お空の上からエヘヘのへ コモモのたより

犬と猫とちょびっとピアノ

全てを終えて思うこと coda

2024-06-15 12:40:00 | 日記
この22年間、とにかく必死だったと思います。
幸せだと思ってほしい。
楽しいと思ってほしい。
美味しいと食べてほしい。

苦しくないように、
悲しくないように、
寂しくないように。

いろいろな思いがありましたが、一瞬一瞬、全ての時間、このコたちが大好きで大好きで、可愛くてたまらなかったです。

一番側にいた母も、大変だったかと思います。

私はこれから先、新しいコのお母さんになることはありませんが、私に出来ることを考えて、誰かの幸せのお手伝いが出来たら…と思います。

私はもう少しこちらで頑張り、フキ・コモモ・アッシュ・キッシュと再び暮らします。






全てを終えて思うこと 第四楽章

2024-06-14 06:37:37 | 日記
日大での入院時はコロナ時期と重なっていました。
私は前年から仕事を増やしていましたが、コロナの影響で在宅ワークがかなり多く、そのためアッシュの入院に付き添うことができました。
アッシュの入院が決まったのも、コロナで新規患者受け入れを止める直前だったのも本当にラッキーだったと思います。
アッシュの手術は無事終わりました。
アッシュはとても甘えたさんでしたので、私が病院に電話をした時も、よく担当の先生に抱っこをしていただいていました。
1週間で退院となりました。
コモモも本来でしたら1週間で退院の予定でしたが、そういえばコモモには「何があるかわからないので、覚悟もしておいて」と言われていました。アッシュにはそのような説明はなかったので、やはりコモモはかなり深刻だったんだと思います。

アッシュは退院し、穏やかな日がきました。
新しいSUBはつけなかったので御殿場の病院に行くことも無くなりました。

半年くらししてアッシュの心臓に問題がでました。
胸水が溜まるようになってしまいました。
胸水だけでなく、心臓そのものも悪いから、ということで隣町の病院を紹介され、心臓・胸水はそちらの病院、腎臓はかかりつけ病院とに分けて診ていただくようになりました。
その他にも東洋治療をしようかと思いましたが、あまりしっくりこなく、こちらはすぐに止めました。

心臓はかなり悪く、いつまでもつかどうかです、とおっしゃっていましたが、2021年の12月18日、病院で胸水を抜いた直後に急変し、そのままお空に行きました。
あまりに突然で、とても動揺してしまいました。

キッシュの腎臓病はとても安定していたので、1ヶ月に一度の血液検査だけでした。
が、2022年冬、キッシュが咳をし始めました。
病院に行くと胸水でした。
キッシュは最後までかかりつけ病院だけでした。
最初は1週間に一度抜いていましたが、途中から二度になり、そして三度通うことになりました。
その他に自宅で週2で輸液をしていたので、週に5回も針を打っていたことになります。
それでもキッシュは我慢をして耐えてくれました。
サヨナラする数週間前からどんどんどんどん体重が減ってしまいました。
食べる量が明らかに少なくなりました。
本当にアッという間のことだったと思います。
サヨナラする直前には胸水は溜まりませんでした。
が、貧血になってしまい、貧血と体力がもたなかったことがサヨナラの原因だと思います。

小さい頃からいろいろあったアッシュもキッシュも、よくここまで頑張ってくれた、と感謝の気持ちでいっぱいです。

全てを終えて思うこと 第三楽章

2024-06-13 21:23:39 | 日記
コモモが旅立って思ったことは、「もう心配しなくていいんだな…」ということでした。
旅立ってすぐにブログを始めたので、アッシュ・キッシュのことはブログを読めばわかるのですが、読む勇気が出ないので記憶で書こうと思います。
2015年の5月から2016年の4月まではとても穏やかな毎日でした。
アッシュ・キッシュと庭で遊び、楽しく過ごしていました。
5月に入った頃でしょうか、ある日アッシュが押入れに入ってうずくまってしまいました。
こんなことは今までにはなかったのでとても心配しました。
これは今でも思い出すと苦しいです。
検査をすると腎不全でした。
コモモが癌とわかってから、数ヶ月で旅立ったので、アッシュもすぐにサヨナラになるのかととても怖かったです。
とにかく、食べたもの、回数、トイレなどをノートに記録することにしました。
それから数ヶ月後にはキッシュも腎不全になりました。
かなり数値は悪かったかもしれないです。
また同じ年の秋から冬に変わるころ、アッシュは尿管結石になりました。
この時もかなり具合は悪かったです。
尿管結石はこの辺では手術が出来ず、大学病院に行くしかない、と説明されましたが、外部の先生をお呼びしていただき、かかりつけ病院で手術をしました。
夜から手術が始まり、日にちが変わるころ終わりました。
何とか容態も安定し、春を迎えましたが、春ころまた尿管結石が再発しました。
今度は御殿場の病院でSUBを入れる手術をしました。
このころはSUBをしているコが少ないのか、ネット検索してもなかなか情報は出てこなかったです。

アッシュも本当に頑張り屋さんで、この手術も成功し、無事退院することが出来ました。
アッシュは3ヶ月ごとにSUBの確認に行くようになります。
腎臓数値も高めながらも何とか保ってくれていました。

