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うまくなりたい!

2015-07-08 16:58:36 | 自分史
うまくなりたい! もっとうまくなりたい!

私にも選手時代がありました。40年も前のことだけど(フルイ)。
選手時代には、いつもうまくなりたいと思って練習をしていました。
私のサッカー人生での最後は、27歳になったばかりの時でした。
日本リーグ時代での永大という企業チーム(山口県)です。
高校時代が2年間、大学時代が5年間、そして永大が、4年間です。
それ以後は、楽しみと仲間との交流を兼ねたサッカーをすることはありました。

私が永大の時に感じたのは、レギュラーを取ったら、チームの中心でありたい、対戦相手にとって影響力のある選手になりたいという気持ちが湧いてきました。
そして、試合の中でプレー出来る選手になりたいというのと、サッカー人生のど真ん中、自分がどれだけ成長するか、いつも自分にチャレンジしていたと思う。

うまくなりたい!
もっとうまくなりたい!

永大のサッカー(23歳から27歳)が面白く、サッカーが楽しかった。

クロスからのヘディング、1対1の抜かれない守り、スライディングの深さ、守備範囲を広げる、50メートルのロングパスの精度、後輩の指導などなどをいつまでも練習した頃が懐かしい。
真剣に集中して自分にチャレンジすることで、その時も、自分に分かる程、伸びていることを実感していた。
ボールの持ち方、ボールの置き方、ワンタッチ目のコントロール、ボールを失わない、ロングパスの精度が上がり、思ったところにパスが出せるようになり、チームに大声で指示を出し、仲間をコントロールして、チームの最終では責任あるプレーをして、チームに安定感を与えられるプレーヤーになったと思う。
27歳の時が、一番うまかったと思っている。
もっともっとやりたかったが、家の事情とサッカー部の解散によって、サッカー人生を終えたのだった。

もし、この文章を読んでいる、いろんな種目のスポーツ選手、VAMOS出身の活躍している選手、並びに、Jリーガー、代表、JFL選手の人が、この文章を読んでいたら、自分がもっと伸びたい、もっと上を目指したいと思ったら、選手を続けてチャレンジしてください。
辞めるのは、まだ早いと思う。
上を目指す気持ちがなくなったり、他のことを考え始めたら、辞め時かもしれない。

体の成長が止まっても、プレーヤーによっては、まだ成長する可能性があるのです。
チャレンジできるチャンスのある人は、ガンバレと言いたい!


