2025年3月22日、土曜日。 快晴。
昨日、お彼岸に合わせて姉弟3人が集まり、母の89歳の誕生日祝いをしました。
未だに山登りまでこなすスーパーばあちゃんです!
目指せ百歳〜!😃
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と言う訳で、、、
棚経を済ませた昨日の昼、母と姉との三人で、改めて故郷館林を観光してみました。
新しい観光スポットも出来て、きれいに整備された故郷の景色に驚くことしきり。。。
そんな館林の見どころを無手勝流で選んでみましたので、春の花と共にさくりとご覧下さい。
勝手に館林八景
㈠ 城沼(じょうぬま)
東西約3.8km、周囲約8kmの里沼は館林のシンボルです。
周囲にはつつじが岡公園(通称、花山公園)をはじめ、多くの名所旧跡が整備、保存されています。
嘗てこの沼を天然の要害とした館林城が築かれていました。
一時水質汚染で騒がれましたが、現在は美しく甦っています。
㈡ 尾曳(おびき)稲荷神社
稲荷神社城沼の北西岸に鎮座し、館林城(尾曳城)の築城にまつわる伝説が残されています。
室町時代後期(享禄元年)、城沼南岸の大袋城主であった赤井山城守照光が年賀の途次童子らに捕らえられた子狐を救った。その夜、夢枕に現れた老翁が子狐が助けられた礼を述べ、館林が要害堅固の地であることを説いて姿を消した。
その年の七夕の夜、老狐が顕れ、その尾を曳いて城郭の縄張りを示した後、「築城完成の暁は長く城の守護神に使えよう。私は稲荷の神使、新左衛門である」と伝えて姿を消した。
照光はこれによって築城し、その名を尾曳城と号し、城中に稲荷郭を設けて当神社を奉祀した。(尾曳稲荷神社HPより)
本殿脇には古い祠と眷属像が所狭しと並んでいました。
早咲きの桜
ヒュウガミズキ(日向水木)
㈢ 終南山 見松院 善導寺
和銅元年(708) 、行基上人が東国遊化の折に庵を結んだのが創まりと伝わる古刹で、家康の関東入国の際に館林10万石の城主となった榊原康政候の墓所があります。
かつては館林駅の近くにあったのですが、平成2年、市の都市計画により城沼北岸の当地に移転しました。
徳川四天王、榊原康政候の墓所
ハクモクレン(白木蓮)
キズイセン(黄水仙)
㈣ 巨法山 善長寺
大永三年(1523年)、館林城主赤井但馬守家範によって創建された曹洞宗の古刹で、つつじが岡公園の由来にまつわる供養塔があります。
お辻・松女供養塔
榊原康政(徳川四天王の一人、館林城主)の側室お辻の方は寵愛を一身に集めていた。松女はお辻の方の侍女。ある日、お伴の人々と共に舟遊びをしていた折に、沼の主に見込まれて侍女松とともに入水したという伝説が残されております。
康政候がその死を棹んでお辻を弔うために沼の丘に植えられた一株のつつじが、今日の県立つつじヶ岡公園の起源と言われております。(現地説明文ママ)
鐘楼堂をバックに母(右)と姉。
㈤ 三ノ丸の土橋門と土塁
明治7年の火災で焼失した館林城の数少ない遺構の一つで、三ノ丸に設けられていた城門です。
子供の頃の記憶では黒い柱と門扉だけだったのですが、昭和58年に復元されて現在の姿となりました。
三ノ丸を囲む土塁
㈥ 武家屋敷と長屋門
子供の頃には無かった武家屋敷や長屋門が復元されて新たな観光スポットとなっていました。
武鷹館(ぶようかん)
百石取りの中級武士の屋敷を移築復元したものです。
長屋門
近郊の豪農が利用していた長屋門の木材を利用して平成21年に造られたそうです。
㈦ 清流通り
かつての繁華街で映画館も二軒あった通りですが、今は歴史散策道の一部となっていました。
外池商店
昭和4年建造の町屋造りの建物です。
昭和の面影
市街のあちこちで狸を見掛けます!
㈧ 長良(ながら)神社
長良様と呼ばれて親しまれる館林の惣鎮守です。
小学校の写生大会の定番スポットでした。。。
カンヒザクラ(寒緋桜)
シデコブシ(四手辛夷)
館林の名所は「花山公園」や「分福茶釜」だけじゃありません!
皆さんも是非一度お越し下さいませ。😃
本日もご訪問頂きありがとうございました。