【未来(つぎ)の空へ、声をつなぐYELLの巻】
■準キー局の看板アナウンサーのインタビュー記事です。
■駆け出し時代のエピソードを一つ。
■「大学卒業後、1981年にMBSと専属契約を結び、アナとして一歩を踏み出した。『大阪弁でラジオのメインパーソナリティーをやりたい』。新人アナの目標は『バカ野郎』の一言で片づけられた。女性アナが番組で大阪弁を話すことすら『あり得ない』と言われた時代。『女はメインになれない。アシスタントの女王を目指せ』という言葉は鮮明に覚えている」
■10数年前、一度だけ仕事(イベントの司会)を依頼し、丸一日ご一緒させていただいたことがあります。早朝に京都のご自宅に車でお迎えにあがり、夜にお送りしました。テレビ・ラジオ通りに、とても気さくな方。定年退職されていたのですね。お疲れ様。記事を読んで感心することが多く、改めて見事な半生に拍手です。