もはや曜日感覚すらどこへやら、シニスです。
朝いつもどおり起きて朝食をとっていると、N○Kの連ドラが総集編だったのに気がつき
あ、今日土曜か
と、把握したわけですが、毎日が日曜日なのに土曜日とかどーでもいいわなと思いつつ、土日は仕事しないと決めているので部屋でうだうだ。
お昼前、彼女からLINEが入り外に連れ出される。
日用品の買い出しに荷物持ちで貢献しファミレスへ。
サイ○リヤ、数年振りに入ってみたらこのコロナの影響で注文は紙に書く形式になってた。
なるほどなーと関心しつつピリ辛の鶏ももをつまみに一杯ひっかける。
帰りはコンビニに立ち寄り角ハイボールを飲みながら外の喫煙所で一服。
あー、ほんと屑
こんな無職の屑を引きこもりがちだからと外に連れ出してくれる有能な彼女。
そんなこんなで半日ほど外出を楽しみました。
来週は補助金関連の打ち合わせと、父の納骨。
あっという間にまもなく49日。
区切りだなぁと思いつつ、自分の現状も早めになんとかしないと。
母にデジカメを借りたら3年前に父がデジカメをいたずらしていた様子の動画と画像が入っているのを見つけなんとも言えない気持ちになった。
本人は写っていないのだが、車イスになってからの茶の間の定位置からの撮影だったので父がカメラの扱いの練習でもしてたのだろう。
そう思って他の画像も見るとブレブレだったり意味不明の物を写した画像ばかりだったが父が撮影したものだったのかもしれない。
母には軽く「消していいよ』と言われたが、消すに消せない。だからといってとっておきたくもない。
何度も脳梗塞を起こして、ここ10年は俺から見たら昔の父とは全くの別人になっていた。
会話もろくに出来ないのでこの数年は話しかける事もなくなっていた。
でも三年前の日付の写真は昔と同様にカメラに興味をもっていじっていた。
母に聞くとこのカメラも旅行前に父の希望で買ったものだと言っていた。
俺は、父は完全なる廃人になったと思っていたが、ろくにしゃべれないだけで頭は意外とまわってたと思うともっと会話すべきだったと後悔の気持ちがわいてきた。
11年前、俺が実家に戻ってきて、その頃はまだ父も会話が成立する状態だったし、無理矢理運動させたりしていたが、年々老化と病気で話すこともできなくなり、歩けなくなり、寝たきりになり。
俺自身は寝る間もない家業のストレスから家族との会話もなくなり、この数年はほとんど家族と顔も会わせなかった。
経営不振で自営をたたんで、また外に働きにでて一年。
仕事をやめて、父が亡くなってまもなく49日。
なんだかなー。
なんだかんだで日記が長くなった。
〆ようもなくなってきたのでこのへんで。