サッカーに夢中になり始めた小学生の頃。同級生に習ってる友達がいなかった僕は、一人でボールを蹴ることが少なくなかった。しかし、一人ぼっちでもなかった。一人きりのグランドには何人もの空想のディフェンダーがいて、自分のボールを奪おうとする。それを巧みなフェイント(自分の想像の上では)でかわす。そうやってドリブルが巧くなったと思う。そんな空想の彼等には顔がなかった。そして、いつもただ自分に抜かれるだけの相手であって、絶対に仲間になることもなかった。
言葉でサッカーがある程度わかるようになる中学生の頃、それを教えてくれる指導者はいなかった。チームメイトとの温度差を感じ、個人メニューを選んだ。仲間とのイメージも合わずパスはつながらなかった。本当はイメージもなかったのかもしれない。サッカーを知らなすぎた。
高校に入る。体も小さく取り柄のない僕は、通用しないドリブルにこだわった。70人近い部員の中で注目されることもなく、目標はドリブルで目的は自己満だった。引退間近に参加したOBコーチにチーム戦術を教わり、サッカーの新しい面白さに気付くも遅すぎた。
今は、昔よりはサッカーのことがわかったのだろうか。
サッカーはやはりチームスポーツであり、パスゲームだ(と思う)。シュートはゴールへのパス、ドリブルは自分へのとても短なパスだと考えれば、サッカーはやはりパスで成り立っている(と湯浅健二は言っていた)。
パスは一人ではできない練習だ(と思う)。一人では、顔のないディフェンダーを抜くことはできても、表情のある仲間にパスを出すことはできない。
パスにはパサーとパスレシーバーがいる。その両方の意図が合わなければパスは通らない。特に、タイムレス、スペースレスな現代サッカーでは難しい(津久井リーグは現代サッカーとは程遠いが…)。その中で、サッカーをどうやってクリエイトするのか。
相手の事を考える、次の動きを予想する、相手の期待に応えるなどは当然なのだが、その中でどう試合を進めていくのかという指針のようなものが必要だと思う(当たり前だが)。これはマニュアルというにはゆるいものだ。サッカーはその局面局面で自分で判断しなければならないのだが、その(個人の)判断を導くような、あるいは(チームとしての)判断を束ねるようなベクトルが欲しい。現在は、試合によって多少のメンバーが変わったり、そのメンバーのやってきた、あるいは理想とするサッカーのギャップが大きな溝となっているように思うのだ。
「藤野FCはどういうサッカーがしたいのか」という問いに、メンバー全員が同じ答えを出せるか。
サッカーの目的は様々であれ、試合の目的は間違いなく勝利だ。チームとしてどうすれば勝利に近付けるのか、そのためには何をしなければならないのか。それをチームのみんなが理解しあっているのか。
もう一度、真剣に話し合う機会が必要だと思う。
県大会まで時間は少ない。より成熟した‘チーム’として納得のいく試合ができればと思う。
言葉でサッカーがある程度わかるようになる中学生の頃、それを教えてくれる指導者はいなかった。チームメイトとの温度差を感じ、個人メニューを選んだ。仲間とのイメージも合わずパスはつながらなかった。本当はイメージもなかったのかもしれない。サッカーを知らなすぎた。
高校に入る。体も小さく取り柄のない僕は、通用しないドリブルにこだわった。70人近い部員の中で注目されることもなく、目標はドリブルで目的は自己満だった。引退間近に参加したOBコーチにチーム戦術を教わり、サッカーの新しい面白さに気付くも遅すぎた。
今は、昔よりはサッカーのことがわかったのだろうか。
サッカーはやはりチームスポーツであり、パスゲームだ(と思う)。シュートはゴールへのパス、ドリブルは自分へのとても短なパスだと考えれば、サッカーはやはりパスで成り立っている(と湯浅健二は言っていた)。
パスは一人ではできない練習だ(と思う)。一人では、顔のないディフェンダーを抜くことはできても、表情のある仲間にパスを出すことはできない。
パスにはパサーとパスレシーバーがいる。その両方の意図が合わなければパスは通らない。特に、タイムレス、スペースレスな現代サッカーでは難しい(津久井リーグは現代サッカーとは程遠いが…)。その中で、サッカーをどうやってクリエイトするのか。
相手の事を考える、次の動きを予想する、相手の期待に応えるなどは当然なのだが、その中でどう試合を進めていくのかという指針のようなものが必要だと思う(当たり前だが)。これはマニュアルというにはゆるいものだ。サッカーはその局面局面で自分で判断しなければならないのだが、その(個人の)判断を導くような、あるいは(チームとしての)判断を束ねるようなベクトルが欲しい。現在は、試合によって多少のメンバーが変わったり、そのメンバーのやってきた、あるいは理想とするサッカーのギャップが大きな溝となっているように思うのだ。
「藤野FCはどういうサッカーがしたいのか」という問いに、メンバー全員が同じ答えを出せるか。
サッカーの目的は様々であれ、試合の目的は間違いなく勝利だ。チームとしてどうすれば勝利に近付けるのか、そのためには何をしなければならないのか。それをチームのみんなが理解しあっているのか。
もう一度、真剣に話し合う機会が必要だと思う。
県大会まで時間は少ない。より成熟した‘チーム’として納得のいく試合ができればと思う。