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人でなし

2019年12月30日 | 日記

話は1年前まで遡ります。
知ってる子が亡くなりました。
自ら命を絶つということは、
神様へのかなりの罪がありまして。
苦難をを乗り越えられず
与えられた命を粗末にしてしまったこと。
まわりに悲しみ苦しみを与えてしまったこと。
自ら絶った人は
その時の苦しみ 痛み 恨みがずっと続きます。
苦しみもがいている時に
うちの子がいたので
助けて欲しいと知らせてきました。
私は何もわからず
我が子が自転車事故を起こしたこと、
知ってる子が自らのことを
知り合いに伝えました。
この苦しみから解放して欲しくて
我が子に伝えてきました。
知り合い全員でご供養しました。
見ず知らずの方にもお願いして。
それからは楽になり
今は修行をしているそうです。
私もあれから毎日、毎朝
その子に呼びかけています。
おはよう。
今日は期末テストだね、一緒に受けようね。
とか。
遠足だね、一緒に行こうね とか。
それから1年経つころ、
「みんなが言ってる萬部供養って?
私も受けてみたいの」
ある日には
「私らは親に疎まれた水子です。
名前を付けられて
親に供養してもらっている子はまだマシです。
汚いものおぞましいものとして
葬られてる者もおるのです。
萬部が受けたい」と。
前者は申し込みさせて頂き
後者は来春させて頂きます。
供養の日は、六地蔵尊様の前で涙が溢れました。
また日がたったある日、
ある先生から
命を絶った原因かもしれない子が職場にいる、
その子も家庭環境が酷いのだと。
被害者と加害者が同じような家庭環境だったとは。
粗悪な家庭環境でも子供は必死に生きている。
存在をなしにされている子もいる。
それでも親が好きなのです。
大人がもっと頑張らねばいけません。
先生は、
一心不乱にご自分でできることをされています。
全身全霊で接しています。
どんなに罵声を浴びせられても
愛で包んであげます。
そんな先生が、
「自分は仮面教師だった。
人でなしだった。
1年前、見ず知らずの子のことを
本気で供養してあげられなかった」
と言うのです。
人でなし。
人でなし。
人でなし。
それは
わたしのこと。
うちの家系のこと。
本気で死ぬ気で目の前の人のお幸せや供養をしているか?
何か心ここに在らずで
行をしても何か体の奥から出る涙がない。
本当に大切な大切な友達の病気平癒祈願の時は
感謝の涙が止まらないことはあったのですが。
しかし、その他は、出ない。
冷酷人間なんだろうか。
人でなし
だったのだろう。
人でない。
魂を込めたお詫び供養をしなければならない。
うちの家系はそれが出来ていなかった。
人一倍しなければいけない支部を預かっているのに。
親はもう年なので、
私が、私が、しなければいけない。

私変わらなければいけない。


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