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フランクフルトを食べたくて・・・

モノより思い出。だけどモノもあればなおうれしい。

藤野FC HISTORY vol.2  (今日はミニスカートの日)

2004-10-18 | めがね
以前話した続き、藤野FCの歴史について今日は話すことにしましょう。
現在、我がチーム1の古株といえば、長老のオサダさん。オサダさんといえば、サッカーだけでなくソフト、野球と運動神経抜群。野球といえば、ライブドアと楽天。といえば、仙台。といえば、ベガルタ。といえば、由来はベガとアルタイル。といえば七夕。といえば、たんざく。笹の葉に願掛けするアレ。サッカーだとミサンガとかボンフィンってやつですね。たしか大学1年の頃、左足のふくらはぎの上につけたピンクのボンフィン。まだ切れないよなぁ。どんな願い事したかもう忘れた。今日、何話そうとしたかも忘れた。

ホームゲーム

2004-10-17 | めがね
久しぶりの試合、なかなか楽しかったな。やっぱり試合は試合。練習とは違う。腐っても試合。緊張感みたいなのがある、俺は。内容うんぬんより今日は‘試合’が楽しかった。
今日来てくれたメンバーお疲れ。応援しに来てくれた皆さん。ありがとう。で、いつもなら終わるところなんだけど、試合後の紅白戦に、応援しにきたスポンサー、Sさん、マネージャーのMも参加してくれた。なんつうか、そうゆうのが好き。明らかにノリだったし。できる、できないとか上手い、下手とかそうゆう枠をこえて、一緒にサッカーができるっていいよね。世代の違う人たちって上でも下でも関われるだけで勉強になるのに、サッカーまでできたっておまけが今日の収穫です。かね。
収穫といえばもう一つ。中学、高校生、ホント上手くなってるよなぁ、と。ショウタもショウキもこないだまで小さくて足遅くてって感じだったのに今日、目立ってたもんなぁ。メイベも女の子なのに負けてないし、というより普通に技術あるし、リョウタも迫力あるドリブルで抜きまくってたし、マッキーちゃっかり点取ってるし。まだまだ負けらんないよな。
帰ってからうちの母が言った一言。「シンゴってうまいね。」自覚無くてすんません。_

秋=サッカー

2004-10-15 | めがね
秋の訪れを感じるんです。
もう秋。これに異論はないでしょう。みなさんどこかで秋を感じているんじゃないでしょうか。では、どこで?それは十人十色。ですよね。私は秋をサッカーで感じるんです。そう、サッカー。11月には、藤野町少年サッカー大会がある。その練習が始まると私は秋を感じるんです。こんな秋の訪れ、素敵じゃないですか。今日はみなさんに私の秋の感じ方をもう少し詳しく説明することにしましょう。
秋といえばサッカー。これは強引だ、という人の気持ち、わかります。11月にサッカー大会がある。だから秋=サッカー。これもどこか腑に落ちない。わかりますってば。じゃぁなんだ、何が秋なんだ。ということですよね。そもそもそれっておかしくないですか。
秋になるとよく言うのは、芸術の、食欲の、スポーツの、読書の秋、ですかね。秋は運動するにもちょうど良いし、食欲をそそる美味はあるし、落ち着いて本も読めるってことかな。ここで疑問。スポーツの秋っていう。それは周知の事実。でも秋=スポーツではないでしょってこと。芸術でも読書でも食欲でも一緒。これが例えば赤とんぼとか焼きいもとかなら話は別。赤とんぼ=秋だし、秋=赤とんぼ。でも秋=スポーツでは絶対ないっていうのが秋の弱いところなんじゃないかってことです。要するに、秋は、春=桜、夏=海、冬=雪みたいな絶対がないんです。なのに半端に芸術とか読書とかに結びつけちゃうからダメなんですよ。もし赤とんぼの秋って言われてたらサッカーなんて言わなかったですよ、私は。絶対のイメージがないからサッカーがイメージになっちゃう人だっていてもおかしくないじゃないですか。俺、間違ってない。
秋は説得力が無いんですよ。もともと秋って短いし。8月なら夏、12月は冬、4月は春って譲れないでしょ。でも10月は頑張れば夏、11月だって無理すれば冬でしょ。居場所ないのにでかい面すんなって。マツタケだって栗だってさんまだって上手いんですよ。でもそれって食欲じゃないでしょ。春には春の、冬には冬の美味があるんですよ。読書なんて1年中しますよ。「読書といえばどの季節?」って可愛い子に言われれば秋って答えますけど、可愛くなかったら「電車の中しか読まないんじゃい!!」とかいっっちゃいますよ、私は。
これから藤野FC内に「秋といえばサッカーの会」をつくり、私の人生をかけて、「サッカーの秋」を世に広めていこうと思う。

