【文壇本因坊の著書を孫引きとして その5 の巻】
植木等は歌う。
♪ゴマをすりましょ
陽気にゴマをね(ア・スレスレ)
口から出まかせ 出放題
手間もかからず 元で もいらず
すれば この世に
チョイとチョイとチョイとチョイと春が来る
口先ばかりのゴマならば
いくら擦っても損害なし。
それで上役の機嫌が良ければ
大いに擦るべしであろう。
植木の歌に皮肉があっても
それが最上の処世術であれば
遠慮無用である。
程度の差はあろうとも
たいていの人間はゴマを擦って生きている。
上役をはじめ、奥方、先輩、あれやこれやに。
意識するかどうかは別として、これは
日常のエチケットである。
しかし度を越すと、擦られた方も面白くない。
まして、不正まで行き、ヒトの生き死にまで
発展するに至っては、見過ごせない。
忖度が生んだ残酷物語の行方いかん?
「嘗糞の徒」
という中国の昔の話がある。
おべっか者が、上役の病気見舞いに行った。
上役の便を指に取って舐めて言うには
「味が甘いと、病気は良くならないと言います。
これは苦いので、きっと良くなりますよ」
ビロウな話で恐縮だが、これは昔ばなしだろうか。
生煮えで蓋をした桜モリカケ疑惑の白黒をつけよ
、と言いたい。でないと、
正しい歴史認識ができず、
後年の教科書も作れまいに。
◇
このところ負け碁が立て込んでいる。
不肖 流れ者が世話人をしている三つの碁会でのこと。
先日、ある先輩からささやかれた。
「(同じ相手に)勝ってばかりいると、もう来なくなるよ」
つまり、忖度せよ、ということか。
イヤな気分になった。
勝ち切れなくなった。
会費を頂いて経営しているでもなし。
素人同士でも真剣でなきゃ面白くもなんともない。
でも、何かがおかしくなった。
ひととき鬼になり切れなきゃイザ勝負とはいかぬ。
こちらの刃は知らぬ間に竹光になったのか。
何気ない一言がキツイ仕置きになることもある。
そう、渡る世間のどこかには、ひょっこりと鬼がいる。
しょうふんのと 越王勾践が呉王の糞を嘗めて、やがて呉王の病が癒えるだろうといった故事から、人にへつらって恥を知らないことを指す