囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

敵は前に坐っている

2020年12月09日 | 雑観の森/芸術・スポーツ

 

文壇本因坊の著書を孫引きとして その3 の巻】

 

 

伊達政宗が二代将軍・徳川秀忠と碁を打っていた。

相手の石を追いかけながら

「北から攻める、北から攻める」

と、ぶつぶつ つぶやいていた。

 

秀忠の時代になると、

江戸城の周りの堀は完成していたが、

本丸の北にあたる駿河台にだけ堀がなかった。

そこを拠点に攻められると、城は危ない。

政宗はそのつぶやきで、

碁の弱点と城の弱点を重ね合わせ

暗示していたのである。

 

将軍とて、それは気づいていたが、

難工事のために手がつけられなかった。

そこで政宗が引き受けることになり

今のお茶の水の堀を拓いた。

幕府に対する忠誠も保身のためであったが

そこが政宗一流の政治手腕だった。

 

盤面を戦(いくさ)に見立て、

築城の難しさを云々する戦国武将の茶目っ気。

舌戦も相当の手練れであったことを彷彿とさせるが

碁石を打ち下ろす姿を想像するにつけ

その洒落っ気のセンスにこそ魅せられよう。

 

だて・まさむね 出羽国と陸奥国の戦国大名。伊達氏第17代当主、仙台藩初代藩主。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明して隻眼となり、「独眼竜」の異名をもった。三代家光の頃まで仕えたが、既に戦場を駆け巡っていた武将大名はほぼ死去していた。政宗は高齢でも江戸参府を欠かさず忠勤に励み、家光は政宗を慕って「伊達の親父殿」と呼んでいた。太平の世でも多くの趣味に没頭し、一日たりとも無駄に過ごすことがなく、文化人としての評価も高い。

 



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