日本サッカーリーグ発足50年パーティに出席した

2015-06-12 10:34:21 | 日記
1965-2015
日本サッカーリーグ(JSL)
発足50年記念パーティ
2015年6月9日(火)
 品川プリンスホテル 13:00開宴

アネックスタワープリンスホールに於いて、700人程が集まり、大宴会となりました。
昔の懐かしい仲間に、対戦相手の懐かしい顔や、先輩方に、後輩の顔がありました。
高円宮妃殿下の御出席がありました。
FIFAに選出された田嶋幸三もいました。
メキシコオリンピックの釜本さん、杉山さんの両雄が話をしていました。

昔のダイヤモンドサッカーでお馴染みの金子勝彦さんが司会進行です。
日本サッカー協会会長の大仁邦彌の挨拶から、チェアマン村井満の話が続き、日本サッカーリーグ発足に貢献した、デットマール・クラマーからのメッセージの紹介があり、リーグ創設に貢献された方々の表彰があり、そして乾杯となった。

我がチーム永大は、7人程の出席者に止まったが、
永大創設時の中央大学先輩でもある広島の角さん夫婦。
後の全日空チームを指導して、天皇杯で優勝監督となった塩澤さん夫婦。
いつもVAMOS ジュニアでお世話になる、静岡の竹下さん。
東芝に行って活躍した、中村、河本。
宮城県のマスター監督兼選手の鈴木。
広島の井上。
などが集まった。昔を懐かしんで話が弾む。
周りにも、今お付き合いのある、知った仲間がいっぱいでした。
中央大学の先輩・後輩も多く、いろんなテーブルを回って話が弾みました。

チーム名は、
古河(JR古河)、三菱、ヤンマー、日立、東洋(マツダ)、新日鉄(八幡)、名相銀、豊田織機、鋼管(NKK)、フジタ(藤和)、トヨタ、田辺、永大、富士通、読売、日産、ヤマハ、本田、全日空、住金、松下、東芝。

関係者として、JSLの審判員・メディア・サプライヤー・JSL、日本サッカー協会、J関係者。

2次会、3次会の後、今後の再会と健闘を願って解散をしました。

今回のビッグイベントから、また新たな気持ちと勇気をもらいました。
今後のVAMOSの指導に生かしたいと思います。



U-13の親さんとの懇親会 6月6日(土)

2015-06-11 17:14:57 | 日記
遅くなりました。

U-13の親さんから、力をもらいました。
親さんが何と言っても若いし、VAMOSへの思いの熱いことがよく分かりました。
非常に楽しかったです。
大変多くの親さんに集まって頂き、まずは感激です。
ご両親のご出席の方も多く感謝でした。
選手の番号順での、あいさつに、子供がVAMOSに入ったきっかけや、VAMOSへの思いが伝わりました。
そして、VAMOSの練習に行くのが、楽しくてしょうがないという言葉をたくさんいただきました。
嬉しいですね。
ヤリガイを感じました。
我々の責任は、大変大きいことを感じます。

VAMOSの楽しい面白いサッカーの中から、個性豊かな選手が生まれ育つことに努力して、
そして、チームの将来の大きな夢に向かって、我々、頑張りたいと思います。
ありがとうございました

VAMOSのOB会から招待を受ける

2015-06-02 12:41:17 | 日記
私がブログを書いていることをOBに伝えたのだが、読んでくれているだろうか?

