学校を辞めます 

51歳、ある教員の選択

切り捨てられる子ども達

2009年02月24日 09時43分11秒 | 学校で起きていること
隔週で僕が主宰する私塾「じゃがいもじゅく」に通うN君(保育園・年長)。N君は、「ダウン症」である。N君は、もうすぐ小学生。親御さんはさんざん悩んだ結果、区内の小学校の特別支援学級への入学を決めた。ただ、入学を前にご両親の心を大きく揺さぶる事件が起こった。N君のご両親は共働きである。だからご両親が仕事から帰宅するまでの間の子供の面倒を見てくれる「学童保育クラブ」への入所申請をした。N君のご両親は、申請受付の初日に申し込まれたそうだ。しかし、区のほうから悲惨な手紙が届いた。N君の入所は認められないという知らせである。理由は、「学童保育の実施等に関する条例」にある「利用しようとする児童が疾病その他の事由により、集団生活に適さないと認められる」場合は「学童保育の利用を承認しない」ということからである。
その条例を詳しく見ると「実施要綱」なるものがあり、それにはこうある。
「次の各号の一に該当する者は利用を認めない。
①極度の多動性、突発的行動、放浪癖のあるもの。
②排泄に常時介助を要するもの
③自他の安全を損なう行動のあるもの
④複雑な専門的処置を必要とするもの」
私は、この「条例」が行政に存在すること事態が信じられなかった。知り合いの学童クラブ職員に聞いてみたところ、「ダウン症の子が学童クラブで入所拒否にあった例は知らない」とのことだった。少なくとも今現在、区立保育園に在所し、「健常児」と一緒に生活をしているのである。同じ区の学童クラブに入れないということは、どう考えたらいいのか?
子どもをとりまく環境が、恐ろしく「格差」を作り出す構造になっている。なんとかしなければという想いである。
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じゃがいもじゅくを始めた時のこと

2009年02月12日 09時54分48秒 | じゃがいもじゅく
2006年4月1日、僕が教員でなくなった日。春休みなので僕は家にいた。朝、いつもどおり5時半に起きて、というか眼が覚めてしまってやることがないので家から駅まで歩いたことを覚えている。そして4月6日、始業式の日。僕は近くの小学校の始業式をフェンスの外から見ていた。今頃僕の辞めた学校では、「湯本先生は、退職されました」という報告が校長(僕に転勤命令を出した人)から発表されているはずだ。子ども達はどんな気持ちで聞くだろうか?申し訳ない気持ちと、辞めなければよかったという後悔の念を抑えることができないでいたことを今でも覚えている。
その時の気持ちが、まっすぐにさせたことが「じゃがいもじゅく」だった。先ずやったことが僕の住む品川区教育委員会に電話したことだ。「学習塾を作るにあたって、許可や認可が必要なのですか?」と聞くと教委の事務方の人は「そんなの必要ありません」とのこと。僕は、何もわからないところから出発しているのだと実感した。
そして次にやったことは、フリースクールの指導員に相談したこと。僕がイメージしていたじゅくは、学校で困っている子、学校になじまない子が来れるじゅくだったから、一番にフリースクールを思いついたのだ。選択肢として、自分がどこかのフリースクールの指導員をボランティアでやることもあったことは事実である。
そして2つのフリースクール、王子にある「東京シューレ」と世田谷の「ぼくんち」を訪問した。訪問したとたん感じたことが二つあった。ひとつは、「自由」な雰囲気であること、二つ目は経費節減のための苦労は尋常ではないということだ。「ぼくんち」の通称トールさんという指導員に言われた事で今も覚えていることは、僕が「じゃがいもじゅく」の実施案で「じゅくに来る時刻を守ること」についてであった。「いつでも来ていいがいい」というトールさんの言葉に、ああ僕は学校の先生だったんだなあと思い知らされた。無意識のうちに子どもを縛っていた面は、いくらでもあるのだ。
しかし反面、僕には生活の糧となる仕事は別にある。賃貸マンションの大家である。この仕事なかなか他の人には理解されにくい。楽だろうとよく言われる。決して楽ではない。収入も減った。ボーナスなどないからだ。その中で「いつでもきていい」というのは僕には現実的に無理であった。できることとできなことの区分け、これは厳しいものがあるが、これをしなければ「じゃがいもじゅく」はスタートラインにも立つことができなかったのである。
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「じゃがいもじゅく」4年目

2009年02月04日 12時21分21秒 | じゃがいもじゅく
私が東京都の公立小学校を2006年3月に退職して、たちあげた私塾「じゃがいもじゅく」。「べんきょうがきらいな子、あつまれ!」のスローガンで、今19人の子どもに関わっている。最近は品川区の自主運営学童クラブ「はらっぱクラブ」の手伝いも始めた。
じゅく発足のそもそもの動機は、とにかく子どもと関わりたかったということだけだ。だから、目標もはっきりしていかなかった。設立のために、経営しているマンションの地下室を改装した。その金額は150万円。退職金から払った。それ以外にも備品購入や宣伝費を入れると、200万円はかかったと思う。それだけ、思い入れがあったのだと今更ながらに思う。今は、1回1000円いただいているが、それも維持費(光熱費、電話代、教材費等)でだいたい消えてしまう。ほぼ、ボランティアでやっていると言っていいだろう。
最初はなかなか子どもも来ず、駅の前でチラシを配ってもなかなか受け取ってももらえなかったということも覚えている。このようなじゅくは、あまり無かったからではないかと思う。
今じゅくに来ている子は、地元の品川区を始め、渋谷区、荒川区、北区から来ている。遠くは神奈川県相模原の子もいる。北区から来ている子は、隔週でお母さんが連れてきている。来ている子のうち8人は、「障害」を抱えている子どもである。それ以外の子もクラスでいろいろ悩みがあったり、学力で学校で取り残されてしまっている子ども達である。最近は、口コミで子ども達が増えてきた。まだ、入塾希望は増える傾向にあるが、正直なところ限界状態である。
約3年間「じゃがいもじゅく」をやってきて、学校や子ども達をめぐる課題が大きいと感じた。発足当時の「ただ子どもと関わりたい」だけでは、やっていけない状況と毎日直面しているといった感じである。じゅくを運営していて感じた子ども達をめぐるさまざまな状況について、これから機会あるごとに報告していきたいと思う。
じゃがいもじゅくのHP
http://www7.ocn.ne.jp/~yumo/
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