<2012年2月12日>
休廊いたします
長谷川利行「ノアノアの少女図」
キャンバスボード・油彩,1937年
329x238mm
左上にサインと年記
木村東介シール
東京美術倶楽部鑑定委員会鑑定証書
<ご売約済>
この作品に初めて出会ったのが2000年、少女像として傑作中の傑作で一瞬で魅入られて
しまいましたが、その時は買い逃してしまいすごく残念な思いをしました。
私たち画商は日々売買の場にいるので、買い逃して残念に思う絵が次々と出てくるので
前の絵のことは忘れてしまうものです。
しかしこの絵は12年間、忘れたことはありませんでした。
ノアノアは当時新宿にあった喫茶店で、モデルはおそらくそこの女給さんでしょう。
1937年長谷川は新宿に画廊を開いて彼の絵を売り出していた画商・天城俊彦の手配で、
浅草から新宿に移っていました。
上の言葉の最良の出来の絵の一つがこの作品だと思います。
女給さんは「私、可愛いかしら?」と少し恥じらいながらも、リラックスしたとても良い
表情になっています。それにこたえて長谷川もノリノリで一気に描いています。
絵を描く喜びが溢れていますね。
長谷川は底辺で一生懸命生きているもの同士として、対等な目線でモデルに接し、
愛と共感を込めて描いています。(だからこそ彼女たちは「彼になついた」のでしょう。)
そこから誰もまねできない長谷川独自の生命感溢れる絵が生まれて来るのです。
→ 当画廊コラム「長谷川利行の女性像」もご覧ください。
休廊いたします
長谷川利行「ノアノアの少女図」
キャンバスボード・油彩,1937年
329x238mm
左上にサインと年記
木村東介シール
東京美術倶楽部鑑定委員会鑑定証書
<ご売約済>
この作品に初めて出会ったのが2000年、少女像として傑作中の傑作で一瞬で魅入られて
しまいましたが、その時は買い逃してしまいすごく残念な思いをしました。
私たち画商は日々売買の場にいるので、買い逃して残念に思う絵が次々と出てくるので
前の絵のことは忘れてしまうものです。
しかしこの絵は12年間、忘れたことはありませんでした。
ノアノアは当時新宿にあった喫茶店で、モデルはおそらくそこの女給さんでしょう。
1937年長谷川は新宿に画廊を開いて彼の絵を売り出していた画商・天城俊彦の手配で、
浅草から新宿に移っていました。
「トルキイ、ノアノア、武蔵野茶廊、モナミ、エルテル、等々の喫茶少女を画にした。
彼女たちは彼になついてよきモデルとなった。」 (天城俊彦「故人追想」)
彼女たちは彼になついてよきモデルとなった。」 (天城俊彦「故人追想」)
上の言葉の最良の出来の絵の一つがこの作品だと思います。
女給さんは「私、可愛いかしら?」と少し恥じらいながらも、リラックスしたとても良い
表情になっています。それにこたえて長谷川もノリノリで一気に描いています。
絵を描く喜びが溢れていますね。
長谷川は底辺で一生懸命生きているもの同士として、対等な目線でモデルに接し、
愛と共感を込めて描いています。(だからこそ彼女たちは「彼になついた」のでしょう。)
そこから誰もまねできない長谷川独自の生命感溢れる絵が生まれて来るのです。
→ 当画廊コラム「長谷川利行の女性像」もご覧ください。
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