少し時間がたちましたが
8月13日~21日の南京・台湾の旅から帰りました。
9日間という、自分としてはかなり長い旅でした。
正直言って、今回は行こうかどうか悩みました。
9月にベラルーシに行くことを決めていましたし
お金がかかります。
それから、こんなに家をあけていいのかという不安もありましたし、
僕には、永遠の旅人は無理なのかもしれません。
そして、なぜ南京なのか、台湾なのか
はっきりしないままの出発でした。
台湾に、福島から避難した母親がいて
どうしても会って話をしておきたいことがあるということが
僕の背中を押しました。
確かにそれもありました。
しかしこれは、僕を「ある世界」に置いてくれた旅だったのです。
南京ももっとゆっくり歩きたかった。
僕の心をとらえたのは
台湾の「牡丹社事件」の犠牲者の墓。
行く前に本で読んではいましたが、
犠牲者の宮古島島民の亀甲墓の前に立つ
明治政府初の侵攻軍の立てた慰霊碑でした。
ここに明治天皇の意思がはっきりと感じられました。
人の墓の前に「国」の意思を建てるというのが
どれだけ恥ずかしいことか。
こんなに簡単なことがわからないのかということ。
そのほかにも感じたことはありました。
しかし、この旅は僕にもう一度火をつけました。
8月13日~21日の南京・台湾の旅から帰りました。
9日間という、自分としてはかなり長い旅でした。
正直言って、今回は行こうかどうか悩みました。
9月にベラルーシに行くことを決めていましたし
お金がかかります。
それから、こんなに家をあけていいのかという不安もありましたし、
僕には、永遠の旅人は無理なのかもしれません。
そして、なぜ南京なのか、台湾なのか
はっきりしないままの出発でした。
台湾に、福島から避難した母親がいて
どうしても会って話をしておきたいことがあるということが
僕の背中を押しました。
確かにそれもありました。
しかしこれは、僕を「ある世界」に置いてくれた旅だったのです。
南京ももっとゆっくり歩きたかった。
僕の心をとらえたのは
台湾の「牡丹社事件」の犠牲者の墓。
行く前に本で読んではいましたが、
犠牲者の宮古島島民の亀甲墓の前に立つ
明治政府初の侵攻軍の立てた慰霊碑でした。
ここに明治天皇の意思がはっきりと感じられました。
人の墓の前に「国」の意思を建てるというのが
どれだけ恥ずかしいことか。
こんなに簡単なことがわからないのかということ。
そのほかにも感じたことはありました。
しかし、この旅は僕にもう一度火をつけました。