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散策:目黒駅から広尾駅(クリスチャン・ボルタンスキー展)

2016-11-26 17:47:03 | 日記

散策:目黒駅から広尾駅(クリスチャン・ボルタンスキー展)

  2016年11月25日、東京都庭園美術館で行われているクリスチャン・ボルタンスキー展の入場券を入手したので
 鑑賞しに行きました。

 ついでに「広尾」まで散策することにしました。以下が散策行程です。

[行程]

10
30 目黒駅JR東口、東京メトロ南北線、都営地下鉄三田線、東急目黒線正面口
   地図1

↓約200m

1035 誕生八幡神社
           太田道灌が夫人の懐妊にあたって、筑前国(福岡県)の宇美八幡をこの地に勧請したものと言われている。
             無事に男の子が生まれたことから「誕生八幡」と呼ばれ、安産の守り神とされている。
       

       「重箱稲荷」
         徳川三代将軍家光がこの辺りに鷹狩り来た時、鷹が逃げてしまった。家光は弁当が入った重箱を社前に供え、
         鷹が戻るようにと祈ったところ無事戻ってきたと伝えられている。
          
       「誕生八幡神社のイチョウ」 樹齢はいずれも250~300年。
          
↓約350m

1045 東京都庭園美術館

    クリスチャン・ボルタンスキー展
    
   
   クリスチャン・ボルタンスキー
        1944年、パリ生まれ。独学で製作を始め、1960年後半より映像作品やインスタレーション(ある特定の室内
        や屋外などにオブジェや装置を置いて、作家の意向に沿って空間を構成し変化・異化させ、場所や空間全体
        を作品として体験させる芸術。)を発表。現代美術国際展に度々招待され、国際的に注目されるようになった。
         
                 影絵                        眼差し
       
        アニミタス         やきの森

   インスタレーション芸術は、私にとってはあまり感動もせず、興味をそそるものではありませんでした。
   ただ、インスタレーションという芸術があることを初めて知ったということでしょうか。

   [旧朝香宮邸]  庭園入場料:一般100円、65歳以上50円

      朝香宮家は久邇宮朝彦親王の第8王子鳩彦王が1906年に創立した宮家。鳩彦王は、陸軍大学校勤務中の
     1922年から軍事研究のためフランスに留学したが交通事故に遭い、看病のため渡欧した允子内親王とともに、
     1925年まで長期滞在することとなった。当時フランスは、アール・デコの全盛期で、その様式美に魅せられた
     朝香宮夫妻は、自邸の建設にあたり、フランス人芸術家アンリ・ラパンに主要な部屋の設計を依頼するなど、
     アール・デコの精華を積極的に取り入れた。現在は美術館として使われているが、アール・デコ様式を正確に
     留めた貴重な歴史的建造物として、国の重要文化財に指定されている。
          
                 本館(旧朝香宮邸)       新館
                   
      香水塔(アンリ・ラパンのデザイン)   ガラスレリーフ扉(ルネ・ラリック作)
       
      エッチングガラス扉
                        
      日本庭園(整備中)     芝庭「住まい(オシップ・ザッキン作)」   芝庭「風(安田侃 作)

1150 退出

↓約70m

1151 国立科学博物館付属自然教育園  料金:310円(65歳以上無料)

  高松藩松平家の下屋敷跡。
    室町時代に、この地方にいた豪族がこの地に館を構え、今に残る土塁は当時の遺跡の一部と考えられている。
    この館の主が誰かは不明だが、白金の地名は永禄2年(1559)の記録に初めてあらわれ、太田道灌のひ孫の
    新六郎がこの地を治めていたことが記録されている。

    江戸時代になると、徳川光圀の兄にあたる高松藩主松平讃岐守頼重の下屋敷となり、園内にある物語の松や
    おろちの松などの老木は、当時の庭園の名残であろうと思われるとのこと。

    明治時代には火薬庫となり、海軍省・陸軍省の管理となり、大正6年(1917)宮内省帝室林野局の所管となり、
    白金御料地と呼ばれた。その後、昭和24年文部省の所管となり、「天然記念物及び史跡」に指定され、国立自然
    教育園として広く一般に公開され、昭和37年国立科学博物館附属自然教育園として現在に至っている。
    
   
   ②路傍植物園(道沿いに野草類がいっぱい、植物好きにはたまらないと思います。)
            
      土塁             シイの巨木      ③物語の松        ④ひょうたん池
       
             ⑤水生植物園
        
   ⑦おろち(大蛇)の松    いもりの池       ⑧水鳥の沼     

1250 退出

↓約180m

プラチナ通り
    
  キャン・ドウで買い物。SECOND HOUSEで昼食。

1355 退出

↓約450m

1405 松岡美術館  観覧料:一般800円/65歳以上700円

       松岡清次郎は80歳を契機に「これまで自分のためだけに蒐集してきた美術品を一般公開し、広く愛好家に
      楽しんでいただこう」と美術館設立を決意し、1975年、東京港区新橋の自社ビル内に「松岡美術館」を創設した。
      その後もコレクションは増え続けたため、東京両国にビルを建設し、その中に規模の大きな新美術館を入れる
      計画を立てていたが、志半ばにして亡くなり、遺志を継いだ遺族が選んだ場所は、港区白金台の自宅。
      2000年4月に新美術館が完成し現在に至っている。

       所蔵作品は「東洋陶磁」、「日本の近代絵画・現代絵画」、「中国の明清書画」、「フランス近代絵画」、「ヴィクトリア
      朝絵画」、「ガンダーラ仏像やヒンドゥー教神像などの古代東洋彫刻」、「現代彫刻」、「古代オリエント美術」など
      多岐に亘っている。
      
      今回は入館をあきらめ、玄関だけ撮影して次に向かう。

       
      地図2          地図3

プラチナ通り
   

↓約1,100m

1425 広尾公園
      
                  「都電車庫跡」の説明板。(1918年~1969年まで)

↓約280m

1435 広尾商店街
    

↓約300m

1440 有栖川記念公園(広尾口)
       この地は、江戸時代、盛岡南部藩の下屋敷として使われていた。そして1896年(明治29年)、有栖川宮威仁
      (ありすがわのみやたけひと)親王の栽仁(たねひと)王新邸造成の御用地となる。有栖川宮が廃絶した後は、
      大正天皇の第三皇子光宮宣仁(てるのみやのぶひと)親王が有栖川宮の旧称高松宮の称号を賜り、その御祭祀
      を継いだ。その後、高松宮殿下は、1934年(昭和9年)にこの地を東京市に賜与され、記念公園として一般開放さ
      れた。
          

           

       
     こんな鳥が飛んできました。
          
     新聞少年の像        笛吹き少年像     有栖川宮騎馬像

1515 有栖川記念公園(正門)から退出

↓30m

南部坂
 

ドイツ連邦共和国大使館
  
    
  大使館の塀に小学生が描いた絵がたくさん掲示されています。

↓170m

サーティーワン
  アイスクリーム休憩。

1530 出発

↓200m

1545 広尾駅(東京メトロ日比谷線)

ここで散策終了。秋の太陽はつるべ落とし、うっすら暗くなってきます、家路に急ぎます。

今回は歩く距離も少なく、疲れは少ないはずですが、やはり年です。これでも疲れました。