2月11日日曜日
午後7時55分
私の父が他界致しました。
通夜 12日月曜日
葬儀13日火曜日
そして、先週の土曜日が初七日でした。
生前、私が父に費やした時間を
応援してくださったり、励ましてくださり
たまには、病床にある父へのお見舞いや
母や私が看護疲れが出ないようにと
励まし背中を優しくさすってくださったり、
看護師をしている我がチームのメンバーは、
私の相談を真剣に聞いてくれたり、あげたらキリがない程、皆さまにご心配とご迷惑をお掛けしました。
また、友達たちは時には笑いを誘う嬉しい励まし、いつでも飛んで行く!と頼もしい励ましを
くれました。
何より、ホリディスポーツクラブ、トリムパーク、ブリジストンスポーツアリーナ大牟田のスタッフの皆さん、カルチャースクール、サークル、レギュラーレッスンのメンバー!
そして、多くの代行を引き受けてくれたインストラクターの後輩達、ホリディスポーツの社員、
こどもフィットネス協会の会長をはじめ、ディレクターの皆様、LA BODYの社長はじめスタッフの皆様と
そう、本当に( ; ; )
様々な方々に、寛大なご理解と暖かいお心を頂き続けてきました。
言い出したらキリがない、皆さんそれぞれも悩みや苦しみを抱えているのに、励まし続けてくださった方々に
深く深くお礼申し上げます。
ありがとうございました。
父が旅立った11日の夜は、雪が降り
自宅での仮通夜は、雪の中お坊様に来て頂いて
お経をあげて頂きました。
葬儀の朝は、雪が深々と降り続けました
しかし、葬儀が始まる前に綺麗な青空
眩しいほどのお天気になり、葬儀場を出かける時は小春日和のようでした。
雪が降り寒い中
通夜、葬儀に会葬頂いて皆さま、
本当にありがとうございました。
深くお礼申し上げます。
父は、孫の大学入学式の日に
1人でがんの告知を受けました。
治る目的の胃がんと大腸がんの手術を5月に受けて
自宅に6月に帰ってきました。
3分の1になった胃を大きくする為に、日々辛い思いをしながらも、車の運転や草取りや日々の生活を取り戻しつつありました。
随分と調子が良くなってきた9月初旬に、庭で尻もちからの腰椎圧迫骨折し、救急入院、リハビリ転院しました。
11月に何とか歩けるようになったところで、退院する事になりましたが、その病院で受けた検査でがんの多臓器転移が見つかり、元の病院で検査を受けて、11月30日肝臓と胃の裏側にあるリンパ節に転移している事を、私だけ聞いて病院を後にしました。
転移したがんは、進行がんでもう何の治療も薬もない!
医師から
「5月に頑張って手術を受けて、治る努力をしていたのに、残念です」
と言われました。
また、お正月を超える事は難しいかもだし
心臓も悪いので、すぐに急変して亡くなるかもとも告知されました。
あまりの展開の早さに、父に告知せずに帰宅しました。
その日から、父の
「何で痛いのか、何で吐くのか、何でだるいのか、何で、何で、」
が始まりました。
父は、入院して検査する事を拒みました。
救急車に乗る事も、もう嫌だと言っていました。
12月に入り、父の容体は痛みと吐き気との戦いで、私も幾度となく泊まり一睡もしない日もありました。
何より、目の不自由な母が父を看護するのが大変で、昭和11年生まれの頑固じじぃの父は
見えない母へ、時には強く罵倒する時もありました。
涙の絶えない日々でしたが、クリスマスが終わった頃から、ケアマネジャー、訪問看護、自宅改修やベッドのレンタル等々。
在宅看護を本格的に始めました。
毎日、自宅で点滴を行い看護師さんにお世話をして頂き、週1の訪問入浴もお願いしました。
そう、亡くなる3日前も気持ち良い(^^)とお風呂に入れて頂きました。
正月祝いをしたか!
と言い、自分は食べれないに
おせちの注文をせがみ、結局おせちは
父に見せるだけで、ほんの少し食べるだけ。
春にある同窓会の返事も、
その頃には治るから、返事はまだしない!
と言った
どんどん弱っていく父でしたが、
気力が強く2月まで生き続ける事が出来ました。
今、父の1年間を毎日振り返り
父の為に行った買い物や品物を見るだけで、
涙が溢れます。
最後まで自宅に居て、亡くなる夕方に
『救急車を呼んでくれ
もう死ぬかもしれん』
と、母と夫に言ったのが最後でした。
18時30分に救急車に乗り、先回りした私が病院に運ばれてきた時に見た父は、16時頃仕事に出かける時に見た父とは別人でした。
マラソンが大好きだった父!
1年間走り続けて、12月から心臓破りの坂を下り、最後ゴール間際には、私の声かけに
全身で呼吸をしゴールを目指しました。
綴ればきりがない、注文を亡くした悲しみと
父の看護の日々や、父へのがんの告知の仕方など後悔しまくりの本日まででした。
暫くは、父に問いながら日々暮らしていきます。
最後に病院に運ばれて父を看取った時に
そばにいてくださった看護師さんが
『お父様、相当気力が強かったんですねー
頑張られましたね』
と、言ってくださいました。
尊敬できる父が私の心に残り、私はこれから毎日をしっかり生きていかなければと思います。
まずは、皆さまへのお礼と私が次への一歩を踏み出す為に、ブログに綴らせて頂きました。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
本日より宜しくお願いします。
山村映子