私とサッカーとVAMOS 震災前の年のJヴィレッジ

2015-02-14 10:42:29 | 自分史
24
2回目のJヴィレッジには、平成22年、2010年、第25回日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会に出場しました。9年ぶりのJヴィレッジです。
東海大会は、2回戦からの試合となり、ロブタ静岡に3-1、次にグランパスに1-5の負け、敗者復活戦に回り、HONDA.FCに1-0、5位決定戦で、浜名ジュニアユースに3-1の勝利をして、5位代表での出場でした。
今回の宿舎は、ラッキーにもJヴィレッジから一番近い、広野町の岩沢荘です。
1次ラウンド8月15日VSセレッソ大阪 0-1
        16日VS横浜Fマリノス追浜 2-4
        17日VS塩釜FC 1-1
GK林田,加藤,廣江DF丹羽,井畑,柘植,長尾,守屋,服部,田中,杉山MF林,彦坂,杉本,熊谷,清水,後藤,水谷,吉田FW山本,古市,中村でした。
杉本太郎は、その後、帝京可児高へ進み、国体の予選で、認められ日本代表になり、その後に、アジア大会のMVPに輝く活躍をして、現在は、鹿島アントラーズで次代の中心として期待されています。
杉本は、多治見の笠原出身で小学生の時はグランパスへ通い、中学の時はVAMOSで活動しました。体は小さく、パワーや走るスピードはない方でしたが、技術は素晴らしかったです。体の使い方にボールコントロールとボールの置き場所は抜群に良かったです。相手の逆を突いたプレーとフットワークが素晴らしく、パスを出した後の相手を置き去る動きが速いと思っていました。嫌な顔をしないでどんなことにも貪欲でしたね。これからの活躍を期待しています。
このクラブ大会では、初の第1ラウンドで敗れ、この大会は残念ながら終わりました。
ですが、このチームはディフェンス力が弱く、攻撃力に得点力も全国チームに比べると力は劣りましたが、中盤の素晴らしいパスワークと、速い攻めができ攻撃力にチームワークがこの大会で生まれました。
グループの中で、塩釜は強いチームでしたが、2試合の反省から、最後の塩釜戦は、勝ちと同様の試合をすることができました。この大会で、このチームが成長してくれたことを嬉しく思いました。
形になる物を記念の土産にするのが好きだったのでJヴィレッジのTシャツを買ったのですが、ちょうど震災の前の年となってしまいました。
今回は、ピッチ状態が良くなかったのです。
それは、このJヴィレッジでは、夏休みに入り7月31日から、小学生の全日本大会があり、コートの大きさが違い、ピッチ内に線審の動いた後がはげている状態でした。今年の天候の影響のようでしたが、今回は、我がVAMOSのU-12チームも初めて、全国大会に出場していました。VAMOSU-15チームが来る前にJヴィレッジに来ていたのです。クラブチームとして初のアベックでのU-12、U-15チームが全国大会に同時出場した記念のクラブにもなりました。
VAMOSU-12とFCアルマの準決勝を観戦しましたが2-1の勝利して、決勝は高山山王に1-0の勝利を飾り、準決勝で、2得点、決勝では、小栗の得点のアシストをした鳥山が活躍して、全国大会の切符を手にしました。
監督 粥川、コーチ 高橋,清水 選手磯谷,桑原,佐々木,藤沢,山出,中口,彦坂,竹内,鳥山,太田,松尾,大洞,高木,高岡,坂井,小栗,長尾です。
平成9年の小学生チームVAMOSU-12を創設して、13年になりますが、岐阜県代表として全国大会に出場することができました。
グループリーグで敗れ、全国との差はあったようですが、小学生から中学生へと、岐阜県のサッカーへの発展につながることを思います。
あくる年に、東北大震災に見舞われ大被害を受けました。友人、知人、チームの皆さん、東北の多くの皆さん、我がチームとして何もできませんでしたが、被害に合われた皆様の復興に期待しております。
つづく

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。