囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

正々堂々と行きゃれ

2020年01月12日 | ●○●○雑観の森

手段を択ばずの「勝利至上主義」を斬るの巻】


■いよいよ大相撲初場所(1月12日初日)。

待ってました、である。


         ◇


■大相撲の仕切り制限時間は
「幕内4分」「十両3分」「幕下以下2分」と決まっている。

だが、およそ百年前、つまり1928(昭和3)年以前は、
そんな決まりはなかった。
囲碁と同様、大らかな時代。
時間無制限である。
いくらでも「待った」ができた。

1865(慶応元)年11月の本場所3日目、
鬼面山谷五郎と両国梶之助の一番は「計95回」を記録した。
あるヒトが人形町に用事に行き、しばらくして戻ってみると、
両者はまだ立っていなかった。
立ち合いは2時間以上におよび、日もとっぷり暮れた。
客はうんざり、行司もうんざり、力士もうんざり。
結局、引き分けにしてケリが付けられた。


■「待った」の起源となると、さらに二百年前にさかのぼる。
暴れん坊将軍・徳川吉宗の享保年間、谷風と八角の一番。
常勝・谷風に勝ちたい一心から、苦肉の策だった。

勝つには勝ったが、「横綱力士伝」で酷評される。
卑劣 待ったの模範を残したるは 憫笑の至りなり
勝負に勝って、恥をかいた。

「角力の行儀悪しくなりしは 八角より始まる」とも。
こうなると世間の評価は、芳しくない。
今日で言うところの炎上である。

 

■今も昔も、怪しげな振る舞いは、いただけない。

美しい国の美しい国民なら、決して納得しないであろう。

 

谷風梶之助 (初代) 陸奥国出身の大関(当時最高位)。第4代横綱の谷風梶之助(仙台の谷風)と区別するため「讃岐の谷風」といわれる。八角楯右衛門が待ったを連発し、なかなか立ち合わなかったことから平静を失い、敗れたという有名な話がある。9年間無敗を続け、圧倒的強さを見せつけた。モノの値段をオマケしないことを、江戸の町では「谷風」と呼んだという。

 

 

▼「勝つためだけ」に土俵に上がるのか

こちらは今場所も毎度おなじみ“肘打ち”劇場か?
「反則」「反則スレスレ」という部分の問題では済まされぬぞ
横綱への敬意から下位者が決してやらないことをいいことに
「やりたい放題」で勝ちを重ねることの是非を改めて問う

初日の相手は大栄翔、二日目は遠藤である
横綱に対し、彼らが「かち上げ」「張り手」をかますだろうか?
血だらけで惨敗すれば、心ある相撲ファンはどう見るのか?
横綱審議委員会など、踏み込み甘く、あてにならぬ

怪しげな手なくば勝てなくなったなら
潔く身を引くべき時ではあるまいか

祇園精舍の鐘の声
諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす
奢れる人も久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き者もつひにはほろびぬ
ひとへに風の前の塵に同じ 

 



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