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散策:谷保の里山風景、崖線・矢川の自然を辿る

2016-04-22 15:20:19 | 日記

散策:谷保の里山風景、崖線・矢川の自然を辿る 

 今回は、本年の散策の第二弾です。

 2016年4月20日、谷保の里山と矢川の自然を巡りました。行程はJR谷保駅からJR矢川駅までとなっていますが、今回は徒歩ではなく自転車で周りました。春の風を受け、気持ち良いサイクリング?でした。

 前回の「散策:六義園から飛鳥山公園」では昼食の件で行程計画をさんざん非難されましたが、今回は出発前に里山巡りなので昼食場所は見つからない旨を説明しておいたので、非難は受けませんでしたが、昼食場所はなく、矢川駅に戻ってからの遅い昼食となりました。(途中、唯一あったセブン・イレブンでコーヒーとケーキを補給したので不平がなかったのかも。)以下がその行程です。

 

[行程]

JR谷保駅

 地図1

約500m

本田家(江戸時代から伝わる薬医門、国の登録有形文化財)

 甲州街道沿いに位置し、元名主である本田家の格式を伝える建物で、平成23年に国の登録有形文化財になった。主屋は江戸中期に遡り、大型の近世民家として貴重で、薬医門は江戸後期に建てられた。非公開だが、薬医門は道路沿いなので見ることができる。

     

常夜燈

 

約400m

滝の院 

   かつて谷保には、天台宗梅香山安楽寺というお寺があり、創建は1014年(長和3年)といわれ、谷保天満宮の別当寺※として神社を管理し、祭祀を執り行ったようです。ところが、明治時代にはいると神仏分離政策がとられ、さらに火災によって焼失し、安楽寺はそのまま廃寺になったとのこと。その安楽寺の子院六坊のひとつであった滝本坊が、「滝の院」として市内に残っている。

(※江戸時代以前の神仏習合時代に神社に付属して置かれた寺。当時は仏が神より上位に置かれて社務の実権は僧侶にあった。)

 

地下道で甲州街道を渡ります。

 

約220m

常盤の清水

 筑紫の僧某が谷保天満宮に詣でた折り、この泉を見て「とことはに湧ける泉のいやさやに 神の宮居の瑞垣(みずがき)となせり」と詠んだのが名の起こりだと案内板に記されている。

 

約10m

厳島神社

 弁財天を祭っている。弁天池には亀と錦鯉と季節によってはカルガモがゆったりとした時間を演出してくれるそうです。紫陽花園が隣接している。

 

約200m

谷保天満宮(関東三大天神さまの一つで東日本最古の天満宮)(トイレ有)

  菅原道真の三男である道武が父の像を彫り、その死をとむらい、道武が亡くなると、三郎殿を建てて祀ったのが天満宮の起こりとされている。お正月や受験シーズンには大勢の参拝客で賑わい、また、境内には紅白の梅の木があり、花の季節には毎年梅まつりが開催される。

   

ここを右折して城山に向かいます。(A地点)

 

B地点に「行き止まり」の標識があるが無視して進めます。

城山公園入口(C地点)

 

約700m(谷保天満宮から)

城山

 東京都歴史環境保全地域に指定された鎌倉時代初期の城館跡で全体が雑木林で覆われ保護されている。現在の家は、明治時代の建築で、昔の館はなく、居館跡は個人の敷地となっているので、立ち入りはできません。

        

  D地点             E地点           F地点(私有地への入口)

            

 F地点から         G地点(井戸跡)          神明宮

約200m

城山公園(じょうやま)(トイレ有)

           

           城山公園                  城山

 

  「城山さとのいえ」

古民家旧柳沢家

 江戸時代後期に建てられたと推定される茅葺き・入母屋造りの農家を移築復元したもの。当時の農家の様子が庭を含めて忠実に再現されている。

          

  

約150m

 地図2

ハケの下の散策路

 青柳崖線の湧水に沿った散策路で、ハケ下の道は途中から流れの中の木道となっている。(足元の悪いときはハケ上の舗道を。)

 

約420m(内約200mがハケの道)

くにたち郷土文化館 

国立の歴史、民俗、美術、自然について学べる博物館。

常設展示室では、三つの崖線が創り出す国立の地形の特色等を、映像を使って判りやすく解説している。

    開館時間/9:00~17:00  入館無料

    休 館 日/原則毎月第2・第4木曜日

             