私とサッカーとVAMOS 永大時代の練習2

2015-05-15 16:57:19 | 自分史
昭和48年、1973年の話になるが、
私が大学を卒業して、永大産業サッカー部に入ったのが、チームが出来て2年目を迎えた時である。
入った時は、昨年全国社会人大会に優勝して、日本リーグ2部リーグに昇格した時に、永大産業サッカー部に入ることが出来た。
大学を卒業前に、出来るだけ早く来てほしいという事から、2月の試験が終わって直ぐ山口県に駆けつけた。
そして、4月8日が日本リーグ2部の開幕戦が始まり、前期2位、後期の最終戦の勝利、得失点差で優勝することが出来た。そして、入れ替え戦の田辺製薬との2戦の結果で1部昇格を1年で決めることが出来た。
この時の監督は、大久保賢監督(32才、広島市出身、立教大、名相銀)と若く、意気盛んな豪傑であり、これからの日本サッカーを変えてやるという野心家でもあり、練習の厳しさも半端ではなかった。
そして、私の永大での2年目は、日本サッカーリーグの最高峰である日本リーグ1部として、プレーできることになる。
ブラジル人3人は加わるは、練習が、午前・午後と1日練習となり、午前は、日本人だけでフィジカル、体力トレーニング。ブラジル人は、合宿所で日本語の勉強。午後は、ゲームをするという、サッカー漬けの毎日となるなど大いに変化しました。
そして、山口県に居ながら、関西の水曜リーグに加盟して、セカンドチームの強化として、日帰りで大阪の方に行くようになりました。
3年目には、会社の状態も悪くなり、サッカー部への資金も減ったのだと思いますが、午前練習が2日に1回か、3日に1回となり、会社に午前中行って仕事をする機会が増えました。 
試合に勝つと勝利給が出ました。勝つと1万円だったかな?
3年目から、セルジオがコーチとして、チームの一員となり、練習内容が変わり、考え方も変化していきました。
4年目の練習は、前回話をしましたが、練習内容が単純化され、尚且つ時間が短くなったのだが、1人1人の選手が自分の責任が重くなったように思う。
日本にありながら、外国・ブラジルのプロチームという感じではなかったかなと思う。
自分がやって、評価されないと試合に出れない。
若い伸び盛りで良いと思われたら、直ぐ試合に使う。
チームの中心でも、怪我をしたり、紅白ゲームで良くなければ使われなくなった。
とにかく、今1番いい状態の選手が試合に出るのが、当たり前になった。
ゲームは、選手が作る。
自分の良いプレーを出しながら、紅白ゲームの中で「もっとこうしよう」「あのほうがいいのじゃないか」など意見を出しながら、自分たちでチーム戦術を話し合ってゲームをしていたように思う。
セルジオは、戦術に対しての話は多かった。面白かった。この中から、相手とのかけ引き、戦術を学んだのだと思う。
サッカーの試合での面白さは、相手との戦術だと思う。
いままでVAMOSチームが、全国で戦えたのは、選手1人1人の技術・個性・個人戦術を付けたことと、チーム戦術と対面する相手とのその場での戦術によるものだと思う。
今選手の指導をしていて、今プレーしている選手は、何を考えてプレーしているのかなとよく思うことがある。
自分のプレーにしっかりとした個人戦術を持ち、“こうしたい”“ああしたい”という気持ちを持ち、選手間で、良いプレーがマッチするとすばらしい、楽しいサッカーができると思う。
そして、守りの面でも、コンビでボールを奪うとか、グループで追いコンでボールを奪うことが出来たら、面白くなると思うよ。
やってみてほしい!

私とサッカーとVAMOS 永大での トレーニング

2015-05-13 17:03:34 | 自分史
永大時代の4年目の、1週間のトレーニング内容は、シーズン中になると、
日曜日に試合があり、次の日曜日に試合がある場合の1週間のスケジュールはこんな感じでした。

月曜日 仕事も練習も休みとなる。

火曜日 休み明けのトレーニングは、12分間走(クーパー)、フットワーク約30分から1時間。
    クーパー走の12分間走だけで練習が終わりという時が多かった。

水曜日 シュートまたは、ハーフゲーム。練習内容はシュートならシュートと課題は1つである。1時間30分から2時間。

木曜日 週1回の紅白ゲーム。
クラブハウスに着くとボードにチームとポジションに名前が書いてありました。
チームの色になり、ウォーミングアップをして、45分×2本のゲームが始まります。
タイムアップと同時に練習は終了です。
練習での内容から、紅白ゲーム(22人)のメンバーが決まります。(部員は30人程です)

このゲームの内容で、週末の試合のメンバーが決まります。ゲームの内容は、激しく、ポジション争いをします。このゲームが体力強化になります。そして仲間での、打ち合わせや、注意をし合い、厳しい要求を出します。公式戦より激しかったと思います。
この紅白ゲームに自分をかけて戦うことになります。レギュラーポジション争いをしながら、試合に向けての、自分のコンディションを上げる努力もします。

仲間との厳しい争いがあって、試合に出るかどうかが決まります。
選手間で競争相手と、しのぎを削っていました。
26才だったので、1年1年が自分のサッカー人生をかけていました。

当然、まったく紅白試合に出ない者もいます。
力のない者は、紅白ゲームには出れません。
センターDFポジション2人に対して、6人いました。
怪我から回復して練習を始めても、プレーのコンディションが上がらないと紅白ゲームには使われません。
体力をつけて、コンディションを上げようとする者は、自分から練習以外の時間に、走って体力をつけていました。

