる」と解釈されてきたのだが、

岩佐氏は古来の目上から頂き物を食べるときの女官の風習として紹介されている。

こちらの本にも出てくるようです。

こういう正客ぶりに出会ったときに「はいぶし」だと気付くのは

なかなか難しいでしょうね。

 

 


 

 

 

 


寒中見舞い

2013年01月07日 | 国語

近年は歳末になると喪中欠礼のはがきがたくさん届くようになった。

先日、懇意にしている神社からいただいてきたパンフレットによると、

服喪について書かれていた。

服喪を明確に定めたものとして知られているのは

綱吉の定めた服忌令がある。(こちらのHPはお子様向けながらすごい)

やがて

 

明治七年太政官布告では、

父母死亡時 忌/五十日 服/十三カ月
養父母死亡時 忌/三十日 服/百五十日
夫死亡時 忌/三十日 服/十三カ月
妻死亡時 忌/二十日 服/九十日
嫡子死亡時 忌/二十日 服/九十日
養子死亡時 忌/十日 服/三十日
兄弟姉妹死亡時 忌/二十日 服/九十日
異父母兄弟姉妹死亡時 忌/十日 服/三十日
祖父母死亡時 忌/三十日 服/百五十日
曾祖父母死亡時 忌/二十日 服/九十日
孫死亡時 忌/十日 服/三十日
叔(伯)父、叔(伯)母 忌/二十日 服/九十日
従兄弟死亡時 忌/三日 服/七日
甥、姪死亡時 忌/三日 服/七日

となっているとある。

喪中とはまさにこの期間のことなのであるが、

近頃は妻方の祖父母でも喪中とするようである。

しかし、そもそも服喪という風習を考えると、これは不思議なことである。

「家」を中心として直系を尊ぶ訳であるならば、

「家」を異にする「家」の服喪は不必要なはずであるからだ。

http://www.gem.hi-ho.ne.jp/sogenji/rakugaki/fukkirei.htm

同じことをお考えの方もいるようである。

他人にははがきを出しておいて

ご本人たちはおせちを食べてお年玉もやりとりする。

あげくには海外旅行にでかけている。

もらった側はいったいどなたが亡くなったのかと忖度して考え込む。

どこのどなたが提唱しているかはわかりかねるが、

本来の服喪について考えられない方は

フツーにお正月をなさってはどうだろうか。