学校を辞めます 

51歳、ある教員の選択

今ふたたび、映画「ジョニーカムバック」

2012年04月10日 21時21分07秒 | 映画 ジョニーカムバック
疋田教諭の分限免職処分から見えてきたもの~東京の今まで、大阪のこれから~

4月8日、法政大学(市ヶ谷キャンパス)で「疋田教諭の分限免職処分から見えてきたもの~東京の今まで、大阪のこれから~」が開かれた。(主催:教員文化研究会)

東京都の中学校理科教師であった疋田さん(写真)は2004年2月23日、いきなり分限免職処分を受けた。都教委のあげた処分理由は、①自動車通勤を続けたこと、②大量の私物を校内に持ち込んだ事、③体罰の3点である。都教委はマスコミ(産経新聞)や親をも巻き込み問題を必要以上に誇大化させ、前例の無い分限処分による解雇に疋田教諭を追い込んだ。

自動車通勤は、疋田さんのお父さんが重病であったためやむを得なかったことであった。(疋田さんの父、正さんは、疋田さんが解雇された直後に死去された)

大量の私物とは、全て理科や顧問をしていたソフトテニス部で必要な教材であった。その中には、疋田さんが自ら購入した部活のテニスネットも含まれていた。

体罰については実際にあったことではあるが、疋田さんは研修命令を甘んじて受け入れ、反省もした。しかし解雇は、その研修中にいきなり通告されたのだ。

2月16日、最高裁はたった「不受理及び棄却」と印刷されたたった1枚の紙切れを送りつけ、上告を棄却し疋田さんの解雇は確定した。つまり、都教委と最高裁はひとりの教員の人生を奪ったのである。

私は、映画「『不適格教師』の烙印を押された男 ジョニーカムバック」を制作する中で、疋田さんの解雇時の職場の同僚、また疋田さんから「体罰」を受けた元教え子にも会うことができた。解雇当時は相当のかん口令が学校から校内職員に敷かれていたと聞いている。しかしこの人たちは、私のインタビューに応じてくれ、元教え子は「先生にやめてほしいとは思わない」とまで語ったのだ。

今日の集会には、匿名だが今「指導力不足教員」にさせられている方も参加していた。また、初めて参加した元教え子もいた。

私は、「上告棄却」を聞いたとき、正直目の前が真っ暗になった。そこまではないだろうと思っていたからだ。疋田さん本人の心中は、ものすごいものであったと思う。

教育現場には大きな暗雲で覆われ続け、そのもとで教員と子どもたちは、押さえつけられている事態は何も変わっていない。しかし、疋田裁判はその状況下で1本の光を与えたのではないかと思う。疋田さんは集会の最後に「これからも子どものために闘う」と元気に発言した。これからやらなければならないことは、まだまだある。(「『不適格教師』の烙印を押された男 ジョニーカムバック」製作者 湯本雅典)

「疋田教諭分限免職取消訴訟支援の会」HP

映画「『不適格教師』の烙印を押された男 ジョニーカムバック」予告編

この映画は、疋田さんの解雇撤回に向けた闘いを当時の教え子、同僚、保護者の声を拾い上げながらたどったものです。ぜひご覧ください。DVD発売中です。(2000円・34分)
ご希望の方は、郵便番号、ご住所、お電話番号、希望本数を明記の上、以下までお願いします。
yumo@estate.ocn.ne.jp
090-6039-6748(湯本)

動画(YouTube ユニオンチューブチャンネル)
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 見やすいものと見えにくいも... | トップ | 品川区が日光林間学園を再開... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

映画 ジョニーカムバック」カテゴリの最新記事