不思議活性

自分史 2

 前回、21歳の自分はまだ泳ぐことが出来 なくて、泳げるようになったのはそれから数年たった頃です。と書きました。振り返って、23歳から25歳の3年間ほど、小金井市に住んでいた自分は、小平市にあった小さな印刷所で働いていたのです。そこで働いていたGさんに、水泳のサークルに誘われたのが縁でした。青梅線で昭島駅で降り、夜の市民プールで泳ぎを覚えたのです。24歳になって、はじめて泳げるようになってサークルの仲間に感謝でした。また、その小さな印刷所で、スケッチ集『銀河鉄道の夜』(非売品)を作ることができたのは、そこで働く人たちの助けがあったのです。発行1978年、24歳の自分でした。ふと、その会社が今はどうなっているかと検索してみると、場所は変わりましたが、今もあり40年以上も前のことで懐かしいです。その三年間があったから今の自分があるのだと・・・・。

 そう、なんとか泳げるようになった自分ですが、1979年7月21・22日と、三浦海岸高抜海水浴場へ海水浴となったのです。当時の手書きのリーフレットが手元に取ってあるので、見てみると二日目に30分ほどの遠泳をしたのです。クロールも平泳ぎもちゃんと出来ない自分が完泳できたのは、海だから比重の関係でプールよりも身体が浮いたということ。周りの人の声掛けがあり、落ち着いて出来たということ。自分一人だったらパニクって泳げなかったでしょう。一生に一度の貴重な経験と想い出です。その水泳のサークルを紹介してくれたGさんが、ある日突然亡くなってしまったことには言葉もありませんでした。その後、田舎に戻ったわたしは、水泳サークルの仲間とは遠のいてしまい、その時一緒に泳いだ人たちはどのような人生を歩んでいるのだろうと・・・・。

・goo blogで紹介しましたが、この1978年24歳のときの想い出のスケッチ集『銀河鉄道の夜』を2020年に電子書籍スケッチ集『銀河鉄道の夜と私』 として発行できたことはうれしかったです。




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