金曜日 攻撃陣 ハーフゲーム(攻めのコンビネーションチェック)
        シュート
    守備陣 ヘディング、ロングキック、サイドチェンジのパス。

土曜日 ホームの試合前日は、ウォーミングアップとボール遊びなどで、約1時間、汗を流して終わりです。
アウェイの場合は、交通機関での移動することがトレーニングでした。

日曜日 (試合当日)
ホームの場合は、合宿所で、10時から30分程度のミーティング。
今日の試合に向けての意識
試合メンバーが発表
相手チームの注意点
戦い方、戦術面
新しい選手を使う意味と仲間意識
今日の選手個々の役割などの話があり。
ミーティング後に、スターティングメンバーだけで、セットプレーの確認。

セルジオの話術に引き込まれ、永大の選手としての誇りと自信と勇気を与えてくれました。
試合に向けての気持ちが上がります。
その後1人で自転車を走らせて、瀬戸内海の海辺から15分程の港に行き、自分のプレーの確認と、自分の役割と勇気をもってチームを引っ張ることの確認をして合宿所に戻り、昼食をとりました。
試合の前は、人よりもアップの時間をかけるタイプだったので、チームアップの前に15分早く体を動かしていました。その内容は決っていました。
試合に入る前は、部外者の人とは話もできないぐらいに、集中していたので無愛想でした。
朝起きてから試合が終わるまで、試合だけに集中していたので、終わると体の力が抜けて、リラックスです。
今日の反省会を仲間と延々とやっていたことを思い出します。
 
ここに書いた、1週間のスケジュールは、あくまでもチーム練習です。
個人練習は、練習後に1時間から2時間程できました。
自分で考えて、日が暮れるまで毎日やっていました。プレーが伸びていると思っていました。
楽しかったです。
つづく



VAMOS卒業生 佐藤大地21才の訃報

2015-05-10 18:20:28 | 自分史
VAMOSを卒業後、帝京可児高校、現在四日市大学の3年生であった佐藤大地21才が、このGWの5月3日に、交通事故によって命を落としました。
コンビニのバイトの夜勤明けの休みに、夜の名神高速道路を運転中に、居眠り運転からかガードレールに衝突して亡くなったことを5月5日の夜に卒業生の藤橋お母さんから連絡が入りました。
私は、中学2年生の知多の遠征に参加をして、宿舎の部屋に入ったところでした。
彼の中学3年間をVAMOSサッカーの中で、いろんな経験を積み、帝京可児高校にサッカー推薦で進み、さらに、四日市大学へ進学してサッカーに打ち込み、サッカーに情熱をもって今まで取り組んで来て、これからという時に、本人は悔しいだろうなと思います。
これから社会人となって、いろんな人生経験するところであったと思うし、何といってもお母さんや家族の方に感謝することがこれ以上出来ないことなど、悔いが残ることだろうと思います。
とにかく、VAMOS出身の若い貴重な命が亡くなったことは、非常に残念です。
6日のお通夜には、佐藤大地と関わったVAMOS、帝京可児、四日市大の選手と親さん方などのあふれるぐらいの方々の参列があり、7日の葬儀にも、多くの方の悲しみのお別れをしました。

彼のVAMOS時代での活躍を思い出します。
足が速く、ジャンプ力があり、抜群の身体能力の高い勇気のある選手でした。
DFとして、大変期待されていた選手の1人でした。
佐藤大地のプレーで、忘れられない1番の思い出は、 東海大会でのグループリーグ最終戦に、決勝ト―ナメント進出をかけての劇的な逆転からのゴールシーンである。
3年生の時のクラブ選手権東海大会のグループリーグの最終戦、清水鈴与グランドでLIBERO.FC(静岡県2位)との試合の時でした。
勝つと2位、負けると3位となり、決勝トーナメントをかけた試合で、相手に先行され、後半の途中に、
武藤コーチが指揮していたが、私が、DFである佐藤大地をFWに使わないかと提案して、後半途中からトップに入ったら、彼の能力の高さと馬力を発揮してくれて、得点して2点に絡み、スーパーサブ振りを発揮し、逆転して歓喜の勝利を挙げたのでした。
決勝トーナメント1回戦に、グランパスに0-1と惜敗して、残念ながら全国大会には出場できなかったのですが、あの佐藤大地の活躍が、素晴らしい感動を与えてくれました。
彼のプレーが目に焼き付いて、今でも忘れられません。

