仙露軒日常

利根川べりの仙露軒にすめる初老のおやじのつぶやきごと。ご笑止、ご笑止。

後始末

2015年04月16日 | 茶の湯

ほんまに放置してまして失礼いたしました。

おかげさまで先日、某大きなイベントを終了してほっと一息です。


もちろんイベントはお茶がらみです。

2日間で500人ほどのお客様でした。

各々、履物を間違われないように、ビニール袋をわたして名前を書いていだき、
それに入れて持って歩いていただきました。

わたくしが最終の出口にいましたら、数名の方が、
「これ、どうするの」

とお問い合わせになります。

自分が履物を入れて持ち歩いた袋はご自身で始末するのが当たり前でしょう。

「お召し上がりになったらいかが」と皮肉ってやろうかとも思いました。
よく「なんのためにお茶を習うのですが」という質問がありますが、
こいうことを言わずもがなで始末していける人間になるためではないでしょうか。

わたしも関西の某女子大で教えている教育学者の教え子と、
茶道資料館を一緒に見学したあとでおなじ質問をされました。
とっさにスーツのポケットから呈茶席で出されてお菓子のかいしきを取り出して、
「自分が食べたあとに、こういうものを茶席においてこないためだよ」
と答えたら、彼はしてやられたという顔をしていました。

利休居士も七則でいわれていることは、当たり前が当たり前にできることです。
でも人はその当たり前をついつい忘れてしまうものでもあります。
お茶はそれを立ちどまらせて教えてくれる存在です。