【文壇本因坊の著書を孫引きとして その13 の巻】
急所を突くことを、ついぞ忘れて
後代に醜名を残した浅野内匠頭長矩である。
時は天下泰平の元禄年間、江戸城・松の廊下にて、
梶川与惣衛門と立ち話する吉良上野介の背後から
「宿意あり」と叫んで、小刀で肩を斬りつけた。
上野介が振り向くところを、また眉間を斬った。
ところが刀は烏帽子の針金に当たり、少し傷つけただけ。
梶川に抱き留められ、上野介を取り逃がしてしまう。
殿中の刃傷沙汰がどういう重大な結果を招くのか
一時の憤激があっても意識の底にはあっただろう。
家門と家臣の犠牲にしての思い立ちに
相手を逃がすなどはあってはならぬこと。
武士の面目に欠ける痛恨事である。
幕末の奥羽戦争で、二本松の少年隊のひとりは
「敵を斬ろうと思うな。刀の切っ先を相手のみぞおちに向け
身体ごとぶつかれ」と教えられて出陣した。
教えを忠実に実行して東軍の隊長を見事倒した。
このあたりは、武士の教えのいろはである。
そのいろはを浅野内匠頭が心得ぬはずはなく、
カッとして、つい忘れたとの解釈に首を傾げる。
◇
どんなに上手く打ち回して、優勢となった碁でも
最後の最後のツメが甘く、うっちゃりを食っては
何もかもを失う。負けは負けである。
勝ち碁を勝ち切ることは、永遠の課題である。
「突くならば急所を」
これは万事にあてはまる言葉であろう。
なんとも怪しい「地域碁会五段格」の漂流男だが
首尾よく棋院免状を頂戴できるよう精進してまいりたい。
あさの・ながのり 播磨赤穂藩の第3代藩主。江戸城本丸大廊下(通称・松の廊下)での刃傷沙汰による切腹と改易、それに続く赤穂事件(遺臣たちの吉良邸討ち入り)で知られる。