佐藤大地の生前の活躍に感謝するとともに、個人の功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。        
   
    一般社団法人 スポーツクラブ岐阜VAMOS 代表 井上昭二

永大を思い出した 鬼回し

2015-03-28 11:47:44 | 自分史
昔を思い起こして、永大サッカー時代の話をします。
私が、23才から27才の4年間過ごした山口県熊毛郡平生町佐賀田名と言う住所でした。瀬戸内海に出て海岸に沿って行くと、小高い山を切り崩した一角に寮がありました。そこから町の方に戻って、車で10分ぐらいの所に、永大木材工業の会社がありました。その横にサッカーグランドがありました。
きれいではなかったですが、芝生のピッチが1面あり、もう1面クレーのピッチがありました。
その芝生のピッチが、永大のホームグランドです。いつも練習をしました。
会社の仕事は、だいたい午前中で終わりです。私は、建材を作る仕事を8時から12時の4時間します。昼食を取って寮に帰ります。私は自動車免許がなかったので、仕事には乗せてもらっていました。
練習は、2時からです。寮で着替えて、自転車で約15分かけて向います。練習の30分前には着くようにしていました。
練習の前に、選手が集まれば、恒例の鬼まわしが始まります。
この鬼まわしが、いい練習になるのです。これで技術を覚えるのです。凄いプレーがどんどん出ます。ひらめきが沸いてくるのでしよう。楽しくてしょうがないぐらいにいつまでも続きます。そのうちに、周りの輪は、10人ぐらいになります。輪の大きさは広くなりません。中の守備範囲は変えません。
中の2人は必死にボールを奪いに来ますが、ちょっとやそっとではボールを奪えません。頭が熱くなりますが、カッカとして取りに来ると股の間や2人の間をパスを通されて、1本増えるのです。周りは誰も入りたくないし、いろんな技を屈して相手をだます、逆を突くことを考え、いろんな足技やフェイントが出まくります。周りは、きゃっきゃと言いながら笑いの渦となります。中の2人は、大変です。やかんが沸騰している様に熱くなります。スライディングをしてきます。それをボールをちょっと出して、牛若丸のようにジャンプしてかわします。30分間の鬼まわしは、最高に面白く、技を覚えるのには、いい練習です。そして、ハイテンションで練習に入っていました。セルジオは、たまに鬼まわしがいいアップになると言って、30分以上やって練習に入りました。
アイディアを出せば、いろんな足技が付き、発想が豊かになり、人のやる技が見れて、自分の良い刺激にもなりました。
中に入るのは、後から入る者が順番に入って、取らないと輪に入れないのである。
3対1ぐらいから始まり、7人ぐらいになったら中が2人になるという自然の流れで、12人ずつの輪が2つできるぐらいです。
練習に早く行かないと大変でした。
中の2人が熱くボールを取りに来てくれると最高にいい練習になります。
ボールを奪うのにも、いい練習です。足を出す程度ではボールを奪えません。
予測と心理を読んで、狙いを付けて、しっかり深く奪いにいかないと、また交わされます。そこで、さめたらだらしのないやつで終わりです。
技は出せるし、ボールの取り方を教えてくれます。
周りは、ミスをしてくれません。当然ミスを待っていては出れません。
サッカーの試合でも同じことです。
非常に楽しい有意義な、永大の鬼まわしでした。