               四軒在家の竜吐水と大八車

                        

                 市指定有形文化財考古資料 顔面把手付土器

石田街道

約450m

南養寺 臨済宗建長寺派

 南北朝時代の1347年(正平2年)、立川・国立一帯の有力武士であった立川入道宗成(むねしげ)が大檀那となり、鎌倉の建長寺から禅師・物外可什(ぶつがいかじゅう)和尚を招いて開山したと伝えられている。本尊は釈迦如来。

 南養寺遺跡からは主に今から約5,000年~4,000年前の縄文時代中期の集落遺跡が発見されている。顔面把手付土器もここで出土した

     

約350m

滝乃川学園(日本最古の知的障害児のための教育施設、国の登録有形文化財)

 昭和3 年に現在の地に移転。本館及び礼拝堂は当時の建物だそうだ。ドキュメンタリー映画「無名の人―石井筆子の生涯」は創立者石井亮一氏の妻筆子氏が描かれ、遺品の天使のピアノは国産最古級のもので保管され、現在も調律し、利用しているとのこと。(訪れた当日は礼拝堂は締まっており本物の「天使のピアノ」は見ることができなかったが、サポート棟の人に頼めば、都合が良いときは見せてくれるそうです。)

 園内マップ

       

入口の「森のカフェ」      礼拝堂

      

   記念館         ライティングデスク    天使のピアノのレプリカ

約500m

おんだし

   「おんだし」とは「押し出す」の事。(府中用水、矢川、清水川の合流点)

         

  右:清水川、左:矢川、手前:府中用水

約250m

ママ下湧水公園

 ママ下のママとはこの地域では崖線(ハケ)のことをいう。階段・水辺・散策路ともに整備されて歩きやすい。

     

約150m 

ママ下湧水

 青柳段丘崖下(ハケシタ)から湧き出している湧水。都内有数の水量で、冬も豊かに湧き出ているとのこと。地元の彫刻家である関敏氏による石碑が建てられている。

      

    

   H地点          H地点階段から

約100m

四軒在家公園(7世紀前半の古墳跡)(しけんざいけ)(トイレ有)

 平成13年二次調査で10基の古墳が発見され、その内1号墳を移築復元した公園となっている。7世紀に造られた円墳で、墳丘は失われていますが周溝と遺体を納めた河原石積の横穴式石室が発掘されている。

    

約450m

 地図3

五智如来

 五智如来は、五種類の智(大円鏡智、妙観察智、平等性智、成所作智、法界体性智)を備えた仏のことで大日如来の別称とも言われている。大正初期までこの地に矢川橋が架かっていて、そのたもとに五智如来の祠があった。江戸時代に八王子から移住した人々がそれまで信仰していた五智如来を祀ったのがはじまりと案内板に記されていた。

 

国立市立第六小学校の南側の矢川

 

約450m(五智如来から)

矢川いこいの広場  (トイレ有)

  「ふるさとは 母のふところ まつりうた」と刻まれた碑がある。

   

約550m

矢川緑地

 矢川緑地は東京都の名湧水57選のひとつ。緑地の中には湧水池があり、さらにいくつもの湧水ポイントから湧き出す水を集めて流れだすのが、幅2m程、長さ1・5キロの矢川。矢川は緑地を出て南に向かって流れ、第六小学校と矢川いこいの広場を抜けて甲州街道の下をくぐり、さらに滝野川学園の先の「矢川おんだし」で、多摩川水系の府中用水と合流して谷保の農地をうるおしている。

       

   

みのわ通り

 階段を登り「みのわ通り」に出て、横断歩道はないが車に気を付け横断し、階段を下りて弁財天へ

 

約200m

矢川弁財天

 昭和16年に「矢川緑地」の西にあるケヤキの大木の傍から、国の命令で、現在地に移って来られたという。こちらでは“水神様”である「弁財天様」と、その“使いの神”と言われている「龍神様」と「白蛇様」の両方を祀っている。敷地内には、色鮮やな鯉たちが泳ぐ大きな池がある。

 

約400m

光西寺

 浄土真宗本願寺派

 

約800m

JR矢川駅

 

矢川駅から少し離れたイタリアンレストランで遅い昼食にありつけました。ビールがおいしかったなーー。

自宅を出て帰宅するまで約5時間、お尻と足が痛いでーーす。


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