その間、キッシュの腎臓が一気に悪くなったことがありました。
急性腎不全だったのかもしれません。
BUNもCREも上限を超えて、数値が出ないくらいでした。
治療といってもやることはないのですが、静脈点滴をしていただきました。
朝、病院に連れていき、日中入院。
夕方か夜に迎えに行き、夜は自宅で過ごしました。
点滴針は刺したままで、帰宅後点滴を再スタートさせましたが、空気が入ったらどうしようと、とても緊張しました。
1週間くらいして、ようやく回復してきました。
キッシュはそのあとは腎臓数値が悪くなることはなかったと思います。

アッシュはSUBを入れて3年目に、SUBの中にカスが溜まってしまったので外さなければならないと説明されました。
その直後、一気に腎臓数値が悪化しました。
取り外すために日大病院に入院することになります。
コモモと帰ってから二度と行くことはない、と思っていた日大でした。

続く

全てを終えて思うこと 第二楽章

2024-06-12 19:06:32 | 紹介
コモモはお泊まりをしたことも、ましてや夜一人で寝たこともないコでした。
ですからコモモが日大に入院している間、私はかなりの仕事をお休みにして、可能な限り側にいるようにしました。
それでも、お家のアッシュ・キッシュも心配でしたので、一日泊まり、次の日は帰る。
翌日またコモモへのお弁当を作り病院へ行く、という感じで過ごしました。

平滑筋肉種の手術は成功して、手術から1週間後くらいに退院となりました。
退院の日、コモモをお迎えに行くと、何となく元気がなかったので、大事を取って退院を延ばしていただきました。
検査をすると、膵炎を発症していました。
ここからコモモはいろいろな症状が出てきます。
漸く膵炎が治ったら他の不調、それでも何とか持ち直すと、次の不調…。
次から次へ問題が出ては治り、治っては出ました。

それでも何とか何とか退院にこぎつけてお迎えに行き待合室で待っていると、先生がいらして「コモモの容態が急変した」とおっしゃいました。
私は先生に「このまま入院したら治ると思いますか?」とお聞きすると、「難しいと思う」とのお返事。
私はまだ命があるうちに家に連れて帰る決心がつきました。

帰りの高速はスムーズで、コモモもとても穏やかに寝ていました。
高速を降りると、前の車が、コモモが赤ちゃんの時にお世話になったトレーナーさんの車でした。
コモモに「先生だよ」と言うと少し反応してくれました。

帰宅をすると、コモモは驚いたような感じでキョロキョロ見回していました。
そして穏やかに寝てくれました。

朝、起きるとコモモはやはり穏やかな息遣いでしたが、目はしっかり開いていたと思います。
それでもコモモがお空に行くような気がして「コモモありがとね」と話しかけていました。
暫くしてコモモは静かにお空にいきました。
とてもとても穏やかに静かにお空にいきました。

全てを終えて思うこと イントロダクションと第一楽章

2024-06-11 21:48:50 | 日記
コモモを迎えて、キッシュを送るまでの22年間
とにかく楽しかった、と単純に言えるのは前半9半年間でした。
毎日が穏やかで健やかな日々…私の人生でもとても幸せな時間に満ちていた時です。


それからは正直、苦しい気持ち、不安なことの連続で、平静を保つのがかなり困難な状態でした。

2011年春にフキの目に異常がありましたが、私の中ではそこまで重大だと思っていませんでした。
2012年年明けから、フキの調子が悪くなっても、認知症によるもので、まだまだ生きてくれると考えていました。
月を追うことにいよいよまずい、と思っても出来ることはなく見送ってしまいました。
結局、フキは2012年春にお空に行きました。
セカンドオピニオンの先生は「脳腫瘍だったのでは」と話していらっしゃいました。
何もしてあげなかったことの後悔が、そのあとコモモたちの治療の仕方に左右していきます。
その年の秋、コモモに癲癇発作のようなものがでました。
実際は癲癇とは違い、突然走り出し、自分(コモモ)が何をしているのかわからないような感じでした。
発作が止まっても、それから30分くらいはハァハァと息があがっている状態でした。
一定期間、癲癇の薬を服用したら、そのあとは薬を飲まなくなっても発作が出ることはなかったです。
私はこの発作からコモモがお空に行くまで、家のチャイムを外したため、配達の方にはご迷惑をおかけしてしまいます。
この発作の時に、MRIかCTの検査をしましたが、結局何だったのか不明のままです。
2014年、秋か冬、コモモに変調が訪れます。
最初おかしいと思ったのはウンチでした。
ウンチが平べったかったからです。
その月始めにドックドックをしていたのであまり心配はしなかったのですが、かかりつけ医とは別の、オゾン治療をしていた病院でたまたま話したら、先生が触診し、絶対おかしいとおっしゃいました。
それから藤沢の日大病院に行くと、[平滑筋肉種]と診断されました。
[平滑筋肉種]を調べてもあまり出てこなかったですが、[避妊手術をしていない子になる場合が多い]とありました。
コモモは早い時期に手術はしていたので理解が出来なかったです。
コモモの検査入院、1ヶ月くらいに後の手術と入院の間に具合が悪くなったら…と思うと、とても心配で苦しかったです。

続く