福島県の小学校教員鈴木浩行さんは、2011年3月11日当時福島県教職員組合郡山支部の書記長だった。
鈴木さんは、震災直後から郡山支部ファックス通信「どんとこい」を毎日、ある時は1日に2回発行し、放射線を巡る情報、教育委員会や行政の動向、今学校でやるべきことなどを発信した。その「どんとこい」の2011年版を鈴木さんは今、2011年と同じ月日にフェイスブックで流している。
先日鈴木さんに会う機会があったので、その辺のところを聞いてみた。鈴木さんは「あのときのことをわすれてはいけないと思うんですよ」と答えた。
私は何人かの教員から同じようなことを聞いた。「部活を何の心配もなしにどんどんすすめている」「職場は3,11以前の雰囲気にもどってしまった」
郡山支部は、震災当時果敢に取り組んだ。市の教育委員会にかけこんで「通常の始業式は無理だ」と要請し、当時30km圏外では唯一4月6日の始業式、入学式を4月11日に延期させた。また放射線測定器を組合で多数購入し、地域の住民に無料で貸し出し、同時にそのデータを蓄積し「どんとこい」で発信した。
鈴木さんは2011年にレイバーネットTVにも出演したことがある。そのとき「私は、いわゆる活動家ではありません。でも今、書記長やってます。」と言ったのを覚えている。鈴木さんは、教育委員会との交渉で市の職員にスポーツドリンクを差し入れして、「一緒にがんばりましょう」と言ったという。「働くもの」目線で柔らかい発想の人だと感じた
東京の場合、教職員組合は機関誌の発行回数を減らしている。郡山支部の取り組みはその逆を行っている。震災という困難な状況にありながらもだ。そこに組合のありかたを感じるし、また今の鈴木さんの姿勢に震災後3年目で問われていること、「あのときどれだけの放射線をあびたのか。そしてそれは今も続いている」ことに改めて気づかされる。ここに「美味しんぼ」騒動への解答もある。(湯本雅典)
フェイスブック 「福島県教職員組合 郡山支部」
鈴木さんは、震災直後から郡山支部ファックス通信「どんとこい」を毎日、ある時は1日に2回発行し、放射線を巡る情報、教育委員会や行政の動向、今学校でやるべきことなどを発信した。その「どんとこい」の2011年版を鈴木さんは今、2011年と同じ月日にフェイスブックで流している。
先日鈴木さんに会う機会があったので、その辺のところを聞いてみた。鈴木さんは「あのときのことをわすれてはいけないと思うんですよ」と答えた。
私は何人かの教員から同じようなことを聞いた。「部活を何の心配もなしにどんどんすすめている」「職場は3,11以前の雰囲気にもどってしまった」
郡山支部は、震災当時果敢に取り組んだ。市の教育委員会にかけこんで「通常の始業式は無理だ」と要請し、当時30km圏外では唯一4月6日の始業式、入学式を4月11日に延期させた。また放射線測定器を組合で多数購入し、地域の住民に無料で貸し出し、同時にそのデータを蓄積し「どんとこい」で発信した。
鈴木さんは2011年にレイバーネットTVにも出演したことがある。そのとき「私は、いわゆる活動家ではありません。でも今、書記長やってます。」と言ったのを覚えている。鈴木さんは、教育委員会との交渉で市の職員にスポーツドリンクを差し入れして、「一緒にがんばりましょう」と言ったという。「働くもの」目線で柔らかい発想の人だと感じた
東京の場合、教職員組合は機関誌の発行回数を減らしている。郡山支部の取り組みはその逆を行っている。震災という困難な状況にありながらもだ。そこに組合のありかたを感じるし、また今の鈴木さんの姿勢に震災後3年目で問われていること、「あのときどれだけの放射線をあびたのか。そしてそれは今も続いている」ことに改めて気づかされる。ここに「美味しんぼ」騒動への解答もある。(湯本雅典)
フェイスブック 「福島県教職員組合 郡山支部」