アメリカンな生活!

バイデン大統領より4歳下です。

スキー板とWAX

2018-02-18 06:30:33 | 日記
2018年(平成30年)2月18日(日)
 羽生結弦がオリンピック金メダル2連覇の偉業を成し遂げた。驚いた。ケガの影響もあるしダメかと思った。彼の履いているスケート靴は当然フィギア用だ。子供の頃は近所の道路をフィギアと同じような型のスケートで滑った。スケート場は何か所かあった。先の尖ったスピードスケートを禁止するところがあった。混雑して危険だからだ。何十年もスケートを滑ってない。品川のスケートリンクはどうだったか。確かスピードスケートで滑ったような気がする。スケートもスキーももっていたが今はない。捨てた記憶もない。スキーといえば子供の頃のスキーは天然の木のスキー板と合板のスキー板があった。その頃はWAX選びが重要で間違えると全く滑りが悪くなる。通常は白・赤・銀色・黒の4種類のWAXがあった。白・・・乾いた雪→黒・・・湿った雪とプロ並みに選んでいた。前についているWAXは剥がしてWAXを塗っていた。手間暇がかかる。スキー板を温めて塗ったものだ。

 ゴム長靴に竹のストック。革の留め具。それでも中学生位になった時は今のスキーとほぼ同じようになった。素材はなんでできていたのか。板に塗装したものか分からない。ストックもアルミなのかプラスティックだったのか分からない。WAXも神経質に塗らなくなった気もする。

 体が覚えているのでスキーもスケートも滑れる気がする。アイススケートをやった人はローラースケートもそのまま滑れる。そういえばローラースケートもブレードの長いのとフィギアみたいに短いのがあった。
 25歳の時、会社の同僚と札幌の藻岩山スキー場で滑ったのが最後のスキーになった。

上海帰りのリル

2018-02-17 06:33:10 | 日記
2018年(平成30年)2月17日(土)
 今日は旧正月、春節だ。YouTubeで「上海帰りのリル」という曲を聴いた。幼少の頃NHKのラジオで聞いたことがある。上海ってどこだ。

 地図はなかったが中国のどこかだ思ってた。NHKラジオの「第一」でお昼に「上海帰りのリル」の曲が放送されていた。また、同じ時間帯で「尋ね人」という番組があり「樺太○○町にお住まいだった○○さん」「旧満州国ハルピン市の○○さん」ご本人または消息をご存知の方は尋ね人係まで連絡を・・・というような内容の放送が毎日あった。戦後数年の時のことだ。
 上海は色んな国の人が住む国際都市だった。今また国際都市として蘇った。何も縁はないが一度行ってみたい。

メニュー変更、今夜はおでん

2018-02-16 11:47:52 | 日記
2018年(平成30年)2月16日(金)
 1週間のメニューは決まっている。材料は購入済み。金曜日は「煮魚の日」でロシア産の皮のついてない珍しいカレイを用意していた。

 朝マルエツのチラシを見て牛乳が安い、阿部善のおでん種が安いとなり急遽メニュー変更した。おでんは今年2回目だ。大根はまるまる1本ある。たこもいれる。

 メニュー変更は滅多にしないが急におでんが食べたくなった。この鍋のシーズン、1ケ月に1回はおでんになるのか。鍋といっても全員で囲むのは無くなってから久しい。おでんは丼に入れてラップしておく。食べる時は鍋に戻してもらって温める。そのままでもうまい。

ぶらり旅⑰両国国技館

2018-02-15 06:44:43 | 日記
2018年(平成30年)2月14日(水)
 今日はバレンタインデー。ウイークデーなのか何の話題にもなっていない。蘇我駅で総武横須賀線の逗子行が一番早く出る快速だった。それに乗車した。さて、どこにしよう。近場で駅を降りてすぐの所、江戸東京博物館に千葉駅を通過した頃決めた。両国の駅に降りるのは初めてだ。大昔錦糸町からお茶の水まで通学に利用していた。その頃はまだ19歳だった。両国駅は房総へのターミナル駅だったのかホームからSLの機関車が見えた。(SLだったのか列車だけが昔の車両(チョコレート色)だったのか定かではない)両国から隅田川を渡る時異臭がした。当時の隅田川はどぶ川だった。特に夏場は冷房がなく窓を開けて列車は走行していたので余計に匂ってた。思い出した総武線は東京駅直通のため隅田川に四角のコンクリートの箱を沈めてトンネルを作ってた。それから地下深くに総武横須賀線の東京駅が完成したんだ。※インターネットで調べたらSLも丁度最後の年あたりでSLを見たのは間違いではなかった。両国が房総90何駅に通じる始発駅だったと書いてあった。

 ホームから本日は閉館との文字が見えた。あれこの間も「加曾利貝塚博物館」が閉館だった。二度続いた。両国国技館は隣なのでそっちに行くことにした。相撲博物館「見学無料」の案内板があり入った。歴代の横綱の写真が展示されていた「鏡里・吉葉山・千代の山・栃錦・若乃花・大鵬・柏戸・千代の富士等々」懐かしい。この国技館は栃錦と若乃花が建てたイメージがある。栃錦は建設業者に負けてもらったとインタビューで話しているのを見たことがある。相撲博物館には横綱の刀の展示はあると思ったがなかった。常陸山と大砲がなぜか印象に残った。

さよならクラウン、宜しくニュービートル

2018-02-14 06:53:03 | 日記
2018年(平成30年)2月14日(水)


12日の夕方決断した。いつかは「クラウン」は夢だった。満足してた。運転するたびに幸せだなと思った。V6 WOHC 2500ccエンジンは音も静かでタイヤの走行音しか聞こえてこない。闘病中でこれが最後のクラウンを自認していた。しかし、まだまだ乗りたい車があった。カブトムシビートル。25歳の時私には価格的に手が出せず仕方なく「てんとう虫」のスバル360を購入した。しかし素晴らしい車で4年で乗りつぶした。

13日ニュービートル購入の契約をした。納車は1ケ月後位。楽しみだ。この形に長い間憧れていた。性能じゃない何かを秘めている車だ。

2017年11月24日の日記、追記する。
 車歴のリストを作成した。
1.トヨタ トヨエース1tトラック 1000cc 18歳
2.トヨペット コロナバン1400cc18歳
3.トヨペット コロナ1500cc 19歳
4.日産ブルーバードSSS1600cc 19歳 
5.スバル360cc 25歳
6.トヨタ セリカ1400cc 28歳
7.スズキ エブリー4WD(サンルーフ) 600cc 37歳 
8.トヨタ クラウンEエディション(サンルーフ)2000cc 43歳でいつかはクラウンを達成、
9.トヨタ マークⅡ2000GTツインターフボ(サンルーフ)52歳 「サンルーフがなければやだワ」の妻の一言でこ  れにする。
10.トヨタ クラウンロイヤルサルーン 3000cc 58歳
11.トヨタ (ゼロ)クラウンロイヤルサルーン 2500cc(V6気筒) 64歳
   ※11.が最後のクラウン、現在も所有。
12.フォルクスワーゲン ニュービートル 2000cc 71歳
   ※これが最後とはもう言わない。