先日の5月30日(土)都ホテルに於いて18時30分から、2時間30分
OBの2期生の森下と4期生の氏原の2人からの働きかけにより、OBの2期生から4期生の雄志が集まり、我々スタッフと30人程の懇談会ができました。
VAMOS創設時の懐かしい顔がいっぱいでした。

嬉しいですね!有難いね!
昔話もいっぱい出ました。
ハーフタイムで話をした内容まで、
あんなことがあった、こんなことがあったと、思い出話に花が咲きました。
当時の、全国大会優勝の決勝戦や4期生の東海大会と全国大会のゲーム映像が流れていました。
昔を振り返ると、改めて、岐阜VAMOSは強く、上手いを感じました。
凄いチームであることを実感することが出来ました。

OB主席者
2期生
森下、浅野、氏原健、古田、可児、木之本、坂脇
3期生
小県、小島、臼田、小倉、中路
4期生
氏原良、西松、高木、松永、酒井、栗本(旧性:東)、西脇、岩田、土屋、松田(スタッフ)
スタッフ
井上、武藤、渡辺、佐村
元スタッフ
粂野

“情報”VAMOSのOBから、現在までに、プロ契約したものが13人居ります。
その中で、現在活躍している者は、
荻 晃太 6期生 甲府ヴァンフォーレ GK
青山直晃 9期生 ムアントン・ユナイテッド(タイ) DF
津田知宏 9期生 徳島ヴォルティス FW
益山 司 12期生 FC岐阜 MF、DF
本多勇喜 13期生 名古屋グランパス、DF
杉野健斗 14期生 福島ユナイテッド、DF
山崎貴雄 14期生 水戸ホーリーホック、DF
杉本太郎 18期生 鹿島アントラーズ、MF
以上の8名になります。
今回の出席者の4期生の中には、
名古屋グランパスU-14スタッフ 氏原
歌手G2 西脇
FC岐阜トレーナー 松永
今回出席してないが、4期生の横山は、JALのパイロットをやっていることが分かりました。

楽しいひと時もあっという間に過ぎ、話すことが多くて、みんな食事もできなかったぐらいだったと思います。
その後、2次会と15人程が流れて、もう昔の話に花が咲き、別れを惜しむように解散しました。

今回のOB会の中で、VAMOS創立25周年を盛大に行う事が約束されました。
後2年後になります。
OB現役のJリーガー、プロ選手ににも参加してもらい、多くのOBに来てもらい。
競技場を貸切って、現役の選手はもちろん、VAMOSに関わった多くの皆さんに、
応援・サポーターの方々にもお集まりをいただいたり、
行政にも話をして、そして、セルジオ越後に話をしたいと思っています。

またその時には、お世話になります。
ありがとう!!

U-14のことから、クラブ全員へ

2015-04-09 17:13:54 | 日記
U-14の選手に、今年の春先に作文を書いてもらった。
しっかり書いてくれた人もいたが、ノートの端にちょっと書いた人もいた。
もっと夢を書いてくれると面白かったのだが、と言うのもあれば、海外のシャビ、セルヒオラモス、ベイル、ノイヤー選手や日本代表の遠藤、本田、長友、岡崎のような選手になりたい、プロのサッカー選手、海外でやりたいとか、Jリーガーになりたいとか、日本代表になりたいという夢を持っている人が多かった。
目標とする選手として、VAMOSの3年生の、今井の名前が多かった。
今井君のように、大きな声を出して、勇気のあるプレーをしたい、頑張れる選手になりたい。
憧れの選手である宮永君のように両足が使えるようになりたい。
浅野君が憧れです、スピードがあって、キープ力があって、ボールを取られないのが凄いです。
鈴木、竹中の名前がありました。
夢!
目標!
あこがれ!
などがあっていいですね。
君達も、あこがれる選手になってください。

ところで、「チームの中での問題点」について質問しました。
良くない人として6人程の名前が出てきました。
その中で、仲間に対して、プレー中に、汚いファウルプレーをする人や、汚いことばをかける人がいるようである。
人の物を勝手に食べたりといった人もいたようです。
話を聞いていない人。
悪いことをしているのに、注意ができない人もいるようです。
これからは、どんな時でもチームとして、注意してあげる仲間になってほしいと思います。
仲間の為に、自分の為にも、汚いファウルはやめよう、もし怪我をしたら大変なことだよ、熱くなってプレーすることは大事なのだが、ラフプレーには気を付けてください。
そして、汚い言葉や、罵声を言わない環境の中でみんながプレーできるようにしましょう。
楽しい、VAMOSでのサッカー人生であってほしいと思います。
厳しさと汚いを間違えないようにしてください。
厳しさがないとレベルは上がりません。自分のレベルを上げるためには、厳しさの中でもまれてください。その中での怪我に対して、相手をただ攻める訳にはいきません。しっかり治すことです。

