『ががいも』沖縄に生息中

管理人の『ががいも』です。海・山、自然と戯れることが好きなやつです。

東北へ・・・

2011年06月22日 | 日記
実は1週間、東北へ被災者支援活動に行ってきました。
新聞やテレビで見てもわかるように、ヒドイ状況でした・・・僕が見てきたものを少し報告します。
僕は行ったのは岩手県山田町ってところです。

海岸部は、何もない状態。

上流部を見ても、何もない。海岸線から約1~2kmの所まで被害が出ていました。

現地の方に聞くとこれでも、綺麗になった方らしい。確かに、道路の瓦礫は片付き交通に大きな支障はないように見えた。しかし、元々家が建っていた場所はまだまだ瓦礫、土が残ったまま、どこが自分の敷地か分からないほどです。ライフラインは復旧していますが、復興という段階へはまだまだスタートラインに立つ事は難しい状況でした。はっきり言って、被災者は何も手がつけられない状況です。政府が基本方針を示し、市町村が復興計画を作り、早くどこに何を作るか。元の場所にまた家を建てるのかどうかを示してくれないと、何も始まらないのではないか?と言うのが僕の印象でした。


撤去した瓦礫は、分別され一部の地域に集められていました。ビルの4階くらいまでありそうな瓦礫の山があちらこちらにあり、どうやって処分するのだろうか?木材はチップに加工しているようでしたが、聞いたところによると全てチップにしたとしても、150年分のチップになるようです・・・埋めるのか?焼くのか?これらの処分も問題になるでしょう。
ちなみに、この瓦礫の集められている場所は元々田んぼ、松林だったらしい。面影はどこにもなかったです。


巨大な防波堤も軽々倒されていました。誰がこんな大きな防波堤が壊されると想像するでしょうか?それくらい大きな津波だったのでしょうね・・・


船は防波堤の上でひっくり返っています。船だけでなく車も、あちらこちらに散らばっています。建物の上に乗り上げている船・車も普通に見ることが出来ます。

本当に想定外の大津波が襲ったのでしょう。まるで、戦後の日本にタイムスリップしたかのように何もない。復興への道のりは、全然見えません。被災者の方はとっても辛いだろうと想像できます。でも、実際にお話しさせて頂いた方々は皆、非常に明るく元気で暗い影はみることがほとんどありませんでした。親類や知人を亡くされている方もいるはずなのに、笑顔で頑張っている姿を見て、僕も励まされ勇気をもらいました。今後も見守り応援し続けていきたいと思いました。そして、また機会があれば、現地に行きたいと思います。

最後に、少しだけ僕が感じた現地の情報を。
物資については、現時点では十分に足りていると感じました。生鮮食品については、処理が追いつかず困っている避難所もありました。ただ、長期的な支援は必要であると思います。ライフラインも復旧し、山田町に関しては水道水も飲めるので、飲料水に関しては、それほど必要でないのではないかと思います。
避難者によっては、言えばなんでも手に入るので、贅沢避難者になっている方も見受けられます。仕方ないのかもしれないですけど、少し困ったものです・・・これから、仮設住宅への入居が進んでいくようですが、入居と同時に物資の支援が打ち切りになるようです。が、再建の目途が立たず、近くに商店もない状態では、厳しい生活になるのではないかという不安もあります。その辺りの対策はどうなっているのでしょうかね?
沖縄は海に囲まれているので、津波がいつきてもおかしくないです。今回の東日本大震災の教訓を防災、災害対策に活かすためにも現地に支援を派遣する。もしくは、現地に行った人の声を聞くなどして、長期的な知見を得る必要があると感じました。

「家も何もかもなくなったが、命がある。それだけでも幸せである。前を向いて進むしかない。」
ある現地の人の声です。被災者の多くは前を見て進もうとしています。少しでもその手助けになることはないか?遠い沖縄からでもできることはないか?考えていきたいと思います。

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