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先日、ある学校の呈茶席に案内されました。
建物もすばらしくてまるでホテルのようです。
その中にある和室に通されての呈茶でした。
お道具も御家元のものなどをそろえて、そこそこにしつらえていました。
ただし、いけなかったのは、お掃除です。
毛氈はぐたぐた、
前回の茶会のときにこぼしたお菓子のかけららしきものがへばりついていて、
あれならば、むしろ敷かない方が潔いかもしれません。
畳もふいてある気配がなくて、敷居のところはほこりがたまっていました。
『長闇堂記』に奈良の高畑の禰宜、宗次・掃部という2人の茶人がでてきます。
宗次は有力者で茶の湯のたしなみもふかく、とても清潔に暮らしていました。
掃部は佗茶人でしたが、宗次ほどは清潔に暮らしていなかったのに、
世間は「きれい禰宜」とよび誉めそやしました。
宗次はそのことをおもしろく思わず不満を言いますが、
形のみのきれい好きではならないと戒めれます。
心の底からのきれい好きとは、
別段、道具を並べなくても、学生は学生らしく、ひたすらに清潔にすることで、
もてなしの心を示すということです。
呈茶席を一刻もはやく出たかったのは久しぶりでした。
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