問題の中心となった選手ですが、今週の火曜日から変わったと思います。
ゴールをいつも作っています。私のアドバイスにも、「ハイ」と答えています。
「ハイ」が必ずいいとは思いませんが、人の話を聞こうとしているのは確かです。集合している時から違います。走るのもしっかり走っていました。
これからも変わらず続けてください。

そこで、もう1つ問題が起こりました。
ラインです。
勇気のある者が、悪いことをするという事から、直させるために、注意の意味だと思いますが、中傷することばを送る者が出てきました。
こういった行為は、勇気があるかもしれないが、やめてほしい!
これも、言葉の暴力であり、名前を名乗らないので、エスカレートする危険があり、ひきょうな伝え方でもある。これからはやめるようにして下さい。

「危険なラフプレー」、「ラインでの言葉の暴力」があったら、VAMOSから去って頂きます。
VAMOSでの活動が、有意義でありますように、全員で素晴らしいチームにしましょう‼

VAMOS代表 井上昭二

今年の卒業生から学ぶこと

2015-04-07 16:58:02 | 日記
今年VAMOSを卒業した宮下大輝のことが頭によく浮かぶ。
私が、宮下を指導し始めたのが、2年生の時からだと思います。
彼は、VAMOSには、セレクションで合格してから入会してくれました。
最初の頃の印象は、3月生まれの早生まれという事もあり、体が小さくひ弱な、どちらかと言うとかん高い声でよくしゃべる子で、能力や技術的な特徴もあまりなく、プレーにも落ち着きがなく、あまり目立たない子でした。
2つ下の弟の宜也君もU-12チームに入って来てくれました。

練習には、ほとんど休まず、1番早く来て、いつも練習の準備を、誰よりも早く取り掛かり、ゴールの組み立て、ボールの準備をしてくれました。
たぶん早く練習したいという気持ちの表れだと思いますが、チームのために、練習の時、試合の時には、試合に出れなくても、率先して陰の力となって、仕事をしてくれました。
後片付けも同じようにやってくれました。
同期の者はみんなが見ていたと思います。
仲間から感謝の言葉をかけられたどうかはわかりませんが、チームのために良くやってくれていました。
そして、3年生になって、いつ頃からか、体が大きくなり、以前のよく喋るというイメージがなくなり、小学生から高校生になったような、落ち着いてきたようになったのでした。
体や、内面が成長すると同じように、プレーも成長したのです。

3年生の10月の高円宮杯の岐阜県予選である、岐阜県中学生サッカー選手権の2回戦の高山FCの時は、残り10分、サイドDFとして出場し、守りから積極的な攻撃を仕掛けチャンスメイクして動き回り、やっとチームの代表として公式戦に出場できたことを体いっぱいで表現していたことが思い出されます。
この時に、今まで一生懸命にサッカーに取り組み、練習の前に、みんなのために準備をしてきた宮下が、ゲームに出るようになって、こんなに生き生きしているプレーをしている姿を見ると、本当に良かったな、頑張ったと心の中で拍手したことを思い出しました。
これも指導者として、大きな喜びでした。
下積みの選手が試合に出場することは、嬉しいことです。
だからこそ、試合に今は出れない選手も、出るために努力する選手は、出る可能性を秘めているという事です。
中学生年代、体の成長には、個人差があります。
高校へ行ってから、伸びる選手もいます。
どんな時でも、試合に出るんだという気持ちを持ち続けて、試合に出場したら思い切ってやるぞと言う心掛けをもって、練習することが大切です。
試合に出る者は、岐阜県で1番になるように、東海で日本で、世界で1番になれるように頑張ってください。
指導者がその時に、良いと思われる選手が試合に出るのです。