夜サッカー

2004-10-13 | めがね
皆さん、掲示板をご覧になったでしょうか。競輪パンツの投稿、あれに引っかかっちゃいました。私から引っかかった訳ではもちろんありません。先輩の勧誘があまりにも強引だったので。
電話がきたのは20時くらい。代表戦の観戦に向けて部屋掃除をしようかなと思っている頃でした。いつもよりテンション高めのハスキー声で「二子玉行こう、サッカーしに。」 時間は22時半から0時まで。これに行くと代表戦の前半が見れなくなるんです。でも、天秤にかけるようなマネはしません。あんなに高揚している先輩見るの久しぶりなんですもん。で、結局藤野から4人で向かうことになりました。
こっちをでる時はもう闇の中。おまけに雨も降っているし。でも向こう着いたら違うんです。5面くらいあるフットサルコートが満杯で。平日のこんな夜にサッカーで賑わってるのがすごく羨ましかった。こうゆうの藤野にもできないかなと。あの時間にサッカーできたし代表も勝てたし、とりあえずいい日だった。
メンバーの一人、K太郎君。道中にあった極真空手の道場の看板を見て、「ごくしん空手」って言っていました。

雨にも負けず

2004-10-12 | めがね
今日は雨。一日雨。昨日も一昨日も雨。
雨は嫌い。天気が雨だと、生活が雨中心になる。天気予報が100%雨を告げていればまだ覚悟する余裕もあるが、裏切られた雨ほど気が滅入るものはない。高校の時、雨が降ると、勝手に練習中止と思い込み、その後のトレーニングは全く力が入らなかった。雨はテンションが下がる。そんな気がする。衣服がぬれるのも嫌だし、雨が靴にしみ込んだときの不快感は、寝ている間にムカデが腕を這いずり回っていた時のそれに並ぶ。傘を持ち歩くのも面倒だし、雨をしのごうとする時間ももったいない。雨が降ると行動するのが億劫になる。
サッカーの時の雨は違う。もともと雨に濡れるのが嫌なだけで、濡れているのが当たり前の状態なら気にもならない。サッカーの時はそういう状態だ。雨が降っても試合に支障はない。プレミアリーグの試合なんかを見ると雨が珍しいものではないことがわかる。聞いた話、イングランドは降水量が多く、傘を差す習慣があまりないらしい(ベッキー談)。今日はそんな雨の中で練習をした。
雨練の醍醐味は‘汚れ’にある。いかに‘汚れ’ることができるかが、練習後の満足感を決める。‘汚れ’とはもちろん、自分を汚れ的ポジションに持っていくことではなく、泥まみれになることである。しかしこの年になると、汚れることが難しい。間違えて転ぶことはないし、身体をコントロールすることができるので、小学生相手のサッカーなら転倒を避けることは100%に近い確率で可能だ。しかし身体が未発達の子供たちは、平衡感覚や筋力が不十分なので、雨の中を堂々とすっ転ぶ。なんの惜しみも無く、不細工な転倒を繰り返す。それが羨ましくてしょうがない。私もこんな中を誰に遠慮することなく、泳ぎまわりたい。そう思ってしまう。
自分はいつからこんなになってしまったのか。これが大人の階段を上るということなのか。成人式をとっくに済ませたが、大人と言い切れない立場がこんなことを思わせるのだろうか。もちろん成長はしたいし大人と呼ばれたい。例えば、電車の中で、顔を真っ青にしたした人が大声で叫ぶ。「すみません!この中に大人の人はいませんか!!」そういわれたときに躊躇無く手を上げて応えたい。しかし、そこで手を上げてしまったらおそらくもう一生、雨に打たれ、泥にはねられ、その中をダイブすることなんてできないだろうと思う。
だから私は、もう少し、もう少しだけ、大人になることを遠慮し、雨練の中、転ぶチャンスを狙うのである。